老紳士と秋月静の件が片付いた頃、珍しく一瀬はるかが穆の事務所を訪ねてきた。

「ここには冷房ついてないんですね」

化粧崩れを気にしながら、むっちりとした容姿のはるかは汗を拭いた。

事務所には東寺の弘法市で値切って買った、古い扇風機が首を振っているだけである。

まりあが麦茶を出した。

「ありがとうございます」

「で、用向きは?」

「今度、当社主催で画家の個展を開催することになりまして」

そう言うと、一冊のパンフレットを鞄から出した。

「東郷忠、ですか」

穆も名前だけは聞いたことがある。

間違いがなければ、画壇の大御所として関西では知られた存在の人物で、

「会場は梅田の阪急百貨店ですかぁ」

「当社で美術展を開催するときには、阪急百貨店さんにお世話にいつもなってまして」

「で、どうしろと?」

「事件がなければ、お越しになってみてはどうかと」

「なるほど」

穆は笑い出した。

「寺内さんらしいな」

あの人は俺が美術観賞が数少ない趣味なのを知ってるからなぁ──穆は笑いながら言った。

「こちらがチケットです」

「分かりました、期間中に何事もなければ行きます」

なぜか二枚渡された。

(そういえば)

寺内健吉はまりあの存在を知らないはずである。

前に事務所に来た折も、まりあは何かの用事で席をはずしており、

(紹介した記憶はない)

多分、大二郎と二人ぶんという意味なのであろう…と穆は勝手な想像をめぐらせていた。