路上で一人歌いはじめて、どのくらいの月日が流れただろうか。暗く、社会と隔てられたこの路地裏には、今日も日が当たることはない。
 そんな場所で私「向日椿」は今日も歌い続ける。
 ついたあだ名は「歌う人形」。誰がつけたかは知らない。ただそのあだ名が皮肉以外の何でもないことにはかわりない。
 この路地裏で歌いはじめて色々な人間を見た。体の一部が欠けた者。心の一部が欠けた者。最早、何もないやつもいた。
 でも、あいつは違った。
 あいつは急に現れた。それは、偶然なんかではなく、生まれる前から分かっていたような、不思議な感覚だった。
 その日は今年一番といわれたくらいに寒い日で、そいつも、真っ白なマフラーを首に巻いていた。
「貴女が歌う人形?」
 そいつは準備をしていた私の後ろに立っていた。
 とろけるくらいに甘い笑顔で立っていた。吐く息のように肌が白い少年だった。
「…そうよ、何?」
 そう私が応えるとそいつは嬉しそうに言った。
「やったっ!会いたかったぁっ」
 正直、新鮮だった。こんなに感情を露にする人間を、久しぶりに見たから。
「今日ずっと聞いてて良いですか?」
「…勝手にすれば」
 心から喜んでいると言わんばかりに、そいつはその場でぴょんぴょん跳ねた。
「ありがとうっ」
 最後にそいつは、私の手を強引にとってぶんぶんと振った。
 忙しい奴だ。見ているだけでクラクラする。
「ふふっ」
 私が無意識に綻んだ自分の表情に気づく事はなかった。
 私が歌い始めると、そいつは近くの壁に寄りかかって目を閉じた。
 少したつとここいらへんの住民が私の歌を聴きに来た。住民たちは、見かけないそいつをチラチラと見ていたが、無害だとわかり気にしなくなった。日が暮れてきたころ、そいつはやっと目を開けた。
「今日は終わり?」
「そうね、今日は何か疲れたわ。あんた、家は在るの?」