小春日和の朝、目覚めたら彼が傍にいる。こんな当たり前でありきたりな幸せを、今まで私は知らずにきた。
穏やかな顔をして静かに寝息を立てている彼と、一緒に歩いて行きたいと思い始めたのはいつだっただろう。
喧嘩らしい喧嘩もせず、言いたい事も言い合わず、相手の事を優先し合ってきたけれど、今日からはもう、それを卒業しよう。
私は私らしくワガママを彼に言いながら、歩んで行くんだ。
本当の自分と出会ったこの世界を…。

「おはようダイさん、起きて、朝よ…」
眠そうに寝返りを打つ彼に寄り掛かる。こんな些細な事も幸せに感じられる今が好きだった。

「もう少し寝る…」
始めて聞くような言葉にキョトン…となった。どうやら彼も自分を飾る事を止めたらしい。
フッ…
笑みがこぼれる。ようやく彼に出逢えた気がした。

「ダメよ。今日も仕事でしょ?起きないと遅れるよ」
一緒に住み出して、初めて言うような台詞に自分が驚いてる。でも、彼の言葉を聞いてもっと驚いた。

「今週いっぱい出勤停止なんだ…だから今日は寝坊しても大丈夫…」
「えっ ⁉︎ 」
思わず飛び起きた。

「出勤停止って、ダイさん何したの ⁉︎ 」
仕事が人一倍さばけて、敏腕編集者で通ってるのに…。

「ちょっと小さいミス重ねただけだよ…。だからわざと編集長が俺を怒鳴って出勤停止にしたんだ…。仕事ばかりして家庭を蔑ろにするな、もっと彼女を大事にしろって。裕にも同じ事言われたけど…」
寝ぼけ半分で答えてる。その言葉の中に疑問を感じた。

「松中さんからも言われたの…?」
意味が分からなかった。彼は私を脅すような事を言ってたのに。
眠そうにしてた彼がこっちに向きを変えた。大きな欠伸をして、ボソボソと話し始めた。

「うちに泊まった朝、電車の中で散々叱られたんだよ…。大切なものは無くなってからじゃ取り返せない、特に人の心は離れてからじゃ遅いってね…」
揺れる車内で淡々と松中さんの離婚の原因を聞かされ、だから私に手を出そうとしたのかと聞きたくなったそうだ。

「ドアを開けた瞬間、影が離れるのが見えたし、何かしようとしてたなとは気づいた。美里も泣いてたし…」
修羅場になるのが嫌でわざとスルーした。意見されて歯痒かったけど我慢して謝った…と、彼は付け加えた。

「一応、正論言ってたしな…」
呆れた顔で話を聞いてる私の手を握り、彼が話を続ける。松中さんは、こんなふうにも語ったそうだ。

「ミサトさんが、元ヨメとダブりました…寂しいのを我慢して、堪えてるのに顔にも出さないでいる。俺はそれに何も気づいてやれなかった。だから他のヤツに寝取られた。三浦さんも気をつけないと、ミサトさんは隙だらけだからいつでも付け入れられますよ。本当に大事で大切な人なら、仕事より自分より、一番に構ってやらないと!人の心は、離れてしまったらおしまいなんです!取り返そうと思っても、間に合わない事の方が多いんです。…俺の二の舞なんか、踏みたくないでしょう ⁈ だったら今を大事にしないと!後悔しても知りませんよ!」


「一々正論で、ぐうの音も出なかったよ…」
大きな失敗を経験してるからこそ言える言葉もあるんだと知った。あの夜、腹立たしそうに呟いた言葉は、もしかしたらダイさんに向けてではなく、過去の自分に向けて放った言葉だったのかもしれない。

(だとしたらあのキスも、私にではなく、愛した人へしたのかも…)
やり切れない思いを、もしもまだ彼が引きずっているなら…


「幸せになってほしいな…松中さんに…」
怖い思いもさせられたけど、全部私達の事を考えてだった…。

「美里はお人好し過ぎる。だから付け込まれるんだ」
起き上がった彼が私を抱いた。温もりが心の中に満ちてくる。この幸せを教えてくれたのも、きっと松中さんとの事があったからだ…。

「今朝は美里も寝坊しろよ。…たまにはゆっくり過ごすぞ。俺達これから、ずっと一緒に生きて行くんだから…」
彼の言葉に頷いて身を預けた。



………時間の流れを噛み締めて、生きて行こう………


あの本の主人公の言葉が思い出された。
学生時代、就活するべきかエッセイストを目指すべきか迷ってる時に出会った一冊の本。


ありがとう…この本に出会えて、本当に良かった…。



Fin