僕は第二学年にいました。担任の先生の名前を覚えているので確かです。彼の名前はブラザー・バールドでした。〈天野注。伶門が通ったセント・ジョセフ・カレッジの授業は、多くブラザーと称する[いるまん]修道士、或いはファーザーと呼ばれる神父が行った。第二学年とは小学校のそれ〉ある日、授業中に戦争の話をしていました。僕は手を挙げてブラザー・バールドに聞きました:理想的な爆撃機は何か知っていますかと。彼は何時もの人の好さそうな笑顔の上に位置する眉を寄せて“理想的な爆撃機!それは上等な単語ですよ、‘理想的。’高等学校の単語です。良く出来ました!”と云って皆の前で褒めて呉れました。彼は質問を理解していませんでした。“先生、僕は理想的な爆撃機が何であるか云えます。それはB29です。それは最も爆弾を落とすのに適している飛行機だからです。でも、それは理想的な飛行機ではありません、なぜなら飛行機の最も飛行機らしい機能は爆弾を落とす事で無くて、人間を高速で空中輸送することだからです。でも爆撃機と云う特殊な飛行機の中ではB29が理想的です。僕は理想的な飛行機だって知っています!”僕はブラザー・バールドの驚きの表情をまだ覚えています。僕はその少し前に自動車に興味を持ったので、それに就いて読める物は手当たり次第に読みました。そこから交通手段一般に興味が広がりました。自動車からトラック、バス、オートバイに移り、そして忽ちそこから船、飛行機、ロケットへと拡大していきました。僕は何時も本や百科事典ばかり読んでいるので、自分が他の男の子たちと非常に違っていると知っていました。彼らを愚か者と決め付けていました。ブラザー・バールドなら僕を分かって呉れるかどうか、彼を試している積もりだったのです。僕のこの理想的なものへの憧れは、僕自身が判断しうる限り、外より植え付けられたので無く、生まれながらにして持っていたものです。そうして、云いました通り、四才の頃には、日常生活で目にする品々を[ふるい]篩に掛けていました。