ケータイ小説 野いちご

デキる女の方程式

現在の事情

ホスピスは、私にとって神聖な場所だった。
少なくとも、看護師になるまではそうだった。
限りある命と、日々懸命に向かい合う本人と、家族の為に作られた空間。
チャペルに似た雰囲気、ゆっくりとした時の流れ。
そんな中で、看護師として働く自分を夢見ていた。でも実際は、全く違う部署に配属されて…。
「すっぎさっきさ~ん」
甘ったれた声。また来た…。
「何ですか ⁈ 」
受付窓口の内側から返事した。落ち着けレイラ、相手は患者だ。
「ぼくの順番、後どのくらいですかぁ?」
(あんたは小学生か幼稚園児か。語尾伸ばすな…)
「後三十分位ですね。今日は混んでますから」
目線を合わさず、淡々と答える。こんな患者、この人だけじゃない。
「診察済んだら、一緒にお茶しませんかぁ?上の食堂で」
「しません。私、仕事中です」
イライラ。誰が乗るか、こんな誘いに。
「杉崎さんってぇ、美人ですよね〜。彼氏とかいるんですかぁ?」
「います」
一刀両断、言い切ってしまう。いてもいなくても、以前からそう言うようにしている。
「そっか〜。でも、いいよねぇ?お茶くらい、一緒にしても」
(だから…)
「しません!仕事中です!」
怒ったように言って、やっと退散してくれる。この人が来なくなっても、また別の人がやって来る。
(だから外来業務は嫌なんだって…)
静かな雰囲気なんて、ここには欠片もない。騒がしくて、賑やかで、落ち着かない…。
「杉崎さん、患者押さえ込むの手伝って」
ドクターの声。呼ばれたからには行かなくては。
「はい!」
大きな患者さんの身体を、ナース四人がかりで押さえつける。痛みを伴う治療の時にはどうしても仕方ない。
「はぁー…」
疲れた。最後の患者さん見送って、やっと一息ついた。
「杉崎さん、今日も患者さんにモテモテだったわね」
肩を叩いてる私を見て、主任が面白そうに言った。
「あんな風に誘われてみたいわ。私も」
こっちはいい迷惑だと言うのに、呑気で羨ましい。
「杉崎さんは美人だからね。言い寄られても当たり前」
同僚の言葉にはトゲがある。ある意味、嫌みにしか聞こえない。
「出会いがいっぱいあっていいでしょ?」
「そんな事…」
言い返そうとしてやめる。否定したって、誰も信じてなんかくれないと思い直した。
笑ってごまかし。いつもそんな感じだ。
「黙ってないで、いつもの調子で言い返せばいいじゃない。変に誤解されちゃうよ」
電話口の向こうで、親友が呆れて言った。
「そうだけど、言った所で誰も信用してくれないし。言うだけ無駄よ」
過去の出来事が、自然と自分を諦めさせる。今更、周りを変えて行こうって気にはならない。
「そうかなぁ…」
「そうよ。ミリが知らないだけ」
私の台詞にブツブツ文句言ってる。彼女にだけは本気でなんでも話せた。
「レイラはもっと、自分を可愛く見せたらいいよ。そしたら皆の見る目も変わるって」
負けず劣らず、言いたい事言ってくる。私達って、昔からこんなだ。
「くすっ」
「何?私、なんか変なこと言った?」
「ううん、ちょっと懐かしかっただけ。心配してくれてありがとミリ。また連絡するね」
病院の坂道を下っていた帰り、後ろから走って来る足音に気づいて振り向いた。
「あー、バレた」
可愛い顔して笑ってる。無邪気な人。
「研修済んだの?お疲れ様」
自然と繋がれる手。あったかい。
「レイラさん、今日外来勤務だったね」
ギクギク。
「なんで知ってるの?」
千里眼?この人、私のこと、本当によく見てる。
「ドクターについて院内回ってる時見かけた。迷惑そうな顔してた」
可笑しそうに笑ってる。人の気も知らないで。
「だって、しつこい患者だったんだもん。仕事中なのに、お茶しようとか言うし…」
同僚や主任からは、面白くない事言われるし…と、ついつい愚痴ってしまった。
「あーあ、もう、外科じゃないとこで働きたい」
キリキリピリピリ、神経すり減らして仕事するのに疲れた。
「じゃあどこで仕事する?」
そう言われて、すぐに答えられないのが、今までの日常だったけど…。
「ホスピス。緩和ケア病棟」
すんなり口に出せた。
「へぇー…」
意外そうな顔してる。
「ナースになったのも、実はそこで働きたいからなの」
自信持って、それだけは言える。あの日以来、ずっと夢見てきたから。
「ふーん…」
研修医の彼には、まだまだピンとこない様子。学ぶ事が多すぎて、それどころじゃないもんね。
「大したもんだね。相変わらず」
感心してる。一人前の医師を目指す彼にとって、私はまだまだ雲の上の存在なのかもしれないけど。
「なお君だってあるでしょ?理想の医師像っていうのが」
いつか話してくれた、子供の頃、お世話になった医師の話。その恩返しがしたくて、医者を目指したと言っていた。
「あるよ。酒飲み過ぎて早死にしない医者になること!」
笑いながら言ってる。どこまで本気なんだか。
「冗談はともかく、真剣に聞いてるの。なお君、どんな医師になりたい?」
私に詰め寄られ、ビクついてる。なんだか責められてるみたい。
「うーん…今は答えられないなぁ…」
勿体ぶってるのか真剣に考えた事ないのか知らないけど、要はパスしたいって訳ね。
「じゃあいつだったら答えてくれる?次会った時?」
間髪入れず聞く私に苦笑い。しまった、焦り過ぎた。
「まだ悩み中だからもう少し考えさせて。決まったら話す」
「うん。約束よ」
研修医の彼と二人、肩並べて歩く。今はまだ、私の方が少し先行く感じだけど、いつか彼が追いついて来てくれる。
(その時は私、全力でこの人を支えよう…)
いつも私を優しく包んでくれる。寄り添って生きて行こうとしてくれる。
この人の側にいたら、きっと私、変われると思う…。


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