神は“救い”を齎す。
神は“施し”を与える。
神は我々を“祝福”する。

そんな思想を持ったのはいつの頃からか。
神とは、いつからそんな能動的な存在になったのだろうか。
────否。いつからそう、形作ったのだろうか。

「神は必ず我々を救う」
傲慢だ。神は我々の為に存在するのではないし、元より我々に対して不干渉である。
「神の天罰が下る」
有り得ない。『罪』を持ち得るのは偏に人間だけ。対して、『罰』を定めるのも人間だけ。人間による『正義』が人間による『悪』を裁くに限る。

神は創造主である。
神は絶対である。
神は全知全能である。

何もかもを可能とし、『不可能』が存在する事自体を不可能とする神は、何もかもが可能だからこそ能動を必要としない。
絶対の下、神の意志で働く世界など、創造主にとっては退屈なものに他ならない。
────故に不干渉。
神は世界に対して能動的な『手』ではなく、変遷する世界を観察し、受動する『眼』である。



祈るがいい、憐れな愚者ども。
その“自慰行為”を、神はただ、静かに見届けるだろう。