「おはよう、達海」
 達海の背中を叩き、明るく挨拶をするさと子。達海も挨拶を返して振り向いたところで、表情を僅かに変えた。
「お前、少し顔の肉減った?」
「分かる? 最近ひっどいのよー、めっちゃしごかれてもー大変。筋肉痛の体を無理に動かさせられる日々で、死にそう」
「誰かと一緒にダイエットしてるのか?」
 達海の問いに、さと子は焦った。肉の妖精とダイエットしてますなど、口が裂けても言えない。ましてや、今隣にハンちゃんやスーさんがいるなどとは。
「今は会社だから体操くらいで済ませてやるけど、よりによってコイツと一緒にするか? 弁当の中にハンバーグとステーキいれるなんてさ。一人分なら尚更だが、普通どっちかじゃねぇの?」
 二人はあくまでも他人には見えないらしいので、今スーさんの言葉に反応してしまうと、達海に怪しまれるのは必至。さと子に対し、やたらとスーさんの勢いが強いのに、ハンちゃんも首をかしげていた。
「アイツのう、さと子にいっつもあしらわれるから構って欲しいんじゃよ。案外甘えん坊さんなんじゃのう」
「ふーん。分からなくもないな。サトちゃんって、お母さんって感じだもんね」
「ううむ。まぁ、そうかのう。ちぃとヤツとはニュアンスが違う気もするが~……」
 思わず一瞬目をつむる。このタイミングで神様が来るか普通。そもそも神様がこんなしょっちゅう人前に現れたらおかしいだろ。ましてやこんな人の多い会社の中で! 心の中でツッコむ。
「……おい、大丈夫か?」
 達海の声が聞こえ、我に返ると、ニコニコ笑って何度も頷いた。
「う、うんうん!」
「もしかして、仕事とかダイエットで疲労してるんじゃないのか? 女性は貧血になりやすいだろうからな。鉄分取った方が良いぞ。あと、甘いものもな」
「心配してくれてるの? 有難う」
 さと子が礼を言うと、達海の冷たかった表情が和らいだ。
「まぁな。お前の実力は買ってるんだ。無理の無い程度にな」
「うん! 私も達海は良い同僚でライバルだと思ってる。だからお互いにね」
 達海は小さく微笑んだ後、さと子に背を向け、片手を振って自分の職場へと向かって行った。達海がいなくなり、さと子は深いため息をついた。猫背になったさと子を背後から抱きしめ、スーさんはさと子の髪を指先に巻きつけて遊びながら話しかける。
「あの黒髪男のこと、好きなのか?」
「何よもう。さっきから喋りかけてさー。答えられない状況だって分かってたでしょう? 邪魔しないでよ」
「まぁそう目くじら立てんでやってほしい。コイツ等がお前と話を出来るのはお前が運動をし終わるまでのことなんじゃから。一応コイツ等も人の心を持っておる。友達とは少しでもたくさん話したいのだよ」
 神様の言葉に、ハンちゃんや、スーさんのことを見る。ハンちゃんはコクコクと頷き、スーさんはニヤリと笑った。
「そういうことさ」
「それに、僕達の世界って男の人しかいないからさ、女の人の友達ってやっぱり新鮮なんだよ」
「へー。こんなデブにでもそんなこと思ってくれるんだ。どうもねぇ」
「しかしお前、痩せたら可愛い感じがするぞ? 当時は気付かんかったが、最近顔が少し小さくなって、本来の大きな目が現れよった。太っている者はそれだけで可愛さや美しさから敬遠されがちじゃが、痩せていれば魅力的な者も多いのだ。贅肉は、宝石で言うところのまだ削られておらん原石みたいなものと言うことだよ」
 神様のお言葉に、さと子は、「おー!」と拍手した。まんざらでも無さそうに、神様も照れ笑いをする。
「僕もサトちゃんが痩せた姿みたいな。だから、頑張るよ。あのダンス」
「それだけじゃあまっちょろいんだよボケ。やるんならもっとな、ビシバシとやんねぇとな……」
「さすがは肉食の大定番の2人じゃ。やっぱりダイエット法に体力を使わせるのう」
 勝手に進むダイエット計画に、悪寒を覚えたさと子は、逃げるように職場へと走って行った。
「あ、待て!」
 さと子の逃亡にすぐ気付いたスーさんは、ハンちゃんと神様の手を引っ張ってさと子を追いかけた。

「何事にも良いことと悪いことがあるものだけど、この魔法も意外と厄介ね……」
 3日間3食ハンバーグにしていたのは、仕事中もお利口さんなハンちゃんが大人しくしてくれるのも理由の一つだった。料理はバラエティ豊かな方が良いのは勿論だが、あまり多くの人間が職場にまで来て傍で騒がれでもしたら。今回は勇気を出して一緒にステーキも入れてみたが、案の定この結果だ。茶々を入れられ、しまいには大人しかったハンちゃんもスーさんや神様と会話をしているので困った。だが、何時もハンちゃんを一人で待たせてるよりは退屈させなくなって良かったかなと思いもする。
「さと子」
 名前を呼ばれ、振り返ると、別の科にいるはずの達海がいた。
「達海? もう休憩入ったんだ。早いなー。私まだまだ無理そう」
「やっぱり調子悪そうだな。これ、チョコレートドリンクと、ほうれんそうのおひたし。コンビニで売ってるの買ってきた。お前、言っても実行しなさそうだったから。幾ら痩せるって言っても、適度には甘いのもな。あとお前、肉以外ももっと食べろよ」
「有難う。早速これ飲むよ。おひたしは休憩入ったら頂くね」
 職場になると、休憩時間以外はどうしても職場のコーヒーを飲みがちだったが、チョコレートドリンクか。なかなか飲みそうで飲まない飲み物の差し入れだった。ストローを刺して飲むと、濃厚な甘味がスッと頭の痛みを和らげる。魔法みたいに頭が冴えてきた。
「よしっ、これならいけそう!!」
 さと子はパソコンの画面にかじりつくと、今までの倍速のスピードでキーボードを打っていった。その姿に、のんきな3人組も思わず黙って見つめて感心していた。

 何時もの休憩よりかなり遅くなるのではないかとヒヤヒヤしていたさと子だが、達海の粋な差し入れによって事態を免れた。
「甘いものって仕事中あまり食べたことなかったけど、こんなに簡単に頭の痛みがすっとんでっちゃうのね。食べ物だとまた運動する量が増えちゃうけど、飲み物は大丈夫なら良いなぁ」
「まぁ、やっぱり俺達も甘味みたいなの癒しの魅力は持ってねーからなぁ。そのうちデザートも食ったらどうだ? 人柄も結構面白いぞ。な?」
「うん。甘いお菓子はダイエット考案とか、動くのは苦手だけど、ダイエットに疲れた時に気分転換になること提案してくれると思うよ」
「じゃな。それはそうと、早速達海から貰ったおひたしのふたを開けてみなさい。また新たな仲間が出てくるじゃろうて」
 職場の中で新たな出会いか。あまり面倒なのが出てくると幾ら人手の少ない場所で食べていても怪しまれるかもしれない。気が進まないが、折角達海が心配して買ってくれた物だ。今食べなくては意味がない。おひたしの入っている入れ物のふたを開けた。

 その瞬間、閉じ込められていた人間が出てきたかのように、中のおひたしが消え、向かいの席に深緑色の髪の青年が座っていた。首元には茶色く薄っぺらい鰹節のファーをしていて、黄緑から白いグラデーションをした着物を綺麗に着こなしている。茶道でもやっていそうな、真っ白で王子様的顔立ちをしており、達海よりも長いまつ毛が目を引く。
「こんにちは、さと子さん」
「こんにちは。貴方がおひたし? キラキラしてるしおしとやかそうで、どっちかと言うと抹茶みたいな子ね。きれー」
 初対面から好感触を持つさと子を、スーさんが睨む。
「んだよ、俺にはそんなこと一切言わなかったくせによ」
「ふふっ、よく言われます。抹茶とは友人ですが……意外に思うかもしれませんが、抹茶はもっと渋い奴なのですよ。野菜料理の中でも、私はおひたし専門なのです」
「おひたし専門? ハンちゃんやスーさんみたいに1個担当じゃないんだ」
 ハンちゃんやスーさんと違うキャラクターの登場に、好奇心が抑えられないさと子。あまりの食い付きように、ハンちゃんも少し寂しそうだ。そんなハンちゃんの頭を撫で、神様が空いている横の席に座った。
「そらそうじゃ。おひたしには白菜とかもあるじゃろう? それ一つ一つに人が付いておったら、ダイエットをする方だって大変じゃろう。だから、ポピュラーな食べ物は1個につき1人としているが、おひたしや漬物みたいなどちらかと言うと料理のわき役を飾り、且つたくさん入れやすい料理はその料理のジャンルでひとくくりしておるのじゃ」
「確かにね。ハンちゃんやスーさんはファミレスのツートップ肉料理だから。でも、ひたし様がおひたし担当だったら、これからおひたしばっかり作っちゃいそう」
「様なんて、大変おこがましいです。彼等の様に可愛い愛称で呼んで下さいませ」
「うーん。でも、品があるから様って感じだなぁ。それも一つのあだ名だから」
 ひたし様は少し引っかかりがあるようだったが、少し考えて納得すると、「宜しくお願い致します。さと子様」と呼び方を真似て笑った。