大学時代からの友人、山下一俊(やましたかずとし)に相談があると呼び出された。

俺達の行きつけの居酒屋で19時におちあう事になっていが俺は仕事で少し遅れて着いた。

俺は居酒屋の暖簾をくぐると一俊の顔を探す。

一俊は奥の座敷から顔を出し手を上げる。


「よっ!待たせたな?」


「いや、そんなに待ってないよ」


テーブルには生ビールとお通しの枝豆が置いてあったが、手はつけられていなかった。

ビールはすでに泡が消えていて運ばれて来て随分時間が立っているようだった。

一俊はなにか思いつめているようだった。


「どうした?」


「…辰次郎…俺店を出す事にした」


「店ってどんな店だ?」


「ニューハーフの店…」


一俊は小柄で、見た目もどっちかって言うと可愛らしい方だった。

大学時代には友達数人で女装大会などにふざけて出たら一俊は優勝した事もあった。

たが、それはふざけていた訳で本当に男が好きだとか、女装が好きだとかそういった訳じゃなかった。


「実は俺…今まで黙っていたけど…性同一性障害なんだ…」


「……」


話には聞いた事はあるがまさか一俊が…

それから一俊は一緒に店をやらないかと言ったが俺にはそんな障害も趣味も無い。

『じゃ出資してくれなか?』と一俊は頭を下げ頼んだ。

いろんな仕事に着いたが性同一性障害と言う事で好奇な目をむけられ長続きしないという事だった。

俺は、500万出資し名前だけ共同経営者と言う事になった。

しかし一俊は店をオープンさせた1年後交通事故で亡くなってしまった。

残された店は借金のあるニューハーフの店だった。

店にはオープン当初からクルリンリンというとてもニューハーフとは思えない可愛い子が居た。

他にも見た目はクリリンリン程ではないがそれなりの子も何人か居てお客さんもついていた。

俺は、不動産や株を持っていて仕事を辞めても食べるには困らなかった。

俺には蓄えもあったから借金を全額返済する事は出来たが、まぁ興味本位もあったのでそのまま仕事を辞め借金返済の為ニューハーフの店を引き継ぐ事にした。

あれから10年借金も完済した。

別に俺は、男が好きな訳でもない。

若い頃は女ともそれなりに遊んだがもうそれも飽きていた。

いまさら女に振り回されるのは懲り懲りだ。

それならこのまま楽しんでやっているのも良いかと思っている。

今日もいつものように着替えを済ませ出勤準備をしているとチャイムがなった。

ピンポンーピンポンー♪ ピンポンーピンポンー♪


「もう煩いわねー誰よー?」


扉を開けるとそこには知らない女が立っていた。

彼女は俺を見て目を真ん丸にして驚いている。

まぁ驚くわなぁ…

だがこの格好のときは源氏名になりきる。


「あ…あの今日、隣に引っ越して来た鈴木です。よろしくお願いします。あのこれ良かったら使って下さい」


なんだ引っ越しの挨拶か?今時珍しいじゃないか…


「これなーに?蕎麦じゃないのー?もう引っ越しの挨拶と言ったら引っ越し蕎麦よヤーねぇ〜」


「あの…杉下辰次郎さん…ですよね?」


彼女は表札と俺の顔を交互に見て確認する。

そして彼女は俺の姿を頭のてっぺんから足のつま先まで見ている。

こいつ結構失礼なやつだなぁ?

だが、俺も反対の立場だったら同じ事するかな?…




朝、店から帰ってくると出勤する彼女と玄関先やエレベーターホールで会うようになった。


「杉下さんおはようございます」


「おはよう、杉下は要らないからミチルで良いわよ」と言っても次の日も…そしてその次の日も…

彼女は「杉下さんおはようございます」と言う。

この格好で本名を呼ばれたくない。
そして終いには…


「杉下辰次郎さんおはよう」


「あはよう…ってフルネームで呼ばないで!!私はミチルって言ってるでしょう!ミチルよ!」


「ねぇ辰次郎さん本当はどっち?」


俺が本当のニューハーフじゃ無いって分かってるのか?…


「……ミチルよ!早く仕事行きなさいよ!」


「ふーんじゃ行ってきまーす」


こいつ、もう直ぐ50になる俺をからかってるのか?



数カ月が過ぎた頃タバコを切らしてコンビニに買いに出るとエレベーターホールでふらついている彼女が居た。


「おい!大丈夫か?」


彼女は熱で朦朧(もうろう)としているようだった。

しかたなく俺は彼女をおぶって部屋まで運んだ。


「おい!鞄あけるぞ、鍵開けるからな!」っと言っても返事はない。


彼女をベットに寝かすとタオルを濡らし額にあて冷やしてやった。

薬を飲む前に何かを食べさせなくてはと思い冷蔵庫を開けるが何も入っていなかった。……


「こいつ何食ってるんだ?」


仕方なく俺の部屋にある物で雑炊を作って持って来るとちょうど目を覚ましたようだった。


「起きたか?」


彼女は「誰?…」と弱々しい声で聞く。


彼女はいつも見る姿や声が違うから俺だと分からないようだ。


「ミチルよーミチル!」


声のトーンを上げて言うと、今度は聞き覚えのある声だった様で俺だと分かったようだ。

食事を済ませると彼女は薬を飲んだらすぐに眠りに就いた。

俺は暫くタオルで冷やしてやっていたが薬が効いてきたようで熱も下がったようだった。



翌日

「ママー新規のお客様よ!」


裏の更衣室に居たらクリリンリンの声で表に出てみると彼女が来ていた。


「美貴野ちゃんいらっしゃい」と彼女の隣に座る。


「あっびっくりした!辰次郎…じゃなくてミチルさんどこから出てきたんですか?」


「なに人の事バケモンが出たような顔で見ないでよ、ヤーねぇ〜」


彼女は凄く驚いて居るようだった。

まぁこの顔じゃ分からないでもないが…

彼女は食事をしていないと言うので俺は中の調理場に入ると鮭を焼きおにぎりと厚焼き卵を作って彼女に出してやると彼女は手を合わせ「いただきます」と言い美味しそうに食べてくれる。


「辰次郎…じゃなくてミチルさん」


「あんたさっきからわざと間違えてるでしょ?ヤーねぇ〜」


ったく…この女、俺をからかって面白いのかよ?


「昨日は有り難うございました。これ貰い物で申し訳ないんですけど、良かったら使って下さい」


へぇー律儀なところあるじゃんか?

彼女から渡された紙袋には基礎化粧品と【La lune】という雑誌が入っていた。

彼女は確か編集社に勤めてたよな?


「あら、これ美貴野ちゃんとこの雑誌?」


「今日、第一号が発売されたんです」


「ママ、こちら編集長なんですって凄いわよねぇそれ私にも見せて」


クリリンリンはそう言うと俺から雑誌を奪っていって他のニューハーフの子と見て騒いでいる。


「美貴野ちゃん貴女編集長だったの?」


「まぁ…一様この雑誌の編集長でして…」


へぇー凄いじゃないか?まぁ初めての雑誌が出たなら祝ってやるか?

シャンパンを持ってくるように言うと直ぐにポロンがドンペリを持って来た。

ポロンは外見ではクリリンリンと比べ物にならないが喋りは良くお客さんからも人気でうちの店のナンバー2のニューハーフなのだ。

彼女はアルコールが入ると別れた男の話をし始めた。

未練があるのやら無いのやら…女の酔っぱらいには困ったもんだ。

客じゃ無かったら相手なんぞしたくない。


「ねぇひどいでしょ?……私かわいそぅ…」


はいはい、彼女にはこれ以上飲ませないほうが良いようだっと思っていた矢先彼女は酔い潰れてしまった。


チッ!酔いつぶれやがって…仕方ない送って行くか?

クリリンリンに店を任せて彼女を家に送って行く事にした。




閉店時間になり店を閉め家に帰ると彼女の事が気になった。

あれだけ飲んでたから多分二日酔いだろ?

どうせまだ冷蔵庫が空だろ味噌汁でも作って持って行ってやるか?


ピンポンーピンポンー♪


彼女は「おはよう辰次郎どうしたの?」と首を傾げる。
昨夜の事は何も覚えていないようだった。


「ひょっとして辰次郎、昨日送って来てくれたの?」


「ミチルよ!仕方ないでしょ本当に世話が焼けるったらないわヤーねぇ〜」


「すいません…お世話お掛けしました」


彼女は小さくなって頭を下げた。

ハァー…


「あんたさぁ別れた男に未練がないなら堂々と結婚式出てやったら良いんじゃないか?」


自声で喋っている俺に彼女は驚いているようだが…
何だか彼女を放って置けなくて俺はマジに話していた。

あれから朝、会う事はなくなったが、痩せすぎてる彼女を放って置けなくて煮物を作った時はタッパーに入れて彼女の部屋のドアノブに掛けて置くようにした。

彼女からも空になった容器だけでは無く化粧品のサンプルや新商品を一緒に袋に入れて玄関のドアノブに掛けてくれる。

見かけによらず本当に律儀な奴だな、親の教育が良いんだろうな?



そして一ヶ月程した頃…


「ママー美貴野ちゃんよー!」


「美貴野ちゃんいらっしゃい、どうしたのその格好?うちでバイトする気にでもなったの?」


彼女がカクテルドレスで現れたのだ。

多分結婚式の帰りだろう?…蒼いドレスで彼女にとても似合っていた。


「なんで私がここでバイトするのよ?!私はオネェーじゃありません今日は結婚式だったの…」


なんだか元気が無いようだから人の幸せな姿を見て自分も結婚したくなったのかと思ったら違ったようだ。

また、元彼の事で悩んでるのか?…

未練がないなら綺麗な思い出にでもしたいのか?

フン! 笑わせるな!

現実はそんなに綺麗なものじゃないよ!

彼女は今日も飲み過ぎてるようだ。

また今夜も送って行かないとダメかよ…ハァー…ったく…


そして翌朝しじみの味噌汁を作ると、ラルマッタを持って彼女の部屋のチャイムを鳴らす。


ピンポンーピンポンー♪


「美貴野起きてるんでしょ?開けなさいよ!」


ドアのカギが開く音がしたのでドアを開けると彼女は玄関に土下座をしていた。

彼女は恐る恐る顔を上げ俺の顔を見る。
俺は、呆れて言葉が出ない…


「呆れて怒る気にもならないわ…しじみの味噌汁とラルマッタ!これ飲んで仕事行きなさい、じゃーね」


俺は、味噌汁とラルマッタを置いて彼女の部屋を出た。