「私、どうかしちゃったのかしら」
 目をこすって、再度青年を見るが、ハンバーグに戻る気配も無い。むしろ、目の前にいる等身大の男性はビクビクと震えてさと子を見ていた。
「何ですか? コレ」
 さと子の質問に、待ってましたと言わんばかりの神様は、前のめりになってさと子に話だした。
「さと子よ、お前のあの同僚への思いと、逆に同僚からの思いを汲み、魔法をかけさせていただいた。その名も、グーグーダイエットじゃ!!」
「グーグーダイエット?」
「そうじゃ。お前はきっと、此処で食事を制限したところで、別のところできっと食べ始めてしまうじゃろう。だからこそ、その元を食べづらくしなければならないと思ったのだ。よって、食べ物が人に代わる様にした。しかし、ダイエットに嫌気がささんようにイケメンにしてやったと言うところじゃな。どうじゃ、何か嬉しくないか?」
 さと子は改めて青年を見る。小麦色に焼けている割に、自分とは真逆のか細い体をしているが、目がくりっとしていてとても可愛いタイプのイケメンだ。しかし、神様が間に入っても尚、ハンバーグだった青年の怯え様は変わらない。
「あの」
「ひぃぃっ」
 青年は涙目でさと子を見て首を振る。あまりの怯え様に困惑するさと子。青年の代わりに、神様が話をした。
「ううむ。わざわざ料理を指定しなかった此方も悪いが、初めてでハンバーグを選ぶとはなぁ。ワシは今までもたまにお前みたいなヤツにグーグーダイエットを考案してきたのじゃがな、その中のごく少数が本当に食べようとするヤツもおったのじゃ。この魔法をした上で食べると言う行為は、つまり多少身の危険もある……」
 と、言ったところで、青年が叫び声を上げて両手を耳に当てるとうずくまってしまった。この神様、喋りすぎ。さと子は神様を睨みつけると、神様はウインクをしながら両手を合わせた。とんだマセじじである。
「だ、大丈夫?」
 さと子が手を伸ばして頭を撫でようとしたが、青年は気配に気づくと急いで部屋の片隅へと移動した。余程酷いことをされたらしい。さと子も思わず同情する。ただし、相手はハンバーグである。
「さと子よ、ワシはあくまでも考案し、魔法をかけるまでが役割じゃ。お前がこの魔法をどう使うかは自由だが、なるべく人の道を外れないようにな」
「あ、ちょっと」
 神様はよっこらせと立ち上がると、まばゆい光を発してさと子の目をくらませてその姿を消した。深い傷を持ち過ぎている青年と、自分1人を取り残すなよ。そう言いたかったが、青年が同じ空間にいる以上、それもままならなかった。
 ぐ~っ。でかい音でお腹が鳴った。デブの性が恨めしい。青年が思わずさと子の方を見た。2人の目が一瞬合い、青年はすぐ逸らして全身を震わせた。ああ、完全にまた壁を1つ増やされた。
「ごめんなさい。貴方は食べないから、違うのを」
「だ、駄目!」
「え?」
 振り返ると、また青年と目が合った。そしてまたすぐに逸らされた。だが、気の弱い声は続いた。
「食べ物には、全部いる。友達とか、仲間とか。だから止めて……下さい。お願いします」
 青年はうずくまっていた体を動かすと、額を地面に付けてまで土下座をした。さっきまであんなのに弱々しく怯えていた青年が、仲間を思って必死に頭を下げている。それはつまり、仲間も少なからず彼と同じ経験を受けていると言うことなのだろう。彼の悲壮ある姿に、さと子も感じざるを得なかった。
 頭を下げる青年の元まで歩いて行き、その場にあぐらをかいて座り込む。あまりにも太り過ぎてしゃがむと言う行為が出来無いのだ。それはさておき、突然近寄ってきたさと子を青年は涙目で見上げた。だが、もう逃げはしない。仲間のことをかばっているのだ。最悪、自分が犠牲になってでも。
「私こそ、ごめんなさい。駄目ね、食べ物を見るとどうしても食べたくなっちゃうの。一応痩せようとは思ってるんだけど、どうしても誘惑に勝てなくなっちゃって。しまいには今まで仲良くしてくれた同僚にまで、これ以上太ったらもう話さないって突き放されちゃって。……それでも、痩せようって強く思えない自分が憎たらしい」
 さと子の言葉に、青年の目の色が少し変わった。地面に這いつくばるようにくっつけていた体を、少しずつ起き上がらせていく。
「神様の提案、意味分かんないけど、私には良い薬かもね。ねぇ、変なことはしないからさ、その代わりに少し手伝ってもらえないかな」
 青年はまだ信用しきれない様子だったが、さと子の真直ぐな瞳を見ると、僅かに震えながら頷いた。

 場所を変え、2人は広めの公園にいた。さと子はちょんまげヘアに、赤いジャージを着て、運動の準備も完璧だ。
「お願い!」
 さと子の声を合図に、青年はさと子持参のスマートフォンの画面を押した。聞きなれたゆったりとした曲調は、夏休みの早朝、子供達がするであろうあのラジオ体操の音楽だ。
「それっ! いっち、にー」
 太く、短い手足を必死に動かすさと子だが、数個の手順を終えた頃からすでに息が切れてきている。汗も滝のように流れており、とても見ていられる顔ではなくなっているが、青年は真剣な顔つきで、頑張る彼女をじっと見つめていた。
「……ああ、もう駄目っ!」
 荒い息使いで、動きも曲に合わない程ズレるさと子。その場に座ろうと体を丸めた。
「頑張って!」
 1歩2歩とさと子に近づいてくると、青年はさと子の腕を掴んで引っ張り、立ち上がらせた。さと子が驚いて青年を見ていたが、青年はスマートフォンを地面に置くと、ラジオ体操を始めた。それは言わなくとも分かる、青年なりの優しさだった。さと子も慌てて青年の動きを真似る。不思議と、隣に彼がいることでスピードも遅れなくなった。
 ラジオ体操が終わると、さと子は大きく溜息を吐き、足を広げてその場に座った。ラジオ体操1つに、この疲れようである。
「お疲れ様、頑張ったね!」
 青年は、さと子にスポーツドリンクを手渡した。礼を言うと、すぐにスポーツドリンクを飲みほし、一息ついた後青年に顔を向ける。
「ううん。ハンちゃんがいなかったら絶対無理だったよ」
「ハンちゃん?」
「ハンバーグでしょ? だからハンちゃん。くんの方が良かった?」
 当然のように言うさと子に、青年は数十秒固まっていたが、やがて嬉しそうに首を振った。
「ううん、それでいい。有難う、サトちゃん!」
 2人は手を取り合って喜びを分かち合い、家へと帰って行った。

 家へ着き、さと子が着替えようと部屋を移動しようとすると、ハンちゃんが声をかけた。
「サトちゃん、お疲れ様。よく頑張ったね。神様から許可も貰ったから、寂しいけど元に戻るね。お腹すいたでしょ? 戻ったら食べちゃって良いからね」
「ん? それってどういう……」
 さと子は目を疑った。目の前にいたはずのかっこいいハンちゃんが、ポンッと音を立てると、テーブルの上にはさと子が作った時のハンバーグが戻っていたからだ。
「え、えっ!?」
 テーブルに近寄り、ハンバーグをじっと見つめる。一応他の部屋を全て確認してみたが、ハンちゃんの姿は無い。
 さと子が茫然としていると、またもやまばゆい光が現れ、光の先を見る。いたのはやはりあの老人だった。
「ラジオ体操だけであの盛り上がりには正直ガックリじゃが、ハンバーグの心を少しでも癒した。その部分は評価してやるぞ。さぁ、思う存分食べなさい」
 などと言うが、先程まで友達のように仲良くしていた青年が、食べ物に戻ってしまったものを食えるだろうか。さと子はしばし見つめていた。
「安心せい。アイツは確かにハンバーグだが、今はハンバーグの中におらん」
「じゃあ彼ってどうなってるの?」
「彼はハンバーグ担当の……まぁ、妖精みたいなモンじゃ。だから、またハンバーグを作ったら、その時はまた会える。だから安心して食べなさい」
 どうしても実感が湧かず、ハンバーグを見つめる。だが、お腹が鳴ると、その匂い、見た目の誘惑に耐えられず、「ごめん、いただきます!」とハンバーグを一気に食べつくした。
 ほどけるお肉、溢れ出る肉汁、ほくほくとした野菜たち。美味しくて、でも大切な存在を、しっかりと噛みしめる。今まで、食べ物をこんなに味わったこと無かったな。肉ばかりが美味しいって思ってたけど、野菜も甘くてこんなに美味しいんだ。ゆっくりと何度も噛むと、不思議とお腹も心も満腹感で幸せな気持ちになった。頬に手を当て、「う~ん!」と喜びの声を上げる。頑張った後の料理ってこんなにも美味しいんだ、と。
「どうじゃ? 少しは変わった気がするか?」
「はい。1人じゃ続かないかもしれないけど、応援してくれる仲間がいるなら、頑張れそう。それに何より、ハンバーグって、こんなに美味しいんですね!!」
「うむ。今度ハンバーグに会ったらそう言ってやりなさい。きっと彼も喜ぶだろう。では、これからも精進したまえ!」
 そう言い残すと、神様はまばゆい光の中に姿を消した。
「ご馳走様でした」
 両手を合わせ、彼への敬意も払いしっかりと頭を下げる。何時もなら更に料理を作るところだが、今日はもうお腹がいっぱいだ。食器を洗い、風呂へ入ると、床へ着いて就寝した。

――現在の体重101キロ