実田城の塀の裏。
寒さが身に沁み始める秋の夜のこと。
私は1人孤独に悶え、泣いていた。
「誰かいるのか。」
男性の太い声が城門の近くから聞こえ、私は必死に声を殺した。
しかし足音は確実にザクザクとこちらに近づいてくる。
そして、私のすぐ前で止まったのがわかる。
「隆様、何者でしたか。」
先ほどと同じ太い声に、隆様と呼ばれたその方は、いや誰もいないネズミかなにかだろうと返す。
きっとお偉い方なのだろうに、なぜ私なんかをかばってくださったのか疑問に思っていると、その方は私の顎をそっとすくい上げて、顔を上げるように促す。
着物も帯も足緒も立派なその青年を一瞬にしてやはり高貴だと悟った私は、すかさず目を逸らす。
「怯えることはない、こんな夜更けにどうなさった。泣いていたのか。」
私の頬をそっと拭ってくださろうとするその方からは高価な香の香りがして、私はすかさず
「なりません、私などに触れられては。泣いても、おりません。」
と、再び目を伏せた。
おや嫌われてしまったかなと、悪戯に笑いながら頭を搔くその仕草さえ美しく、私はいけないと思いながらも見とれてしまった。
気がつくとしばらく見つめ合っていて、私がはっとするとまたその方はどうしたのかと笑う。
名乗るほどの者ではないのだから、かばっていただいたお礼だけ申し上げて立ち去ろうとするのを、阻止される。
「私は実田隆成と申す。」
と目上の方から名乗らせてしまった以上、私も名乗らない訳にはいかず、控えめな口調で
「牧之原梅子と申します。」
と頭を下げた。
ちょうど1人になりたくて散歩に出たところだと隆様はおっしゃり、今見たばかりの私を共にと誘ってくださった。
もったいないほどの気遣いに、私は遠慮を忘れてしまう。
すすき林を歩きながら、なぜ泣いていたのかと改めて問われる。
「隆様、私は気狂い者なのでございます。牧之原家に嫁いで丸4年になりますが、身ごもらないのでございます。様々な商人に騙されては怪しい薬を試してきましたが、どれも効きませんでした。周りでは私より後に嫁いだ者が次々と身ごもっては祝いの席を設け、今日私はついに、後継者も作れず子も産めないならば遊女にでもなって世間のお役に立てと、勘当されたのでございます。」
隆様は難しい顔をしたままお怒りの様子で、ですから隆様との御縁も今日この場限りと申し上げる私の声が全く響いていないようだった。
隆様は深い溜め息をつく。
私がやはりこんな下世話な話をするべきではなかったと不安に顔を歪めると、隆様はおっとすまんすまんと言いながら、先ほどとは打って変わった穏やかな顔を私に向け
「して、今夜はどこで寝るつもりか。」
と訪ねた。
ほんの小さな巾着1つが全財産で、民衆宿に泊まる余裕もなかった私は素直に近くにある牛小屋を指差し、私はあそこの藁で眠りますと申し上げる。
隆様は目を見開き、こんな寒い日の夜におなごが牛と共に寝るなど良くないと言い、あろうことか城の寝所を1つ貸すとまでおっしゃられた。
私は驚きのあまり、言葉が出なかった。
そして隆様は
「案ずることはない。私があなたを守ろう。」
と微笑みかけてくださったのだった。
けれど高貴な方なら許嫁やお后様がいてもおかしくはなく、私は頑として丁重にお断りした。
隆様は納得されていない表情だったが、ならばとさらに提案を重ねる。
「あなたが無事なのかが気がかりなままになってしまう。ゆえに、次の約束をしよう。十五夜にまたここで会えるだろうか。月見でもして、もっとゆっくり話そう。」
「は、はい…。」
私はただ、肯定することしかできなかった。
自分の胸が高鳴っていることだけは悟られてはならないと必死だった。