眠りの森のキッチンは、いつものように甘い香りが漂い、いつものように住人が集まっていた。だが、いつものような明るさはない。

「ーー金ちゃん、本当に行かなきゃいけない?」

琶子は丸テーブルにベタリと突っ伏し、この期に及んでも尚、深々と息を吐きながら、抵抗の意を示す。

「ああ、約束だからな」

『風子ディナーの日』榊原から強引な招待を受け、琶子は十二年ぶりに眠りの森から、今日、外に出る。

「琶子、恐いのは分かる。だが、恐怖は内なるものから抱くものだ」

横に座る金成が優しく琶子の頭を撫でる。

「根底にあるお前の恐怖は何だ? それを克服することができたら、お前は真に自由になれる」

真の自由……?
物語の世界に身を投じなくても、ドロドロした黒い影から逃げられる?

心にあるのは……疑心暗鬼から生まれる『警戒心』『猜疑心』『不信感』

琶子はたった十歳にして知った。
被害者が加害者になり、加害者が傍観者になることを。
そして、傍観者は被害者になることを恐れ、無関心を装い無関係を築くことを。
それは子供とか大人とかボーダーなく、いつ如何なる時にも起こり得ることを。