「あぁ、あなたが出来損ないの…」。
小3の秋、眉をひそめたその人から僕が最初に掛けられた言葉だ。
僕の母さんは僕が小学校へあがる少し前に病気で死んだ。
父さんはそれから仕事をしながら、どんな忙しい時だって僕が寝るまで食事からお風呂から学校の宿題まで、必ず相手をしてくれた。
でも僕は知っていた。
僕が寝たあとに母さんの仏壇の前で毎日背中を丸める弱々しい父さんを。
そんな父さんが新しいお母さんを迎えてもいいかと、不安そうにけれど照れて嬉しそうに僕に聞くものだから、僕はあまり考える間を開けずに「いいよ」と言った。
ほんとは母さんを忘れなきゃいけないような気がして、前向きには考えられなかったが、残業で疲れても無理して笑ってる父さんや、時々ものすごいドジを踏んでしまう父さんや、アイロンのかかっていないシャツで会社へ行く父さんを見ていると、そのほうがいいと思えたのだ。
しかしそれは今、ほぼ絶望に変わった。
はっきりした顔立ちにさらに拍車をかけるような濃い化粧をしたそのおばさんは、最初からイライラしているのかつんけんどんな態度で僕に出来損ないだと言い放ったのだ。
「うちの子は君と同い年だけど、自分と同じだとは思わないでちょうだいね。学校が同じじゃなくて本当に良かったわ。」
向こうにも僕と同い年の娘がいて、後で父さんに聞いた話だと離婚して母子家庭だったみたいだけど、その元旦那さんを見返すためにものすごいプライドと意地でやってきたみたいだ。
その娘は近所でも有名な私立の小学校に通っていて、つまり僕と同等だと思うなということらしい。
想像していたこととあまりに違いすぎて父さんに目で訴えたが、惚れた弱みか困った顔で苦笑いしながら頭を掻く以外なかった。
すると小さな声があがった。
「小柳奏です。匠くんと同じ小学校3年生です。今日からお世話になります。」
母とは似つかないおっとりして柔らかいキャラクターに、僕はまた混乱する。
だけど奏はきちんとしていて礼儀正しく、第一印象から確かにいい子だった。
「伊藤匠です。よろしく。」
僕が奏に続くように少し頭を下げると、納得いかないというようにすかさず睨むおばさんと、嬉しそうに微笑む奏。
親子でここまで違うとは…。
夕飯は人数が増えたのに、賑やかになるどころか重たい空気が流れていた。
そんなチグハグの同居生活が始まって数日でわかったことだけど、おばさんは奏以外の子どもを自分の子どもとして受け入れる気はさらさらなかったようだ。
ただ、父さんを好きでいてくれてるようだったので、どんなに憎い人であろうと何も言わないようにした。
食事の時間は全員揃うのがルールだったが、それは苦痛で仕方なかった。
毎日毎日おばさんは奏の自慢話をしては僕と比べ、奏も母には逆らえないといった感じで、父さんも好きな新しい奥さんの手前話を合わせて、奏を褒めちぎった。
僕はいてもいなくても変わらない空気みたいになった。
にも関わらず門限を破って夕飯に間に合わないと、それはそれで怒られたのでその時間には帰った。
僕には気持ちのやり場も、自分の居場所もない気がしていた。
学校が終わってからはなるべく友だちと遊んで夕飯ギリギリに帰る生活が続いた。
そんなある日、偶然にもみんなに予定が入っていて道草を食わずに帰った。
「何回目だと思ってるの!!もうコンクールも近いのにガッカリさせるのもいい加減にしてちょうだい!!」
ピアノに向かう奏に怒鳴る母親。
あまり関わりたくない一心で自分の部屋にさっさと籠った。
けれど、その日を境に奏が怒鳴られる頻度は高くなっていった。
ほんとは奏が気になるが変に関わりたくないという自分とケンカして、なかなか近づけずにいたのだが、意外にも機会は早く来た。
ある夜、夜中に目がさめた僕はトイレへ行った。
すると奏のすすり泣く声が扉の向こうから聞こえた。
寝ている親に気づかれないよう、忍び足で奏に近づき、どうしたのか訳を聞いた。
考えれば一緒に住み始めてから親の目を気にしてまともに話したことがなかったから、最初こそぎこちなかったがすぐにその空気は自然に変わった。
奏は涙をぬいぐるみで隠すようにしながら話し始めた。
絶対音感なんてものには無縁の僕にはさっぱりチンプンカンプンなことだったが、鍵盤を3つ同時に鳴らしてどの音か当てるテストを落とし続けているらしい。
僕はそんなのはできないのが普通だと慰めたが、学校の聴力検査で引っかかった。
耳鼻科に行くと軽度の難聴との診断。
「お母さん、娘さんの耳を酷使しすぎましたね。今後同じ生活を続ければ娘さんの聴力は全く失われる危険があります。」
それが医師の言葉だったようで、原因は母親のスパルタだった。
このチグハグだった家庭がさらにガラガラと崩壊し始めた。
おばさんは全身全霊をかけて期待していた娘の難聴を受け入れられず、さらにそれが自分のせいだと言われたことで抜け殻のようになった。
今までの気迫と強さが嘘のようにメリハリのない生活を送り、家事もさっぱりしなくなり、少し父さんが話しかけるとヒステリーを起こした。
父さんもだんだん荒んだ生活リズムになり、僕たちの学費や給食費も滞り始めた。
全員揃えとあれほど言われていた夕飯もバラバラどころか菓子パンの日が増え、僕たちは限界を感じていた。
その日の夜11:00。
親が寝静まったのを見計らって奏の元へ。
豚の貯金箱を割って、2人のお小遣いの全財産を握りしめ、残り物の菓子パンをカバンに詰め込んで、ついに僕たちはこの地獄のような家から逃げた。
どこかわからないところへどこまでもどこまでも逃げた。
お化けでも出そうな森の中で力尽きて、手を繋いで眠った。
菓子パンも底を尽きたが、希望と思える光も差さず、このまま死ぬのだろうかと意識が遠のいた時、僕たちは知らない人に保護された。
結局奏の母はノイローゼとネグレクト、父さんも鬱病とのことで再び引き取られることはなかったので、僕たちは別々の養護施設で暮らすことになった。
僕たちは親の再婚という決断の中で、正直失ったもののほうが多い。
ただその中でできたきょうだいという関係は、不思議な絆となって今も息づいている。
高校生になった僕たちは文通からメールへと形を変えて、仲よく頻繁に連絡を取り合っている。
笑って生きていてくれれば、それでいい。
それでいいんだよ。