白い病室の真ん中に置かれてるのは、ガラスケースだった。棺みたいだと思ってしまった。横たわった彼はまだ生きてるのに。
 飛路朝綺《とびじ・あさき》さん。透き通りそうに色が白くて、やせている。目を閉じて、静かな呼吸だけを繰り返してる。
「ラフさんだ」
 服装も髪の長さも肌の色も違う。でも、朝綺さんがラフさんだって、一目でわかった。魂がゲームの中に迷い込んでしまった人。抜け殻の体でサロール・タルを旅する仲間《ピア》。ニコルさんの親友で、シャリンさんの恋人。
 眠り続ける恋人を見守ってきたんだって、シャリンさんは以前、打ち明けてくれた。その言葉、例え話ではなかったんだ。
 朝綺さんを見つめる白衣の女の人は、小顔でスレンダーで、意志の強い目をしている。シャリンさんより短くてあたしより長い髪は、無造作なブラウン。風坂麗《かぜさか・うらら》さんは、シャリンさんの顔立ちから思い描いてたとおり、やっぱり美人だった。
「朝綺は4年間、眠ってるの。わたしが眠らせた。朝綺の病気をどうにかするためには、こうするしかなくて」
「病気……麗さんは、お医者さんなんですよね?」
「ええ。わたしは朝綺に出会って、医者になると決めた。特異高知能者《ギフテッド》に生まれついてよかったって、初めて思った。人とは違う能力があることに、ずっと苦しんでたの。朝綺が、わたしの生きる道を拓いてくれた」
 スピーカを通さずに聞く声は張り詰めている。風坂先生は、いつもどおり優しく、麗さんに微笑みかけた。
「あと一息だよ、麗。大丈夫。朝綺は必ず目を覚ますよ」
 ニコルさんじゃない風坂先生の普段の声音だ。意識して聞けば、同じ人の声だと、ちゃんとわかる。声優さんに憧れるとか声には詳しいとか言いながら、あたし、何を聞いてたんだろう? クレジットタイトルなしじゃ気付かないなんて。
 麗さんは風坂先生の妹だ。朝綺さんは風坂先生の大学時代からの親友。事情は、夜道を歩きながら聞いた。
 公園で震えてたあたしを、風坂先生が迎えに来てくれた。あんなに厳しい顔は初めて見た。風坂先生のジャケットを着せられて、あたしはうつむくしかなかった。
 病院のそばの定食屋さんで、テイクアウトのお弁当を3人ふん買った。あたしだけじゃなく、風坂先生も麗さんも晩ごはんがまだだったんだ。23時になろうとするころ、病院のロビーで3人でお弁当を食べた。
 朝綺さんが全部の始まりの鍵だったと、風坂先生は言った。風坂先生の大学時代、同じ研究室に飛び級して入ってきた特異高知能者《ギフテッド》の少年が、朝綺さんだった。
「ゲーム、創ってみねぇか? 歴史に残るくらいの派手な名作を創り出してやろうぜ!」
 冗談みたいな野心。だけど、風坂先生と朝綺さんは実現させた。2人で協力して、いろんなゲームを創り上げた。
 充実したキャンパスライフは長くはなかった。朝綺さんがたった2年で大学を卒業したから。
「おれの時間は限られてるし、仕方ねぇよな。この感じだと、大学院に進学しても、途中で体がダメになっちまう」
 朝綺さんは不治の病に冒されていた。筋ジストロフィーという、生まれつきの病気だ。年齢とともに筋肉が衰えて、呼吸や鼓動さえできなっていく病気。
 風坂先生は朝綺さんの相棒で親友であり続けるために、朝綺さん専属のヘルパーになった。
 今から6年前。風坂先生が25歳で、朝綺さんが21歳、麗さんが17歳のとき、朝綺さんと麗さんはピアズの中で出会った。出会うように仕向けたのが、風坂先生だ。
 朝綺さんに、生きる希望を捨ててほしくないから。麗さんに、生きる道を拓いてほしいから。
 高すぎる能力を持て余していた麗さんを、風坂先生は支え切れずにいた。麗さんは孤独だった。風坂先生は、同じ特異高知能者《ギフテッド》である朝綺さんに麗さんを託した。
 朝綺さんと恋に落ちて、麗さんは初めて、自分の夢を持った。先端医療の研究と実践を極めるって夢。朝綺さんの病気を治すために、持って生まれた能力を最大限に使おうと決めた。
 そんな話を、風坂先生はあたしに聞かせてくれた。