ホテルの3階の廊下の端、蜘蛛はどうやら非常階段へ逃げたらしいと判っていても、桑谷さんは追いかけようとはしなかった。

 彼は私が首を傾げてじいっと見ているのに気がついて、何だ?と聞く。

「あなたが動かないのが不思議で。ヤツが戻るかどうかが判ってないのに慌てないのはどうして?」

 彼が口の端を持ち上げて、にやりと笑った。

「それは」

 それから、手のひらから何やら白い紙を出す。

「これがあるからだ」

 何何?一体それはどこから?私が好奇心も露に覗きこむと、彼の大きな手のひらの中にあるのは誰かの名刺のようだった。

 『ドリームドア企画 北川ミレイ付マネージャー 新井優斗』

「・・・・どこから出したの、これ?」

 私がそう言うと、彼は簡単に述べる。ほら、あのスパイダーマンだって。

 そうか、私はようやく判って一人で納得した。彼が蜘蛛男をひきずってこちら側にきて、ヤツが暴れたのでお腹を踏みつけたとき、確かに彼は蜘蛛野郎の上に屈み込んでいた。きっとあの時、ヤツのポケットからこれを掠め取ったのだ。

 ・・・手癖が悪い。褒めるかどうかでしばらく悩む。だけどそこを指摘するのはやめておいた。

 彼の手の中でくしゃくしゃになっていた名刺を受け取って見詰める。マネージャー?蜘蛛男が誰から貰ったのか、それともどこからか盗ったのか、それは判らないけど、これって・・・。

「あ」

 私が声を出すと、桑谷さんが廊下の向こう側を覗き込みながら頷いた。

「さっきパーティーで歌っていたシャンソン歌手のマネージャーだろう。そんな名前だったよ、北川ミレイ」