起床すると、さと子は作り置きしていた茹で野菜を取り出した。それを本日のメニューにそって作り始める。もはやおひたしを作ることが当たり前になっている。
「さと子様さと子様! 先日はどうも有難う御座いました!!」
「ん? 何が?」
 ひたし様は懐から紫色のボタンを取りだした。
「え、コレもしかして押し入れにあったボタン?」
「はい! ちょっと先日お守り代わりにしまして……ですが、あのまま持ち帰ったところ、他の食べ物達の注目の的になってしまいました! くぅ~、この優越感!! おひたしめ初の経験でした!!!」
 やはり、実はかなりの目立ちたがり屋らしい。さと子は微笑む。
「別に良いけどさ、あんまり優越感ばかりに浸りに行っちゃ駄目よ。人間さ、素直で謙虚な方が愛されるんだから」
 さと子はひたし様を諭し、頭を撫でた。申し訳なくなったひたし様は、「ご、ごめんなさい!」と頭を下げた。さと子は、「いいのいいの」と笑った。
「そう言えばそのボタン、確か私のじゃ無かったんだよなぁ……誰のだっけ」
 このボタンを発見したのは押し入れの中だった。もし彼女の消耗品なら、タンスの中にでも転がりこんでいるだろう。押し入れにそのまま入れておくガサツさも気になるが、とりあえず其処は置いておこう。
 さと子は完成おひたしを皿に移し、次にフライパンに油を敷く。
「本日も肉料理ですか?」
「ううん、ほら、昨日帰り際に達海に言われたじゃない? もっと魚も食えってさ」

 先日、直人の件で散々振り回された後、喫茶店で達海と別れる時のことである。
「お前さ、魚は食おうって思わないの?」
「え? 前食べたよ、お鍋に入れて」
「ふぅん。それ以外は?」
「いや……無い、なぁ。最近は」
「魚もたまには食ったらどうだ? よく言うだろ、頭良くなるって。お前はもともと賢いけどさ、たまには味を変える感覚で違う食べ物も食えよ。体に良いから」
 なんてことを言われ、達海と別れたのだ。

 DHAが入ってるとよく聞くのは、光りものの青魚だ。さと子はとことん運の悪い道中を耐えながらも、帰りにスーパーへ寄ってサバを買ってきていた。サバを綺麗に下ろし、それをフライパンの中に入れて焼く。その間を利用して大根おろしを作り、長方形の皿を用意するとその中にちょこんと乗せた。サバも完成し、更に乗せ、あとはみょうがをのせるだけ。サバとお米とおひたしで、如何にも和風な朝食だ。
「そう言えば、ご飯って人いないよね。ちょっと意外だったんだけどさ」
「ええ。ご飯は誰もが食べるでしょう? さと子様は最近具材が増える度に人が多くて若干感じていらっしゃるかも知れませんが、人が多いとそれだけ賑やかになって、大変な方は大変なのですよ。案外おかずが多いと一部のおかずが嫉妬してたりしますしね。ですから、誰もが食べるお米オンリーには誰も付かないのです。おにぎりはいますけどね」
 確かに、最近人が多くて少し戸惑うことはある。それも、スーさんやなべ姉のようなよく喋る人ばかりになれば……幼稚園の先生の気持ちが少し分かるような気がする。
「ですが、同じ素材でも、焼けば料理です。チャーハンや、卵焼き、もちろん焼き魚もですね。そろそろいらっしゃるんじゃないですか? 彼が」
 予測通り、焼き魚が消えると、上は灰色と赤色のパーカーを着、下は青いジーパンを履いた銀色の髪の男子が現れた。珍しくラフな格好の男子だ。
「お……はよう、御座います……」
 一言口にすると、そのまま目を閉じて体が傾いて行く。さと子は慌てて彼を支えた。
「彼、何時もこう……無気力なんです。無気力なんてダイエットどころか勉強にも天敵ですよ。それなのにどうして焼き魚専門なのでしょう?」
「謎ね……で、彼は何をしたら料理に戻ってくれるの?」
「どうでしょう。私も魚とはあまり話さないので。ましてや、彼は寝ますし」
「えーっ」
 さと子のお腹が鳴る。今日は休日なので、時間の問題は無いのだが、さと子のお腹の方にタイムリミットが来ている。
「困ったなぁ」
 2人が困り果てていると、薄らと目を開いた男子が紫色のボタンを見るや否や、ボタンの元へと近寄ってそれをぼーっとした目で見つめた。
「これ、誰の?」
「え? それが覚えて無いの。誰だっけなぁ」
 考えると、お腹が空いてきた。グーッと大きくお腹が鳴ると、男子はひたし様の方をじーっと見る。
「食べられて」
「えーっ!!?」
 理不尽な言葉に、珍しく高いテンションで驚くひたし様。それでも尚、男子は視線を逸らさない。そして一言。
「何時も会ってるでしょ」
 冷静な正論に、ひたし様も言葉を返せない。仕方なく、元の料理に戻った。ついでに消えていた米も戻り、さと子は両手を合わせ、「申し訳ない!」と料理を食べた。
「うっま!! 本当はサバと一緒に食べて、サバの脂身を、おひたしの水気で薄めようとか思ってたんだけどね」
「それも一つの食べ方だよね。でも、とりあえず今はサバ、我慢して。気になること解決しないと料理に戻りたくないタチだから……」
「それはなかなか面倒ねぇ」
「うん、お前は寝てるか頭使うかだな。面倒だなって言われる。多分、嫌われてるんじゃないかな。みんなから」
 男子は気だるげに言った。そんな重要なことですらどうでも良さそうな顔をしているが、きっと心の奥底で引っかかっているから、そんなことを話すのだろう。
「ふぅん。でも、あのメンバーのことだから、それは愛情とか優しさで言ってるんじゃない? 私の知ってる限りの出会った食べ物は、みんな優しい子達ばっかりだったよ」
 はにかむと、口を尖らせて目を逸らした。見た目から薄々雰囲気が漂っていたが、やはり現在、丁度反抗期の真っただ中らしい。
「もう、ツンツンしないのねむたろう!」
「ねむたろう?」
「君のことでしょ? 常に眠そうな」
「魚がかかって無いけど」
 さと子のあだ名に不服そうな男子。だが、ずっとこの話をだらだらと喋るわけにもいかないので、ボタンのことに話を戻す。
「あのボタン、自分のじゃないんでしょ?」
「うん。結構昔のだったんじゃないかなぁ。全然記憶に無いくらいだから。それに、私今まであんな濃い紫色の服、多分着て無いから」
「じゃあ、誰かのだね。大きさはそんなに大きく無かったな。普通のシャツくらいの」
「そうねぇ。特別汚れてもないし。押し入れに入ってたから、意外と大事なものなのかなぁ」
 さと子はボタンを指先で持ち、じっと見つめる。ねむたろうも視線はさと子の指先にある。
「マンション、何時から住んでるの?」
「えっと……こっちに上京したのと同時だから、5年前かな。あ、そうそう! このボタン、上京してからしばらくして、親に食べ物とか送ってもらった時に段ボールに入ってたんだ」
「じゃあ、家族のもの?」
「かなぁ? でも、うちの親もこんな濃い紫色の服着てるの見たこと無かったけどなぁ」
 2人の間に沈黙。さと子は一度頷くと、両手を天井に向けて伸ばした。
「まぁいいや」
「電話して」
 両手を上げながら、思わずさと子はねむたろうを見る。ねむたろうは一ミリも笑わない。
「気になっちゃった。電話して、親に」
「え~……でもさ、親だってこんなボタン覚えてるかなぁ」
「もしかしたら、夫婦の思い出の品かもしれない」
「ん? 意外と優しいんだね」
 さと子が嬉しそうに言うと、途端にねむたろうはムスッとした顔つきに戻る。
「モヤモヤした謎を解きたいだけ」
「もっと素直になっても良いと思うんだけどなぁ。アレでしょ、寝てるフリして実はみんなの話誰よりも聞いてるタイプでしょ? で、もっとお話ししたいけど、恥ずかしくって輪に入れないんだ」
 図星だったのか、ねむたろうは徐々に無気力な表情に戻ると、ゆっくりと目を閉じた。
「仕方ないなぁ。親に電話するかな」
 ……が、さと子の独り言に反応すると、片目を開いた。
「ほら」
 そこをさと子に見つかってしまい、さと子はふふっと優しく笑う。さと子には勝てないと察したねむたろうは、無言で立ち上がると受話器を持ったさと子の真後ろに移動した。