そして日曜の朝。
ピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピ
「姉ちゃんうるせえぞ」
「正宗・・・止めて」
 カチ。
「自分でかけたんなら自分で止めろ」
 五つ年下の弟が私よりしっかりしてるってどういうことよ・・・ああ眠い。いやしかし!
 寝ぼけ眼をこすって階下へ下りる。両親は土日は昼まで寝てるから、キッチンは静まり返って、明るい日差しが降り注がれていた。
 パンをカリカリに焼き、ポットで紅茶を淹れて優雅な朝食。念入りに顔を洗い、歯磨きをしながらラジオ体操第一をし、おじいちゃんの盆栽に無意味に水をかけ、嫌がる犬を連れて近所を三周し、シャワーを浴びてから部屋に戻った。洋服のほこりを取り、アイロンをかけ、マニキュアを塗り、バッグを選んで洋服を着る。もう電車の時間が近い。締めにヅラをかぶって準備完了。ようし行くぞ~。
 駅に着いたのは約束の十五分前。まさか来ていないよね、と思いつつ物影から映画館を覗くと、なななんと達郎君はもう来ていた!
「ごめ、ごめ、ごめん、ままま待った?」
 キャーッ一度はこのセリフ言ってみたかったの!
「別に。練習が早めに終わったから」
 私たちが私服で会うのって初めてじゃないかな?いっつも制服+エプロンだもん。達郎君、アンタやっぱりかっこいいよ!オーラが違うね、オーラが。私は意味もなくあはは、と笑った。並ぶのが偲びないっス。
「何見る?ホラーものの『狩るじいさんと首飛ぶ家』と、サスペンスの『乗道の森』とコメディーの『あ、バーター?』があるらしいけど。ここの映画館、上映作がみんな古いんだよな。どれか見た?」
 私は首をブンブンと横に振った。達郎君が正面から見られない。後光がまぶしすぎてー。
「『狩るじいさんと首飛ぶ家』にしよう」
「それ以外がいい」
「お客さん、もう始まりますよ」
 受付のおばちゃんと目が合う。
「達郎君、じゃーんけーん」
「ぐー」「ちょき」
「『狩るじいさんと首飛ぶ家』二枚ね」
 ラブものはないのかこの映画館は!
「あ、チケット代、」
「いいよ、おわびだから」
 おわびならせめて選ぶ権利が欲しかった・・。
「ギャッ首、首ッ」
「うるせい、静かに見ろ」
「ヒィー」
 今夜は悪夢だな・・・。
「あーおもしろかった。爽快だな」
「首が首が・・・」
「何ブツブツ言ってんだよ。腹減ったな。何か食おうぜ。近いからマックなー」
 なんて爽やかな笑顔なんだ達郎君・・・。歩いていると、女の人はもちろん、男の人も時々振り返るのがわかる。こういう人って日ごろどういう気分なんだろ?
 私たちが座った席には、日曜の午後の幸福な光が溢れていた。春みたいな、柔らかな光。家族連れが通り過ぎる。
「子供から見たら達郎君は巨人に見えるんじゃない?」
「え?」
「野球チームじゃないよ。大きい人のことだよ」
「あ、ああ。わかってるよ」
 達郎君がハンバーガーを頬張る。勘違いしてたな。最近は達郎君が案外天然ボケなのもわかってきた。色んな面を持ってる、楽しい人。あ、まつ毛が光に透けて金色になってる。きれい。髪の毛も、目も。達郎君は光そのもののような人だ。なんてねー。達郎君と一緒に、バスケットにいちごを詰め込んで、ピクニックに行きたいな。広い野原、青い空と緑の風。私たちは手をつないで森の中を歩くの。
「ぐふっ」
「うわーまた不気味な顔してるよ。何かヒワイなこと考えてただろ」
「そんなこと考えてないもん」
「食うの遅いぞ」
「達郎君が早すぎるんだよ」
 達郎君のとっくに空になったトレーを見て言った。頬杖をついて私を見てる。達郎君の肩越しに誰かと目が合った。トーコに似てる。
「た、達郎君もう出よう」
「まだ食べかけじゃん」
「いい、もうお腹いっぱいなの」
「おい、ちょっ、」
 私はいつもハルにやるのと同じようにぐいぐいと達郎君の腕を引っ張って店を出た。
「そんなに引っ張るなよ。知り合い?」
「ごめん、似てただけかもしれない」
「知り合いがいたっていいだろ?バイト中じゃないし、何が悪いんだよ。俺が一緒にいるからか?」
「そんなことない、けど」
「けどなんだよ言えよ」
 どう説明したらいいのかわからない。どこから言ったらいいのだろう。
「どうして逃げなきゃなんないんだよ。一緒にいるのを見られるのが嫌ならどうして映画になんか誘ったんだよ」
 耐え切れなくなって逃げた。でも達郎君は追いかけてこなかった。一緒にいたくないなんて少しも思ってないのに、私は否定の言葉を言えなかった。誤解を解くことさえできなかった。嘘を重ねてきたせいだ。何もかも、一瞬で終わった。こんなに恋の終わりがあっけないなんて知らなかったよ。神様。

「ねね、美都、部室に付き合ってくれない?」
 ユーウツ、ユーウツ、ユーウツ。憂鬱通り越して鬱、鬱、鬱。生きてるの、やんなってきた。そんな矢先。
 パパパパーンッ!
「ギャッ!」
 何も考えずにハルに連れられるまま教室を出て、校舎から離れた所にある部室のドアを開けると、いきなり目の前が七色になった。色とりどりの紙ふぶき・・・クラッカーだ!
「「おめでとう、美都!」」
 紙ふぶき向こうには、バスケ部の二年生全員が並んで笑ってた。状況がいまいち・・・つかめないんですけど。
「美都、彼氏ができたんだってね!」
「初カレでしょ?」
「逃げなくたっていいじゃん」
 トーコが笑って言った。やっと事情がわかってきて、でもまだ混乱していて、涙が溢れてくる。みんなの笑顔を見ていたら不思議と安心したんだ。何か言おうとしたのに鼻の奥がツーンとして言葉が出てこないよ。
「あ、泣いてるー」
「嬉し泣きじゃん?」
「美都に彼氏かあ。ちょっぴりジェラシー」
 トーコがニヤニヤ笑いながら、
「沢コーの七番のフォワードの人っしょ?かっこよかったー。鼻血出るかと思った」
 って、私の肩をばしばし叩いた。
「ちっ、違うの、かれ、彼氏、じゃ、ないの」
 嗚咽が止まらなくってもどかしい。違うの、もう彼氏になる確率ゼロの人なの。
「どういうこと?」
 全部、泣きながら話した。バイト禁止だって知ってたのにしてたこと、男女交際禁止のこと、逃げ出したこと。全部。
「バイト禁止に男女交際禁止ってねえ・・・ハル、あんたが変なこと吹き込んだんでしょ」
「えへへ~」
「えへへじゃないわよ。美都、そんな校則ないよ?馬鹿な藤コーにそんな校則あったら誰も入ってこないって。自由なのが売りでしょ」
「そうだよ!だって私彼氏いるもん」
「私も駅前で堂々とバイトしてるよ?」
「あー、美都が固まってる!」
 そ、そりゃあ固まるよ!ショックで!私の今までの苦労は一体!
「ごめんごめんー。美都が本気で信じるからついおもしろくてさーてへへ」
「ひどいよハル!真剣に悩んでたのに!」
「私、あのマックでバイトしてるんだよ」
 トーコがハンカチで私の涙を拭いてくれながら言った。
「でも、結局だめだったし」
 あ、また涙が溢れてきた。昨日言われた言葉が頭の中でリフレインする。泣き出した私を取り囲んで、みんなが口々に慰めてくれる。その優しさにまた、涙がこぼれた。
「ちゃんと事情を話せば、わかってくれるよ」
 トーコの言葉に深呼吸しながらうなずいた。
「でも、カツラがなくちゃ無理なの」
「どうして?」
「達郎君は髪の毛の長い子が好きなの」
「気にすることないって。そんなことで判断しないよ」
 わかってる。私もわかってる。達郎君がそんな人じゃないってこと。でも、不安なの。
「喧嘩したのだって、もう言いたいこと言える関係に近づいてきたってことなんだから」
「おーっ、出ました恋愛の神、山口ノゾミ」
 副キャプテンのノゾミが簡易椅子に座って足を組み替えた(ジャージだけど)。
「美都はその人と付き合いたいんでしょ?じゃあさっさと告っちゃいな」
「でも」
「でももへったくれもないよ。言わないと何も始まらないんだから」
「今のままでいい」
「今はそうかもしれないけど、誰かにとられた時絶対に後悔するよ。それでもいいの?」
「いや」
「じゃあ思った時に即行動!今までだって美都はそうしてきたでしょ?」
「でも、いや。怖い」
「もーこの子は!」
 ノゾミが痺れを切らして叫んだ。その時。
「あんたたち!ここで何してるの!バスケ部だけいないと思ったらやっぱりここか!」
「ギャッ宮古先生!」
「授業はとっくに始まってんの!今日の練習は校庭二百周!終わるまで帰さないからね」
 あ、あうー。