目の前は真っ暗だった。

 だけど船に乗っているように、ぐらぐらと体が揺れているのが判った。

 ・・・ちょっと、気持ち悪い。うえ~・・・。揺れないでよ、やめてやめて。私は目をゆっくりと開けながら、迫り来る吐き気に対処しようとして──────────気がついた。

 船にのっているのではなくて、体をゆすられていたらしい。

「まり」

 薄暗い部屋の中、私を覗き込んでいるのは夫の彰人だった。

 私はゆっくりと瞬きをして彼の顔へ焦点をあわせる。少しだけ眉間に皺をよせて、彼は心配そうにじっと見下ろしている。

「・・・ハロー」

 大きなため息。体の下に彼の大きな手が入り込んで、私の体はゆっくりと起こされる。

「何がハローだ。ビックリしたぜ、倒れてるから。何があった?」

 私は周囲を見回した。壁際にずらりと並ぶコートや帽子、紙袋。ここはクロークの中らしい。

「・・・バカ野郎に首の後ろを叩かれたのよ」

 ぶっすーとした声でそう言うと、彼は無言で私の首を廊下からの明りに照らして確認する。そして、一瞬で非常に怒気を含ませたザラザラした声になって言った。

「話せ」

 何よこの命令形。ムカついたけど、今は夫婦喧嘩をしている時ではない。私は不快感を眉毛をあげることで表明することにして、痛む頭をさすりながら座り込んだ。