そして早速その日の放課後。歯医者ってことで部活を早退し、ある所へ寄ってから沢コーへ。思い立ったら吉日!時間はちょうど七時。そろそろランゼンさんが部活を終えて出てくる頃♪何て話しかけよっかな。おっ、男バスっぽい集団が出てきた出てきた。んーと・・あっ、発見!
私はひときわ目立つ長身のあとを、長い(・・)髪(・・)を(・)なびかせて(・・・・・)追いかけた。
「ランゼンさん」
 かけちゃったかけちゃった声かけちゃった。キャー振り向いたーっ。
「何」
 ランゼンさんは低い声でそっけなく言った。私を上から下までいぶかしげに見つめてる。かっこいー見てる見てるーっキャー。
「何か用」
「ハイっ」
 うわーやっぱりいい男さんだー。顔ちっちゃいしすっと鼻筋が通ってるー。それでもって、やっぱりやっぱり目がきれい。
「で、何」
 ランゼンさんはうざったそうに(その感じもうっとり)もう一度言った。
「これからどこに行くんですか?」
 私がそう言うと、ランゼンさんは少しの間黙った。
「ランゼンさん?」
 変だと思った私が声をかけると、ランゼンさんははっと我に返って、トゲトゲしい口調になった。
「あのな、いきなりなんだよ。ストーカー?」
「はいっ」
 ランゼンさんはくるっときびすを返し、スタスタ歩き出した。私は呆然と立ちすくんだ。私の横を、何人もの学生が通り過ぎていく。体が、急に熱を失っていくのを感じた。
 何か変なこと言っちゃったかな。怒らせちゃったかな。でも何で?私、ロングヘアーだよ?もっと長い方がよかった?って、黒髪を手でひっぱった。だって、これより長いのは予算オーバーだったんだもん。
 ランゼンさんが遠ざかっていく。このままになってしまうのは嫌だ。私は駆け出した。追いかけなくちゃ、どこまででも!
「待って、待って!」
 私は、自分に出せる全てのパワーを使って走った。血管が切れてしまうほどの血の巡り。いきなり走り出したことに驚いて苦しくなる肺。行かないで、やっと見つけたのに、偶然じゃないのに、絶対。だからお願い。行かないで、その足を止めて、私の方を見て、私の話を聞いて!
「何なんだよ、一体」
 止まってくれた。神様、アリガトウ!
「さっきの答え!」
「バイト!」
 ただでさえうるさいと言われる私の声の、何倍もの声量でランゼンさんは言った。ポケットに手をつっこんだままで、白い息をまきちらしながら。通りを行く人がチラチラと見ているけど、そんなの、気にならない。
「どこ?どこでバイトしているんですかっ」
「何でそんなこと教えなけりゃいけないんだよ。しかもお前ストーカーだろ?余計怖い」
「あ、私の名前は小山美都ですっ」
「ハア?誰が自己紹介しろっつったんだよ」
「え?だって、」
「とにかく、俺はさっきも言った通りこれからバイトだから急いでいるんだよ。だからストーカーの相手はしてらんないの。わかるか?じゃあな、気をつけて帰れよ」
 ランゼンさんは一気にそれだけ言うと、早足で歩き出した。もちろん、私はそのあとをこっそりつけた。だって、この恋は絶対逃せない。逃すわけにはいかない。本能がそう言ってる。
 ランゼンさんのバイト先は沢コーから歩いて十五分の、見るからに個人経営とわかる小さな本屋だった。店番をしていた店長らしきハゲ丸さん(くまのプーさん似)に挨拶し、店の奥に入って「木戸書店」とプリントしてあるエプロンをつけて出てきた。エプロン姿も素敵。向かいの家の植え込みに体を隠し、垣根に穴を開けてランゼンさんを観察した。
 黙々と単行本や文庫や雑誌を棚や引き出しからひっぱりだして整理したり積み重ねたり揃えたりしている。本屋ってイメージじゃなかったけど案外マッチしてるかも。あ、ずるい、お客さんに笑いかけてる。何やっても爽やかなんだな。
日もとっぷり暮れて夜の十時。ランゼンさんがバイトを終えて店を出るのを目で追ってから、追いかけたい気持ちをぐっとこらえて、シャッターを下ろし始めたハゲ丸店長の横に立った。
「はい?何か?」
「バイト募集してませんか?」
「あいにくこんな小さな店だから、これ以上人を雇える余裕はないんだ」
 ハゲ丸店長はすまなそうに微笑んだ。店内からは蛍の光が聞こえてくる。
「働かせて下さい、どうしても。明日から!」
「いや、あの、だからね、」
「いえいえお気になさらずに、いーんです、お給料なんて!」
「ええっ・・・じゃあまあそういうことなら・・・いいのかい本当に」
「じゃあ働かせてくれるんですか?」
「そんなに言うなら・・・」
「じゃあ明日来ますねっ」
 たったったたた。たたたんたん。
 足元軽い。心が軽い。人もまばらな帰り道。体があったかい。心があったかい。明日がうんと、楽しみだ。
「ププッ、へえ、ププッ、よ、よかったね」
 学校に行ってすぐさま事情を話すと、ハルはグフグフ笑い出した。クスクスじゃないところがハルらしい。でも、同じ状況だったら絶対ハルだって同じことするよ!
「ヅラは思いつかなかったなー。ヅラだって・・・グフフフフ」
「地道に強力育毛剤使った方がよかったかなあ?私だって迷ったんだよ?」
「そういう問題じゃないっつうの。育毛剤は伸ばす薬じゃないっつうの、増やすの!」
 私は横を向いた。昨日の日付のままの黒板。石油ストーブの匂い。開け放たれたドア。
「でもさ、美都。こっちで放課後に部活やって、沢コーの方まで行ってボランティアバイト?かなり大変じゃない?体力持つ?それに、もうすぐ期末試験あるよ?」
「大丈夫、愛は勝つ」
「古い・・・」
 ハルは口を半開きにしたまま私の顔を見た。
「そんなに驚かなくってもいいじゃん」
「いや、ちょっと瞬間的に顎が外れた」
「もー医者に行って来た方がいいよ?顎関節症ってはやってるらしーし」
「うん、行ってくるよ。で、何科?」
「顎科?」
「明日にでも顎科に行くよ。でも、明日からずっと美都と帰り道逆だね。寂しいな」
「大丈夫、心はいつも一緒だから」
 ハルの肩に手を置くと、ハルも私の肩に手を置く。そして何となくコサックダンス。
 淡い冬の光の中、きれいなハルが微笑む。きれいなものって大好き。透明なもの、純粋なもの。そんな宝物を見つけるのが私は得意。だからきっと、私の選択は間違っていない。この機会を失ったら、もう一生やってこない流星みたいな出会い。それが、今なんだ。
「本当に来たんだねえ。じゃあ早速だけど仕事、教えるから」
 はりきって木戸書店のエプロンをつけて、店長の後ろをくっついていく。
「紹介するね。今日から新しく働いてもらう、」
「小山美都です」
 キャーッもう来ていたのねランゼンさん。すっごく驚いた顔して、私を指差したまま止まってる。そりゃあ昨日の今日だもんね。
「ラ、ランゼン君?どうしたんだい?」
「店長こいつはっ、どうしてお前がここに、」
「知り合い?だったら早く言ってくれたらいいのに。水臭いなー」
「そーなんですー、えへへへ」
「違いますよ店長、こいつはモガモガ」
 私はすばやくランゼンさんの後ろに回り込み、精一杯背伸びをして口をふさいだ。
「あの、ランゼンさん今日あまり喋るなって医者から言われてまして」
「そうなの?風邪?小山さんも、本屋は乾燥しているからこまめに水分補給してね」
 店長はそう言うと、ランゼンさんにあとを任せてレジに戻っていった。
「モガモガモガ、このやろっ、離せっ」
「店長に不安を与えるようなことを言わないであげて下さい。彼も悩んでいるんです・・・」
「何がだっ。あーもー本当にお前は・・・」
 がっくりと肩を落として、その場によろよろと座り込んだ。
「泣くほど嬉しいんですか?」
「違うわボケ」
「ボケって言った・・・」
「本当のことだろ。嘘泣きすんなっ」
 あんまり冗談通じないみたい。
「お二人さーん、早く仕事始めてー」
「「はーい」」
 二人同時に顔を見合わせた。
「真似すんなっ」
 恋とは難しいものね。でも楽しーっ嬉しーっ。ウヒヒーッ。
「気持ち悪い笑い方すんなっ」
 み、見られた・・・。しかも気持ち悪いって言われた・・・。
「うわっ、雑誌破くな、もっとこうだよこう、下から腕を回して安定させて・・・あーもう」
 アルバイト雑誌の束をラックに入れようとしたら、すみっこを持ったせいでビリっといってしまった。ランゼンさんはブツブツ言いながらもうまくごまかしてくれた。見た目とは違う荒っぽい口調。でも、優しいんだね。
「次っ、ぼーっとしない」
 店の隅に山のように積まれた明日発売の雑誌たち。朝は店長一人だから、今のうちに並べておくんだ。ふむふむ。
「週刊誌は外のラック、バイト関係はその隣。経済関係はそっちでファッション誌は下」
「身長いくつですか?」
「一八八」
 ランゼンさんは私の方を見ずに、返品する雑誌をてきぱきと紐で縛り新しい雑誌をきれいに並べていく。閉店間際で人もまばらだから、今が一番の勝負時らしい。
「すごーい、私とちょうど三十センチ違う。定規一つ分」
 ランゼンさんが腰を上げて私を見た。バイトの合間に二人だけの秘密のおしゃべり。これが理想だったのー。
「仕事中だぞ?遊びに来てんじゃねーんだよ。ふざけてんなら帰れ」
 私はちょっとムッとして黙った。
「ったくう。なんで店長はこんなちんちくりんを採用したんだ」
 雑誌の並べ替えを再開したランゼンさんは、なんだか遠くの存在に逆戻りしたみたいだ。
「突っ立ってないで手伝え」
 ちょっとロンリーな気分になって、ランゼンさんがするとすごく小さく見えるエプロンを黙って見ていた私に、ランゼンさんはまだ紐を解いていない雑誌を手渡した。その時、言葉は冷たいけどバイトの一員だと見てくれている気がして嬉しかった。
「何て呼んだらいいですか?あ、名前なんていうの?」
「達郎様」
「達郎君かあ・・・」
「オイ、お前いくつだ」
「十七だけど」
「ちっ、同じ歳か」
「そこ悔しがるところじゃないじゃん。達郎君、ハサミ貸して」
「おい、まだ俺は君付けを認めてないぞ。しかもはさみって、さっき雑誌を渡してからもう十分以上たってるぞ、何やってんだよもー」
 左ポケットからハサミを取り出して、私の手に乗せた。おっきい手。バスケやってるのにきれいな手。突き指とかしないのかな?
「オイ、また固まってるぞ。早く切れ、そして並べろ。俺まで帰れなくなるだろ」
 おそろいのエプロン。達郎君の大きな手と靴。本屋の軒先。目線をあげると、照明に反射して光る店長のはげ頭。・・・幸せ。
「キヒヒヒヒヒ」
「うわっ危ねえヤツ」
「ハイお二人さん、今日はもうそのへんでいいよ。あとはシャッター下ろすだけだから」
 私が返事をし終わる前に、達郎君は秒速で店を出て行った。そして闇にまぎれて消えた。一緒に帰ろうと思ってたのにぃ。
「ハハハ、いつもながらに早いなあ。でもね、ランゼン君があんなに喋るのは珍しいよ」
 店長はニコニコしながら言った。
「私も、もっと無口でクールな人なのだと」
「いつもはそんな感じだけどね」
 すれ違う人も少ない、私にとっては真夜中の時間帯。一日がもうすぐ終わっていく。鼻息まで白い真冬の夜空の下。満点の星空の下。
今日はたくさん話せた。目を見て話せた。達郎君って呼べるようになった。私のことも知ってもらった。一緒にお仕事できた。今日は本当に短い一日だった。充実した一日だった。ありがとう神様。ありがとう達郎君。
達郎君はこの星空、見てるのかな。気付いていなかったら、教えてあげたい。うううん、違う。一緒にこの星空を見たいよ。