先輩の描く絵が大好きだった。
いや、先輩の美術に対する心そのものが好きだった。

「先輩、後一週間で卒業式ですよ」
「大丈夫、終わる終わる」
先輩はそう言い続けている。

先輩方は卒業作品を、10月から取り組んでいる。先輩以外の先輩はもうとっくに完成させていた。

「AO受かってから、そんなに暇ですか」
「暇と言うより、何だろう?」
「疑問で返されても…」
「うん、まぁいーじゃん笑」
そう言って、先輩は笑った。

先輩は基本的にゆるっと?している。きっと先輩の頭の中は振ったプリンで出来ている。

ただ、絵を描いている時の先輩はいつもとは全く違った。

先輩は真っ白いキャンバスを、まるで恋をしているかのように、それでいて凛と、誠実に見つめる。誰かのこうした方が使いやすいとか、良い、何て言葉に耳を傾けずに、鉛筆を、絵の具を、自由に使う。

そんな先輩が描いた絵は、心に迫って来るような、だけども安心するような、ずっと見ていたいけど、どこか胸が苦しくなるような、不思議で綺麗で抱きしめたくなる絵だった。

先輩の絵は誰が見ても凄いと思う絵だ。だけど先輩は学校外で賞を取ったことがない。先輩は、コンクールに絵を出さないから。

昔、聞いたことがある。
「先輩、コンクールに出したら、最優秀賞も普通に狙えますよ」
「うーん、賞とかは興味ないかなー、取れるかもわかんないしね笑」
そんな軽く言った後に、先輩は自分の絵を触りながら、心臓にぐさっと刺さる言葉を言った。

「この絵は、刹那で消えるものでいいんだ。自分だけの世界を、形にしてみたくて絵を描いてるから。1つの世界を創れればいい。この世界はすぐに消えないと他の世界を創れる気がしない。だから、誰かに評価される前に捨てたい。」

先輩は学校展示以外はすぐに絵を捨てていた。自己満足終わらせる先輩の芸術感は、自分にはないもので憧れとなった。

でも、だからこそ、先輩が絵を描く姿を、先輩が描く絵をそれ以前よりも見るようになった。

もっと見たいと、この人の傍にいたいと思った。


「先輩、明日卒業式ですよ」
「大丈夫、終わる終わる」
「それ、卒業作品として、ほんとなら、とっくに展示されてるはずのものですよ」
「まぁまぁいーじゃん、完成すれば」
明日、卒業式。完成するのだろうか。いや、先輩は完成させるのだろうか、と思った。

先輩は卒業作品を絶対に見せてくれない。これだけは完成するまでは、絶対見たらダメと言う。窓に背を向けてひっそりと描いて、近づくだけで絵を隠すから、完成するまで大人しく待つことにした。

本当は2月に入ってから美術室にくる必要もなかった。だけど、先輩が毎日来るから美術室に毎日行った。ずっと2人きりで美術室を過ごした。

明日で、先輩はここに来ることはなくなる。いや、今日完成させるだろうから、美術室で会うのは今日で最後のはずだ。

なぜだろう、涙が溢れてきた。止めどなく、溢れた。先輩に気づかれないように静かに泣いた。今の先輩は絵に恋をしている。自分なんかは見ていない。それでよかった。絵を描く先輩が大好きだ。

しばらくして、先輩が色とりどりの絵の具がついたパレットを洗うのが見えた。
「先輩、完成したんですか?」
震え混じりに聞いた。
「うーん、どうだろうねー。最後の最後で思いがけないアクシデントが起きたからなぁ」
「何ですか?」
「秘密、まぁまだ見るのは待ってよ。明日、ちゃんと、ね?」
どうやら何とか絵は完成したようだ。アクシデントが何かわからないし、今日は見せてくれないみたいだけど…。
明日、やっと先輩の絵が見れる。この日をどれだけ待ったか。

でも、明日。明日で、先輩とお別れだ。今この時が一生続けばいいのにとさえ思った。


そして、お別れの時が来た。基本的に在校生は卒業式にはでられない。個人的に来て卒業式が終わるまで待つ人はいる。

朝、先輩には会えなかった。そして、先輩の絵も展示されていなかった。美術室にも絵はなかった。あの絵はどこに行ったんだろう。

美術室で一人考えた。先輩は完成作品を見せないで卒業してしまうのだろうか。見せたくなかったのだろうか。先輩の芸術は刹那的で自分の為のものだから、もう満足して捨ててしまったのだろうか?

これから先輩に会いに行ったら嫌がれるだろうか。会いに行かない方がいいのだろうか。もう会えないのだろうか。

昨日以上の涙が頬をつたった。止められなかった、静かに泣くことすらできなかった。
「……先輩に会いたい…」
嗚咽混じりの声で、一人で呟いた。

その時だった。美術室のドアが開いた。
「やっぱりここにいた、て、え?どうしたの!?」
先輩だった。質問に答えもしないで先輩を抱きしめた。

「先輩の絵、見たかったんです。先輩とお別れしたくないんです。」
先輩が少し困っているのがわかった。

「大丈夫、見せるよ笑 だから、ちょっとはなしてね?」
「わかりました」
素直に離れた。最後に迷惑をかけたらダメだとも思ったから。先輩は美術室の画材が置かれている棚を開いた。

「実はね、最後にちゃんと自分で見せたくて隠しておいたんだ笑」
そう言って笑った。最後、と言う言葉が刺さった。

「はいこれ!!実はプレゼント、あげる」
そう言って先輩の手から受け取った絵は、

「え、これ??」
自分だった。美術室の椅子に座って、色々な画材を机に広げて、窓際に座って泣いている、自分だった。

「昨日完成前に急に泣き出しちゃったから、びっくりしたよー」
「え、だって」
だって先輩が見ていたのはキャンバスじゃないですか。
言いかけて声が出なかった。

「ずっと見てたのに、気づかなかったから。面白くなって描き始めたらだんだんと、完成させたくなくなった。ずっとこうして描いていたいと思った」
「........」
「もうこれは恋だって思った、いや、今も思ってる笑」
すごく寂しそうに笑った。自分は良く分からない感情がどっと押し寄せ、また涙が溢れてきた。

「もっと早く言ってくださいよ、こんなの泣けるじゃないですか....」
「ごめん、言ったらもうここに来てくれないかもーって思ったら言えなかったよ」
「来るに決まってるじゃないですか」

そう言ってもう一度抱きしめた。先輩も抱きしめ返してくれた。

「ありがとうございます、絵、大切に、大切にします」
「うん、ありがとう。」
そう言って一度ギュッと力を入れた後に、先輩ははなれた。

先輩は一歩さがって、
「お別れだね」
と言った。あまりにも悲しすぎた。いつから自分は先輩に恋をしていたのだろう。先輩はいつから自分を好きでいてくれたんだろう。

「先輩、来年、卒業作品で先輩を描きます。いつか会えたら渡します」
「そっかー、すっごい嬉しい、ありがと」
先輩も、たぶん、別れを惜しんで泣いた。

もうしばらく、ずっと、先輩と会うことはない。両想いなってすぐに、この恋は終わるんだ。と思った。あまりにも短い時間だった。だけど、目の前の泣いている先輩、そして先輩がくれた絵を見たら、なぜだかすごくすごくそれだけでよかった。

だから最後に
「先輩泣かないでくださいよ」
そう言って、キスをした。


先輩の 描く絵が大好きだった。
先輩が大好きだった。
先輩がくれた絵と、この刹那的な両想いは、宝物になった。