「お前ってさ、家畜みたいだよな。これ以上太ると、さすがに見てられないぞ」
 それはあまりにも唐突で、稲妻が直接当たったかのような一言だった。まつ毛の長く、そこらのOLより余程麗しさのあるイケメン同僚こと達海(たつみ)は、いとも簡単に言い放ったのだ。今まで彼に何度も突き放されていたさと子も、あまりの言葉に手に持っていたコロッケをその場に落としてしまった。
「今、100キロあるんだろ? もうさばかれても良いくらいじゃねぇか。仕事の腕は認めるけどさ、これ以上は勘弁してくれよ」
 続けざまに言い放つ、冷徹な言葉の数々。近くにいた社員も、達海の言葉に思わず吹きだした。達海の冷たい表情と、周りの含み笑いは、さすがのさと子でも拷問のようだった。
「これ以上太ったら、もう仕事の話も無しだ。それじゃあ、とりあえず今日はこれで」
 何のフォローも無しに、達海は颯爽と去って行った。ただただ傷つけられたさと子は、思わずトイレへと駆け込んで個室の中で泣き続けた。ハンバーガーを食べながら。

「……くっそう。痩せてやる!」
 家へ帰ったさと子は、前髪をちょんまげの様にゴムで結って机に向かった。机の上にあるのは、一枚のコピー用紙と鉛筆と消しゴム。鉛筆を手に取ると、円を描いてグラフを作る。まずは起床し、歯磨きをし、料理を作る。職場へ行って仕事をした後、帰ってきたらお風呂に入り、料理を作ると、テレビを見て寝る。そこまで割り振りをすると、さと子は頭を抱えた。
「どうしよう、ダイエットをする時間が無いわ」
 そんなわけがあるはずが無い。この状況を見ていれば、誰か彼かは確実に突っ込んでくれるだろう。グラフの占める割合は、寝る時間と仕事の時間と、料理を作って食べる間の時間だ。料理に2時間かけ、食事に2時間かけるのだ。それを半分にすることくらいは出来そうなものなのだが、さと子にその発想は微塵もない。何せ、食事は彼女の唯一の生きがいで、2時間かけて作る料理は、合計7品ある。それも殆どが肉料理だ。この体型になる理由も頷ける。
「はーっ。考え事したら疲れてきたな。こう言う時はご飯食べないとね」
 結局、さと子は意味の無いらくがきだけをして、後は何時も通りに食事を平らげて一日を終えてしまった。

 翌日、さと子は昨日のことなどけろりと忘れて達海に挨拶をした。達海も気にせず挨拶を返す。だが、目線はさと子のだらしない体型を見つめていた。
「ダイエット、したか?」
「ううん? でも大丈夫。計画表書いたから、これからすぐ変わってくわ!」
「あっそう。まぁ頑張って」
 ペパーミントの様な男だと思っていたが、どうやら見くびっていたらしい。彼の冷たさはハッカなのだ。彼の蔑みの瞳で、さと子はやっと気づいた。ばくだんおにぎりを食べながら。

「うーん、どうしてあの人は私にだけあんなに冷たいのかしら」
 家に帰り、さと子はテレビ番組を見ながら考えていた。目の前でダイエットのコーナーをしているのに、全く聞く耳を持たない。
「考えてたらお腹すいてきちゃった。さて、食べますか」
 ほふく前進をして冷蔵庫まで向かい、冷蔵庫の扉を開いた。
 その瞬間、冷たいハッカの様なスーッとする風がさと子を襲った。その顔面は余分な肉がバチンバチンとぶつかり合い、とても見ていられない映像になっていた。
「な、何!?」
 しばらくして風が止むと、さと子は目を点にして冷蔵庫の中を見る。どうしたことか、中身は何一つ乱れていない。不思議そうにさと子が顔をうずめて中を見ていると、無防備になった大きな尻にべチンッ! と誰かが手で叩いた。
 さと子は鼻息を荒くして振り返ると、そこには何と、真っ白な髭を生やした、如何にもと言った姿の光をまとった老人がいる。
「誰っ!?」
「大体見たら分かるじゃろう。神様じゃ」
「か、神様!?」
 さと子は更に鼻息を荒くして老人に近寄る。老人はギョッとして、思わず一歩後ずさる。
「そんなに近寄らんでいい。それよりお前、その体たらくは一体なんじゃ」
 自称神様の老人の問いに、さと子は首をかしげた。さと子の理解の悪さに、神様も思わずずっこける。
「オイ嘘じゃろう。何でわからんのじゃ。だってお前、その体じゃぞ?」
「え、え、何? 私何かの病気なの?」
「違うわっ! お主の体重じゃよ!! 分かるじゃろうこのデブ!!!」
 神様に言われ、さと子は自分の下半身を見る。そして、数分後に、「ああ」と一言呟いた。呆れかえった神様は、その場に座り込んでしまった。
「お前な、同僚の男にせっかく痩せるチャンスを貰ったのじゃぞ? それをみすみす逃す馬鹿がいるか? それも、相手はあのイケメンなんじゃぞ? いるとしたら、女じゃないわ!」
「ひ、酷いじゃないですか! そりゃあ、私だって痩せる気はありますよ? けど、目の前に美味しそうなご飯があったらつい手が……」
 と、手を伸ばすさと子の目元はニヤケ、口元からはよだれが垂れている。あまりにも醜い顔つきに、神様は一発ビンタを食らわすと、近くにあったシンクで手を洗った。
「こりゃあ重症じゃな。一筋縄ではいかなそうだ。お前、本当に痩せる気があるのか?」
「ありますよ! そりゃあ、あの人に言われちゃったらさ……」
「おおっ? お前、あの男のことが好きなのか?」
 食い付きの良くなるジジイにウッと顔をしかめるさと子。頬が少し赤くなり、やっと女性らしさを一つ見せた。気まずそうに人差指で頬を掻きながら、神様に話し始めた。
「こんな私に、見た目とか気にしないで唯一話しかけてくれたのが、彼なんです。彼は、能力とか人柄だけ見てるから……だから、今回言われたことは本当にショックで」
 さと子の言葉に、嬉しそうに頷く神様。やがて唸り声を上げると、両手をグッドサインにしてさと子に向ける。
「良いではないか、良いではないか! それでこそ乙女だ!! よし、その思いに免じて今回は少し手伝ってやろう」
「手伝う?」
 首をかしげるさと子に、まぁまぁと神様は涼しげな顔をして仁王立ちする。
「まずは何でも良いから料理を作ってみなさい、さと子よ」
「は、はい! やったぁ!!」
 さと子は急いで冷蔵庫の中の食材を取り出し、調理場に乗っけ出した。その量は、さすが2時間かかるだけのことはある。予想外の量に慌てた神様は、「チョイ待ち!」と両手を伸ばした。
「ま、まずは一品だけ作ってみなさい。ほら、一気に作らなくても後で作ればいいでしょう? ね?」
 幼子に言い聞かせるかのようにさと子に言う神様。さと子はきょとんとした顔をしながらも、一つ頷くと、泣く泣く食材を減らしていった。
 結果、残ったのはひき肉、玉ねぎ、パン粉、卵、後は盛りつけの野菜とデミグラスソースのたれ。ハンバーグの材料だ。しかし、他の材料を減らした分、ひき肉の量がかなり増えた。こればかりは神様も諦めたのか、もう何もつっこまない。
「さぁ、まずはお前の大好きな料理だ。存分に楽しみなさい」
「わぁーい! ガッツリ食べるぞー!!」
 料理を一つに絞ったこともあり、いつもの4分の1程で料理が完成した。これにはさと子も両手を叩いて喜んだ。ハンバーグとコメとコーラをテーブルに乗せ、準備は万端。両手を合わせて、「いただきます!!」と言った瞬間のことだった。
 目の前に会った肉汁あふれるハンバーグが、こんがりと小麦肌に焼けた金髪の、かっこいい青年へと変わってしまったのだ。服は、備えてあったニンジン、ポテト、ブロッコリー、コーンの配色になっていて、鉄板柄のリュックを背負っている。あまりの変化に、垂らしていたよだれがそのまま絨毯に落ちてしまった。

――現在の体重102キロ