暖房がよく効いた四十八階の会議室から出ると、廊下は一月初旬の寒さで冷えていた。空調の調子が悪いらしい。

「廊下、寒いですねぇ……昨日、空調が故障したんでしたっけ?」

私の隣で、ふたつ下の後輩である広瀬くんが身を震わせる。緩いパーマがかかった明るい色の髪が、ふわふわと揺れた。

「早く直してほしいよね」

広瀬くんの言葉に頷き、少しだけ冷える空気に首をすくめて歩く。すると、廊下にいる多くの社員から視線を浴びていることに気づいた。

……嫌な予感がする。

周りの社員たちが何かボソボソと話している。

私は黒髪のボブをそっとかき上げて耳を澄ました。

「アイツ、また男をダメにしたらしいな」
「今度の犠牲者は誰だよ」
「下請けの作業員だってよ。クビになったんだよな」
「マジかよ。この前、広報部の武村も退職に追いやったって聞いたけど?」
「あー、アイツと付き合うようになってから、問題起こすようになったんだよな。上司に盾突いたりして」
「俺が聞いたのは、やり手営業マンをギャンブル依存症に没落させた、って話だけど?」

ひ、ひどい……“また”その話してるの……!?

悔しさが込み上げてきて、唇をグッと噛みしめた。

私に聞こえないように話しているつもりだろうけど、廊下の隅からチラチラと視線を送られれば、耳をそばだててしまうもの。

彼らが口にしている貧乏神のような〝アイツ〟の正体は私、瀬那葉月(せなはづき)のことだ。

「とにかく、アイツは男をダメにするから。近づかないほうがいいぞ」
「つーか、頼むから社内で男作んなよなぁ……」
「被害者は武村ひとりで充分……」
「とんだサゲマンだな……」

もう、ヤダ……こんなウワサなんて聞きたくない!

私は会議室が並ぶ廊下を足早に歩いた。

そのせいで、隣にいた広瀬くんが後ろで小走りになっているのに、それを気遣うこともできない。

「瀬那さん、すごい言われようですね」

エレベーターを待っていると、追いついた広瀬くんが隣に並んだ。彼は丸い目をランランと輝かせ、口元をほころばせて弾むような声をあげている。

入社一年目のときに教育担当をしてあげた仲だというのに、先輩のピンチを楽しんでいるらしい。

「ここまでウワサが広まるとは……。もう社内の男性は寄ってきませんよ。どうするんですか?」

私に彼氏がいないことを知っているので、余計な心配をしてくれている。有難迷惑極まりない。

「べ、べつに……いいよ」
「え?」

声が小さかったのか、耳に手を当てて聞き返される。

「いいよ! もう、社内恋愛なんてしないんだから!」

思わず大きな声を出してしまう。ふと気づくと、周りからすごく注目を浴びていた。

「おい、アイツ社内恋愛しないってよ」
「そりゃ、助かるわ……」

ウワサをしていた男性社員たちの安堵する声が聞こえてくる。いたたまれない気持ちでいっぱいになり、胸がズキリと痛んだ。

「い、行こう……広瀬くん!」
「わっ、ちょ……痛いですって」

ちょうどタイミングよくエレベーターが到着したので、慌てて広瀬くんの腕を引っ張る。エレベーターに乗り込むと、「閉」のボタンを連打した。