主任の補佐として、担当を任された仕事は三つ。
雑誌の定番占いと、これまた定番の新商品紹介ページ。そして問題の手作り弁当コーナー。
(占いと新商品の方はなんとかなるにしても、困るのはコレだよ…)
記事と睨めっこしても、料理が出来るようになるわけじゃねーが、全く知らん顔するわけにもいかねぇ。困った時の知恵袋、主任に相談するにしても、今はとにかく、先に挨拶回りを進めないと…。
手にした薄青色の名刺。『鑑定士・聖亜』という人に、午後から会いに行くと約束していた。
「へぇー、聖亜さんに会うのか。ふ〜ん…」
意味あり気にニヤつく主任を横目にやって来たマンションの一室。特段変わった様子もないドアの外に飾られたプレートには、こう書かれてあった。
『あなたを鑑定致します。お気軽に中へどうぞ』
(怪しーな…)
一体、どういう繋がりで、主任がこの占い師のことを知ったのか知らないけど、ネット情報によると、結構な確率で当たるらしく、予約必須な状態らしい。
気を引き締めてチャイムを鳴らす。中から顔を出した三十代と思われる女性は、愛想良く俺を招き入れた。
「先生は先約を鑑定中ですので、暫くお持ちください」
マネージャーをしているという女性は、玄関上がってすぐの待合室に俺を通した。
ここへ行く前、主任は俺に伝言を頼んだ。
「聖亜さんに会ったら、危機回避はできましたと伝えてくれ」
(危機回避?何のことだ?)
意味もわからず了解してやって来たのはいいけど、この物静かな雰囲気、どうにも落ちつかねぇ。
ソワソワと部屋の中を歩き回り、キョロキョロと辺りを見回してたら、さっき誘導してくれた女性が、お茶を持って入ってきた。
「すみません、もう少しお待ち下さい」
お茶を差し出されるなんて、かなり久しぶりで緊張する。そんな俺に、女性は気軽に話しかけてきた。
「松中さんは、三浦さんの部下ですか?」
ニコニコと愛想のいい笑みを浮かべ聞いてくる時点で、大体、何が聞きたいのか想像つく。でも、それを考えないようにしながら、短く答えた。
「そうです」
編集者というのは面倒くさい仕事だ。社外で会う人は皆、取引先の関係者。滅多と冷たい態度も取られやしない。
「三浦さんは素敵な人ですよね。お仕事熱心で、誠実そうで…」
「はぁ」
(確かにな…ってか、なんだ、この女…)
「どなたか決まった相手が、いらっしゃるのかしら?」
(なんだ。やっぱそっちか…)
「いると思いますよ。あれだけのカッコ良さですから」
心の中で舌を出しながら呆れる。主任はあんたみたいなのは、タイプじゃねーんだと、喉元まで出かかった。
「ですよね…」
軽くショック受けてる感じ。高望みすんな。
「松中さんは?フリーですか?」
ターゲットを変えたのかと、一瞬ギョッとした。女性はニッコリ笑みを浮かべると、楽しそうに言った。
「うちの先生と同じくらいの年頃かなと思って。良かったらお付き合いしてみません?」
(ジョーダンじゃねーよ…!訳の分からない鑑定士なんかやってる女と付き合えるか)
「生憎、間に合ってます」
(完全フリーだけどな)
こんな輩、テキトーに話切らねーととんでもない事になる。幸い、先約が出て来る音がして、女性は出て行ったから助かったけど、こっちはどっと疲れた。
(乗っけからこんなで嫌んなるな…)
気持ちを切り替えて仕事しようと思い直したばかりなのに、すっかり出鼻をくじかれた。
でも、声をかけられ、入室した先で会った聖亜という女性は、何処か不思議な目の色をしていて、思わず後悔したくなるほどの美人だった。
「あ…あの、A出版の松中と申します。この度、三浦から担当を引き継ぐことになりましたので、ご挨拶に伺いました」
差し出そうとする名刺を手で止め、彼女は口を開いた。
「いりません。お名刺をいただかなくても、名前と顔は覚えられます」
高くて発音のハッキリした声は、透明感を感じさせた。マネージャーの言った通り、年頃は俺と同じくらいで、絹のようなベールを頭から被っていた。
「あ…そうだ、三浦から伝言を預かってきました」
俺の言葉に瞬きをして、耳を傾ける。
「『危機回避はできました』と伝えるようにと…」
言われた通りの言葉を伝えると、彼女はホッとしたように息を吐き、胸をなでおろした。
「そうですか…良かった…」
何がなんだか分からないけど、やたらと安心してる。こっちは顔見せの用件も済んだし、次は何を話せばいいのかと迷った。
「どうぞ、おかけ下さい」
丸テーブルの向かい側から、白い手が差し向けられた。若干怪しい気がしながらも、拒否せず座ると、彼女はいきなり喋り始めた。
「三浦さんには、別れの相が出てました。でも、助けが入ると暗示があったから大丈夫とは思ってたんです。彼に伝えて下さい。お幸せにと…」
「はぁ…」
(マジ何なんだよ、この女…)
うさんくせーなと頭の中で考えてると、今度は手を出してみてと言う。嫌だとも言えず、両手の平を上に向けて差し出すと、彼女はさらりと言った。
「この最近、離婚されましたね」
グサリとくるような一言を平気で吐き、彼女は反対の手を見た。
「あら、でもまた縁がありますよ。良かったですね」
ニコッと笑った顔は可愛かった。年相応な所が見えて、少しだけホッとした。
「今度のお相手は、宿命の方かもしれませんよ。よく眼を見開いて、慎重にお選び下さい」
幾つも選択肢があるような言い方に、つい聞き直した。
「そんなに出会いって、あるもんですか?」
俺の言葉に顔を上げ、一瞬、唖然として見せた。それからすぐに表情を元に戻した。
「ありますよ。生きてるんですから」
柔らかい口調で話だした彼女の言葉は、不思議な程、印象的だった。
「様々な出会いの中に、宿命とも言える相手と出会うんです。それは意識してこの人だというような感じじゃなくて、自然な流れの中で気づいていく。そういう感じなんです…」
意味深な笑みを浮かべ、こっちを見てる。その目は俺という人間を通り越し、どこか違う世界を見てるようだった。
(不思議な人だな…)
会社に戻り、聖亜という女性のことを思い返していた。あの目を見てると、こっちは吸い込まれそうになる。彼女はその不思議な瞳で、俺の仕事についても言い当てた。
「ストレスを沢山抱えてらっしゃいますね。でも、力強い味方がいますよ…」
誰とも言われなかったが、そいつが俺の宿命の相手とも考えられる。それなら、これから先知り合うどんな女性とも、心して会う必要があるなと思っていた矢先、主任から声をかけられた。
「どうだった、聖亜さん」
心なしかニヤついてる。ギョッとするような事をいきなり言うから気をつけろと言ったのは主任だったか。
「主任に『お幸せに』と言ってました」
真っ先にそう言うと、少し照れたような顔をした。俺はあの占い師に会ってからずっと、疑問に思ってる事を主任に聞いた。
「主任は、あの聖亜って人の言うことを、全部信じたんですか?」
仕事の上では切れ者で通ってる人が、安易に占いを信じるとは思えなかった。主任は俺の目を見て、薄笑いを浮かべた。
「お前はどうだ?初対面で彼女に会って、言うことが信じられたか?」
方向転換。人に聞く前にまず自分はどうかってことか。
「……ビミョーですね。まるっきり嘘とは思いませんけど」
あの不思議な瞳のせいだろうか。全く信用できないとは思えなかった。
「俺も一緒だよ。会っていきなり『別れの危機が近づいてます!』と言われても、それが全くのデタラメとは思えなかった。ただ、助けが入ると言われて、本当だろうかと疑ったけどな」
事が実際に起きて、初めてこの事かと気づいた。でもその時はまだ、半信半疑だったと主任は続けた。
「全て解決して、ようやく理解できた感じかな。彼女が言ってた助けの意味が…」
俺の顔を見て二ッと笑った。俺がその助けだと言いたそうだった。
「裕が何を言われたか知らないけど、聖亜さんの言葉はずっと先のこと示してる場合もあるらしい。だから忘れた頃、ああこれか…て思い出す事もあるんだってさ」
主任の言葉に納得しつつも解せない所もあった。でもそれを、ここで聞いてる場合じゃない。
「主任、俺、相談があるんです…」
聖亜さんの言った力強い味方がいるとしたら、まずはこの人だろう。女じゃないけど、大きな助けになるには違いない。
時計の針のように、ようやく自分が動き始めたのが分かる。これからのLIFEはシングルでも、いくらか彩りがありそうだ。