『ゲホッ…!クゥ…』

背中にはしる激痛に堪えながら立ち上がると、そこには見知らぬ森が広がっていた。
今さっき落ちてきた断崖絶壁を見上げ、アイツが追って来ていないことを確認する。

完全に油断した…。

まさか魔王様が、城を出た私を連れ戻そうとしているなんて考えもしなかった。
勝手な行動とはいえ、私風情の存在なんて気にもされていないと思っていたのに。
しかも、その魔王様の使いが私の大嫌いなトロールときたもんだから、その姿を視認した瞬間に私は道から外れて崖からこの場所に飛び降りたのだ。

トロールとは、食欲と性欲が異様に強い腕力だけが取り柄の醜いモンスターだ。
知能は低いが気性は荒く、城に居るときも何度も迫られた経験がある。

『怖いよ…お兄ちゃん…』

私は不安に胸を締めつけられながら森の中へと足を踏み入れた。
とにかく身を隠せる場所を探さなきゃいけない。
トロールは耳と鼻がよく効くから、なるべく物音をたてないように身を屈めゆっくりと進む。


『ん…これは…?』

ふと、何処からともなく良い香りが漂ってきて私の鼻孔をくすぐった。
そのあまりにも空腹を刺激する香ばしさに思わずお腹がグ~と鳴る。

私は目に見えない糸に引かれるように森の奥へと歩を急がせた。

『え…?』

私は突然の光景にその場に立ち尽くした。

視界が開けた先には湖があり、その畔には様々な動物や小鳥などが集まり円陣を組んでいたのだ。
そして、その円陣の中心に一人の男が立っていて何かをしていた。

どうやら、この香りはあの人間の方からしてきてるようだ。

『お、いらっしゃい!好きなとこに座りな』

男は私に気がつくと、無精髭を生やした口を開けて笑った。

私は言われるがまま円陣の隙間に入り込み黙って座る。

右には鹿、左にはアヒルが居て私には気もとめず木の器に盛られた何かを食べている。

『ようこそ、今日限りの森のレストランへ。
俺はシェフのスズハゼってんだ。よろしくな』

男はそう名のると、握っている包丁で岩に置いた大きな果実を切り始めた。
その横では火にかけられた鍋が湯気を立てている。

こんな場所で料理…?

『ほらよ、特製の果実シチューだ』

私が戸惑っていると、スズハゼは木製の器によそったシチューを私の前に置いた。
一気に鼻孔を満たす香りに涎が押し出される。

『い…いらない…!
人間の施しは受けないもん!!』

私は食べたいのを我慢して首を左右に振る。
だが、スズハゼは優しく笑いながらこう言った。

『これは俺の施しじゃねぇ、森の施しだ。
だから、周りの奴らのように何も遠慮せずに食え』

彼の優しい声と表情は、私の緊張感を安堵で解す。

しかし…。

『見ぃ~つけた~!
グヘヘ…フェノンちゃ~ん』

背後から響いて来た声に、私は小さく悲鳴をあげて一気に身体を硬直させた。

突然の邪悪な来訪者に周りの動物や小鳥たちは逃げまどうようにしてあっという間に姿を消す。

『グヘヘ…手間をかけさせた罰として、オデの子をたくさん孕ませてあげるからね~』

恐る恐る振り向くと、すぐ背後にトロールが立っていた。

『ち…近寄らないで…』

恐怖のあまり身動きとれない私をトロールは舌なめずりしながら見下している。


『おいバケモン、お前のせいで客が逃げてったじゃねーか』

そう言ったのはスズハゼだった。

『あ?オデに何か言ったか人間。
殺されたくなかったら消えろっ……あえ?』

トロールがスズハゼを威嚇した時には、その太い腕が地面に落ちていた。

『グギャアアアアアーー!!!』

トロールの絶叫が静かな森にこだます。
スズハゼはいつの間にか、刃渡りの長い包丁(もはや剣)を握っていた。

『ウギギギギ…!!お前っ…何者だ!ただの人間じゃないな!!』


あまりにも一瞬の出来事に、私は瞬きも忘れ呆然とその光景に目を奪われていた。

『俺が何者か…?
な~に、料理好きなただの大学講師だよ。
で、どうすんだ?逃げるか?
なるべくなら、客の前で殺戮はやりたくねぇんだけどよ…』

スズハゼの鋭い眼光に、トロールは躊躇なく回れ右して森の奥へと走り去って行った。
危機を察した時の引き際の良さもアイツの特徴だ。

『悪ぃな。シチュー冷めちまったか?』

先程までの殺気は一切無く、元の優しい笑顔を向けるスズハゼに私は首を横に振ると、シチューをそっと口にはこんだ。

『おいしい…』



       ※❮この冒険、なんやかんやでハードモード過ぎません?❯に続く