「…………」

頬にある男の手を力強く振り払い、その場から逃げ出してドアノブに手をかけた時、男が背後からドアを押さえてきた。

ドアを見つめたまま尋ねる。

「じょ、冗談ですよね⁈」

「本気だけど…信じられないならもう一度キスして好きだって言ってやろうか?」

肩越しから男がとんでもない事を言いだしてくる。

「いえ…結構です」

「なにが結構なのか言わないとわからないんだけど…」

「……」

言える訳ないでしょう。
こんな時、どんな風にあしらっていいかわからない。

ドアを引っ張っても男がドアを押さえているからビクともしない。

そして…さらに耳側に顔を寄せてくると

「キス、それとも…ツッ」

男の魅力的な声にゾワッと訳のわからない震えがおこり、男の声から逃げたくて、思わず踵で男の靴のつま先を踏んだ。

あまりの痛さに一歩後退して痛みに堪える男。

「…耳元で囁かないでください。からかった仕返しです…」

男にイーだと口を横に開きドアを開けて社長室をバタンと閉めると

「イーだって…あははは…あー腹痛い……あはは……」

ドアを挟んだ向こうで笑いを堪えようとする男の声に、大人の女がすることじゃなかったと恥ずかしく顔が熱くなってきて、手で頬を扇いで熱を冷ましていたら百合子さんが不思議そうに近寄ってきた。

「…どうしたの?」

「いえ、何でもないです。…ただ、緊張してしまって…」

「…そう⁈……初出勤だものね。まぁ、今日はゆっくりやりましょう。それじゃ、仕事をするからついてきて…」

後に続くと、ニコニコと笑っていた百合子さんが悪魔だと思うぐらいの量の仕事を、目の前に山積みしてきた。

「……」

マジで…私1人でこの量?

「とりあえず、これから先にお願いね」

山積みの中から取り出してきたのは、アンケート調査の結果の束と見本となる資料だった。

「見本を真似て作成してみてね。私は、こっちをしてるからわからなかったら聞いて頂戴」

「はい」

百合子さんは、山積みの中から自分の分を取り出し机の上で作業しだした。

それを見ていて…2人で手分けして作業するんだとホッとした私は、慌てて自分に用意された机の上で作業を開始した。

「…美咲ちゃん……美咲ちゃん。お昼になったわよ」

「あっ…はい」

百合子さんに名前を呼ばれるまで気がつかないほど集中していたらしく、時間はあっという間に過ぎてお昼になっていたらしい。