また夢を見た。薄らぼんやりとしたその夢は、誰かが大きな花束を持って歩いているものだった。

時折、私が見る夢にはメッセージが含まれているんじゃないかと思う。問いかけも答え合わせもひとりだから、深く考えたことはないけれど。目が覚めた時、鮮やかな花束が印象に残っていて、ベッドから出るときにはお墓参りに行こうと決めていた。ちょうど冬休みに入ったばかりで時間に余裕もあり、迷いすらしなかった。


電車で2時間半かけ、バスに乗り継いで40分。海の潮風も届かない内陸部からひとつ山を越え、郊外の田舎街に降り立つ。

タイヤに滑り止めのチェーンをつけたバスが走り去るのを見届け、浅く息を吸ってから振り返った。

雪化粧された高い山。その頂上を目指すようにして集落が建ち並んでいる。まるでカースト制度を表しているみたいだと思うのは、いつものことだった。

お母さんたちに手を合わせたら、さっさと帰ろう。

乗り継ぐ途中で購入した花束を抱え直し、滑らないようにしっかりと一歩ずつ歩いた。


居住区から少し離れた霊園は山を切り取った中にある。道路が整備されているため険しくはないのだが坂道ばかりでスニーカーを履いていてもしんどくなってくる。ここに住んでいた頃はひたすら下り坂だったから、坂道がこんなに体力を削るものだと知らなかった。


30分ほどかけ、駐車場や公衆便所が隣接された霊園の入り口に立つ。年末年始が近いためか、車が数台停まっていた。

日にちをずらしても拭えない一抹の不安を抱え、さらに上の高台を目指す。

見晴らしのいい立地で、冬じゃなければ悠遠と拡がる青空と緑豊かな街並みを一望できただろう。私はどこに墓石があろうと構わないけれど、何もこんなに高い区画を選ばなくてもよかったんじゃないかと思ってしまう。


微かに息切れしたまま、立派な墓石の前で立ち止まる。予想していた通り、綺麗にしてもらっている。外柵から墓誌、中台から竿石、どこを見ても艶があり、花立にはこぼれ落ちそうなほど菊があった。燃え尽きた線香も確認できる。

「よかったね」

私がいなくても、供養してくれる人がいる。それがとても有り難くて、自然と声をかけていた。掃除は親族がしてくれているだろうと、持ってきたのは花と線香、供え物とペットボトルに汲んでおいた水だけだった。