ケータイ小説 野いちご

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たとえば、愛とか。

e.g8:一日千秋



数日経ったけど、あの日から何を見てもモノクロに見えるし、何を口にしても味がしない。

あの夜、見えなくなる背中を映し出した瞳から涙がこぼれた。
けれど、それ以降は涙も出ない。
裏切られたという思いは私のすべてを蝕んで、感情そのものを崩壊させたみたいだ。

勤務先へ向かう途中、否が応でも彼を思いだす。
いつも利用する駅。店の裏口。従業員用エレベーター。清掃室。
全てにあの人の影がちらついて、幻影を見てしまいそうなくらいに思考を奪われたまま。

斎藤さんは、あれからこの店に姿を現してないと思う。
……今になれば、〝斎藤さん〟っていう名前も違っていたのだろうと思うけど。

「あ、おはよう。野原さん」
「おはようございます。どうしたんですか?」

更衣室に入ってすぐに、同じ受付担当の先輩に話しかけられる。
入った瞬間に、なにか秘密の話でもしているような雰囲気を感じ取っていた私は、さりげなく聞いてみた。

すると、先輩が顔を近づけてきて声を落とす。

「知ってる? 業務本部の三木部長。会社のお金、横領して解雇って」
「お、横領?」
「そう。事務所がバタバタしてて、聞き耳立てたらそんな感じの話してたから。本当だったら、ニュースとかで取り上げられちゃうよね。私たちにも影響でちゃうと思う?」

朝からなんて重い話を……まさか、自分が勤めてる会社でそんな事件が起きるなんて。

「イメージダウンにはなりますよね。かといって、すぐに店がなくなるとかリストラとかはないと思いますけど……」

私たちは変わらずいつもと同じ仕事をするだけで、大変なのは……。
お父さんとか、本部の人たちだよね。

先輩はまだ、他の社員と噂で盛り上がりながら着替えを続ける。
私は閉口して制服に手を掛けた。その時に、ふと、あの人と初めて挨拶を交わした言葉を思い出す。

『業務本部長の三木様から、依頼がありまして』


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