(「えっと…どうしたらいいのかしら…」)

 エルティーナは、皆一緒に話し出す青年貴族達にタジタジだった。
 まるで甘い菓子に群がる蟻である…。
 殿方の視線が嫌、だとか。今の自分の姿は恥ずかしとか。今のエルティーナは、それどころではない!! 男性への嫌悪感は頭から抜けていた。

(「何!? 何!? 何!?
 この人達は、バカなの?? いっぺんに話されてもわからないし!! まったく聴き取れないし!!」)

 王宮と名のつく箱庭で生きるエルティーナにとって男性は、厳しく注意するようで何でもかんでも貢いでくるお父様。
 嫁ぎ先を必死に探してくれる優しい叔父様。
 自慢のお兄様。
 物腰穏やかな、宰相のクイン・メルタージュ侯爵。同じく物腰穏やかな、侯爵家次男キャット。
 そして、エルティーナの大好きなメルタージュ侯爵家長男アレン。
 ほどなのだ。皆が洗練された上品な人であり、エルティーナの言動を無視して話す…何てことは今までになかったのだ。


「少し、失礼するね」

 と男性にしては少し高めの声…がエルティーナの背後から聞こえてきた。

 彼の名は、レイモンド・フリゲルン伯爵。

 蕩けおちる甘さが香ってきそうなチョコレートブラウンの髪にブラウンの瞳。背が高めのエルティーナ(ヒールありだが…)と目線があまり変わらない。
 驚くくらい可愛らしい容姿であり、くるっと丸い楕円形の瞳は猫を連想させる。
 ただ、かなり一筋縄ではいかない、懐かせるのは至難の技。と思わせる雰囲気が見てとれた…。そこもフリゲルン伯爵が猫っぽいと言われている由縁であった。

 しかし、純粋培養されたエルティーナはそんな腹芸は、まったく、これっぽっちもわからないので、ただただフリゲルン伯爵は「殿方なのに可愛らしい!」と思う気持ちしかない。

 そうまさにエルティーナにとっては、新ジャンル。
 キャットも若干、フリゲルン伯爵よりではあるが…やはり、分類わけすると違う。
 エルティーナの知りうる男性は、騎士硬質系美丈夫。神の域、研ぎ澄まされた美しさ。である。
 アレンを筆頭に、エルティーナの周りは見事に騎士硬質系美丈夫。
 一番近くにいる女性であるお義姉様や、実は母親でさえそっち系…。

 フリゲルン伯爵は、エルティーナのまったく知らないタイプの殿方だった。
 そう、言うなれば人間らしい美しさの男であった。


 フリゲルン家は、王家に匹敵する長く続く名家である。
 五年前、不慮の事故で両親と妹が亡くなり、二十二歳という若さで伯爵家を継ぎ、その後投資に成功し、莫大な資金を手に入れた。
 若いのにやり手、と社交界では有名な人物だった。


 エルティーナはくるっと身体を回転させ、フリゲルン伯爵と目を合わせた。

「エルティーナ様。初めまして、僕はレイモンド・フリゲルン。
 伯爵の位をいただいております。いつまでも、棒立ちは疲れませんか? 美味しいワインでも飲みながら、風にあたりませんか?
 あっ。貴方達も良かったら一緒に行きましょう」


 レイモンドは、爽やかで、晴れやかな笑顔で言った。突然ふって湧いてき、厚かましく提案までしてきたこの男に一同呆気にとられる。
 静かになったエルティーナのまわり…行かないのであれば…と。
 レイモンド・フリゲルン伯爵はさらっと、エルティーナの手をとり歩き出した。
 青年貴族らと同じように呆気にとられたエルティーナ。強引ではあっても嫌な気持ちが全くしなかったので、そのまま手を引かれ歩き出した。


 その…一連の流れを。

 警備についていたアレンは、庭園の柱越しから静かに彼女たちを見ていた。
 フリゲルン伯爵に手を引かれ、歩いていくエルティーナを見て破顔する。

 鍛え上げられた肉体に、長身。白皙の肌。腰まである長い銀髪。アメジストの瞳。どうしても冷たく硬質な印象になってしまう、アレン。
 普段、アレンを知っている人がみたら、目を疑う、本当に柔らかい微笑みだった…。


「……兄上………」

 兄の本心を知っているはずの自分でさえ、アレンの気持ちが分からない…。

 エルティーナ様を見て、兄上ではない男が彼女に触れて、何故…、そんな優しい微笑みができるのか?
 自分の妻であるフルールに同じ事があったら…そんな風に微笑むなんて無理だ。
 兄はエルティーナ様の事を、妹としてしか、仕える主人としてか、思っていないのか…??

 そこまで思考し、キャットは己の間違いを即座に否定する。
 違う! 違う!! 違う!!! 違う!!!!

 キャットは脱線した己の疑問に喝を入れるため、拳を固く握りしめる。

 違う…そうじゃない…。兄上は、エルティーナ様を一人の女性として愛している。

 …それが…兄上の生きる理由だから…




 忘れもしない、十一年前のあの日。

 真っ青になった侍女に引きづられている、真っ裸になった可愛らしい容姿の少女。
 胸やら腹に白く濁ったハチミツのようにとろっとした液体が付着していて。
 汚れているのに、裸の少女は何故か楽しそうに笑っている…?
 ギョッとしながらも、少女から視線をはがす。
 実兄であるがほぼ寝たきりの為、兄と言えるほど交流がないが興味はあるので視線を兄に向けた。

 兄上は…泣きながら、笑っていた…。

 父上はそんな兄上の側で泣き崩れていた……。

 ベッドの上の兄上は、何も身につけていなかった…そして…。

 兄上の両手にはべっとりと白い液体がついていて…。

「大丈夫、大丈夫だ。何もなかった。何もなかった。何も見なかった。わかったな」
 と…父上に顔を掴まれての懇願は本当に、恐かった…。

 僕を抱きしめながら、嬉し泣きをする父上の肩ごしに見えた兄上。

 ベッドでうずくまっている、だから顔は見えない。ただ、気持ち悪いくらいにガリガリに痩せた白い背中が見えるだけ。
 子供のまま成長が止まっていると思っていた兄だが、思ってた以上に、男たる部位あそことあそこが異常にデカかった。
 己と比べても、明らかに兄の方が立派で驚愕した。

「………兄上も……男だったんだ……」

 あの時、僕が唯一口にした言葉…。

 もう、死を待つだけと言われていた兄上。
 生まれてからほとんど話した事のない…兄。
 そんな兄があの日から変わった…。
 なぜ。 今の姿になったか。
 なぜ。 騎士になったか。
 なぜ。 エルティーナ様と正反対の女性と付き合うのか。
 すべては。ただ…彼女の側に…いるためだ。


「…兄上…」

「……キャット、どうした? 思いつめた顔をして。浮気でもしに行くつもりか?? ほどほどにしておけよ」

 むかっ。

「浮気はしません! 兄上ほど僕は、もてませんしね。フルール、一人で十分です」

 くすっ。と笑う兄上の姿はやはり人とは思えない神がかった美しさがある。

「エルティーナ様、綺麗でしたよ。びっくりするくらい」

「ああ。見ていたから知っている」

「……会いに行かないんですか?」

「数時間前に会った」

「兄上! 数時間前、で・は・な・く、今、会いに行かないのか!? と僕は言っているんです」

「恐い顔をするな。私が大広間に入ると、若い男女のせっかくの出会いの場が、一気になくなる」
「…………」

 あまりの上から目線と言葉に絶句。しかし当たっているだけに苦々しい。


「男二人で、何をしているのかな?」

 突如澄んだ声が聞こえた。声の方に目を向けると、エリザベスがレオンと連れだって歩いてきた。

「アレン。今日の舞踏会は、バスメール国とスチラ国の姫君も来ている。どうも、どちらの姫君も、お前目当てみたいだ。顔くらいだしたらどうだ?」

「私は今、警備についている…それを知った上での発言か? それは命令か? レオン」


 舞踏会の広間からは死角になっているこの場所は、夏前の季節を忘れるくらいブリザードが吹き荒れている…。

「……会いに行ってくる、その姫君たちに。挨拶をしたら警備に戻る。それでいいな」

 淡々と話すアレンに誰も何も言えず…。無表情のアレンを静かに送り出した。


 ぎゅーいぃー。

「痛い痛い痛い。エリザベス、爪が腕に食い込んでいる」
「この場で、ぶっ飛ばされないだけましだと思え」

「エリザベス。ちゃんと考えあってだ。隣国の姫君は…まぁどっちでもいい。
 …アレンには、エルの護衛からそろそろ外れてもらおうと思っている」

「なっ!!」「えっ!?」二人はほぼ同時に声を上げる。

「ちょっ、ちょっと、待ってください、殿下。何故ですか? 兄上を外す意味がわかりません」

「…もう潮時だ」

 レオンの言葉が、キャットの心をえぐる。
 分かっている。そろそろ潮時だと。エルティーナ様はもう子供ではない。べったり護衛が必要なほどの子供ではなく、立派な成熟した大人の女性だ。
 このままでいい訳はない。でも先には進めない二人の関係は変わらない。

 兄上からエルティーナ様を押し倒す、なんて事は絶対にない。できるわけがない。

 だったら、十一年前のように、

 エルティーナ様から兄上に…とキャットは思わずにはいられなかった。