シルヴィ様たち姉弟を見ていて気付いたことがある。
 出迎えこそ華やいだ声で賑やかだったものの、基本的に金髪碧眼四姉妹はシルヴィ様とセレお姉さまより前に出ようとはしない。
 二人の後ろについていくのが普段からの習慣らしい。
 それでも各々が好きなように行動せず、ずっとこの場にいるというのはひとえに私への興味が尽きないからだとセレお姉さまが教えてくれた。
「因みに四人は淫魔でね、彼女たちは存在しているだけで誰彼構わず惹きつけてしまうものだから、突然襲いかかられるということも珍しくないんだ。対応策として幼い頃からこうして私たちの後ろに隠れるようになった」
 そりゃお姉様方の白く細い腕では、男性に襲われたら抵抗したって抵抗になりえないだろう。
 美しすぎるのも大変だわ。
「ん、まあそうなんだけど、むしろ悲劇なのは四人を襲った方なのよ」
「え?」
 お姉様たちが傷つけられちゃうんじゃないの?
 そのために二人が守っているのではなくて?
「ノンノン。確かに淫魔は戦うための腕力は持ち合わせていないわ。でも代わりに結構えげつない力を持っているの。ただのか弱い存在じゃないのよ」
「淫魔はあらゆる生物から精気を吸い取る種族だ。精気とは生命とも言い換えられる、生き物にとって生死を左右する大切なものでね。彼女たちに惹きつけられた者たちは飛んで火にいる夏の虫だよ。襲いかかったとたん彼女たちに嬉々として精気を吸い取られてしまう。襲いかかってくる相手が悪いの、という論法だからな。容赦なく根こそぎ吸い取るぞ。そうなれば相手はカラッカラに干からびてあっという間に塵だ」
「まあその相手が魔族だとか魔物なら別に構いやしないんだけど、これが人間となるとねぇ。いきなり人が一人消えたら結構問題になっちゃうじゃない?だから建前は彼女たちを守るってことにして、無残に飛び込んでくるヤツラを追い払ってるのよ。人間界じゃむやみに人を消滅とかさせられないでしょ?そこが生活する上で難しいところよね」
 まるで貴族には庶民と同じ生活なんて無理ね、と同等のニュアンスでさらりとシルヴィ様は言うけれど、いやいや、ちょっと待った。
 塵だとか消滅だとか、かなり物騒な単語が飛び出ているのは間違いない。
 意識していないとすっかり忘れてしまうけど、そうだった。
 ここにいる「人間」は私だけ。
 シルヴィ様もセレ姉さまも、みんな「魔族」なんだ。
 ということはつまり「魔界」とは私が知っている世界でほとんど間違っていないのかしら。
 血も涙もない、最高に残酷で冷酷無比な世界。
 争いだとか拷問だとか処刑だとか消滅だとか、そういうことが普通に…って、あら?
 消滅以外は人間界でも行われている事だわ。
 それなら魔界も人間界もあまり大差はないってこと?
「そうね。種族としての能力差は大きいけど、やってることは大して変わらないかもしれないわねぇ。色んなことが人間界より極端だから、一見グロテスクで残酷で、って思われてる気もするけど。天界族みたいにいらなくなったら他の世界にポイッとか無責任なことはしないし、滅多なことじゃじわじわ死ぬ以上の苦しみを与える、みたいな処刑方法は取らないもの。欲望には忠実だけどね?」
 んちゅ。
 可愛らしく語尾にハートでもつけていそうな勢いのまま、唇が重ねられる。
 宣言通りなんですね。
「でしょ?結構魔族って一途で律儀なのよ。分かってくれた?」
「はい」
 と頷く以外に選択肢が見当たりません。
 でも疑問が出てきましたよ。
 滅多なことでは死ぬ以上の苦しみを与えない魔界の皆さんも、私に対してはそれを与える、ってシルヴィ様はおっしゃっていたわ。
 死んだ方がマシだと思うくらいの生き地獄を味わうことになる、って。
 それって…。
「だってハニーちゃんは女の子だから」
「女だと生き地獄を?」
「相手によるわ。どの種族もハニーちゃんを「生かし続ける事」を前提にするんだけど、淫魔に捕まればその無垢で柔らかな体を蹂躙され、挙句永遠に続く快楽を与えられ昼も夜も精気を吸い取られ続ける。人狼(ワーウルフ)に捕まった場合も似たようなものね。延々と体を弄ばれて体液を舐め取られるわ。アナタの体液は何でも力の源になるから。泣かせても啼かせても栄養源は確保できるもの。どの種族もそれが基本。彼らにとってアナタは半永久的な「餌」ってワケ」
「だから、生き地獄…。死んだら供給が止まるから絶対に死なせない。代わりに私にはあらゆる苦痛や恐怖が延々と続けられていく。それならいっそのこと死んだ方がマシ、だわ」
 想像しただけで身震いがする。
 胃が握りつぶされるみたいに軋んで、嫌悪感が吐き気につながっていく。
 当然見ず知らずの相手で、しかも人間ではなくて、獲物を仕留めようとギラつく怪物のような者たちに蹂躙される。
 到底耐えられるはずがない。
 魔族や魔物にとって私は食糧。
 そこに感情は働かない。
 しかもシルヴィ様が言うように私の全てが彼らの魔力を増幅するとしたら、単なる餌では終わらない。
 今まで築かれてきた魔界の序列が覆されてしまうかもしれない。
 だから「鍵(キー)」を花嫁にした者が魔王になれる。
 それを躍起になって狙っている魔族がいる。ってこと。
「怖い、わよ、ね?アタシだって魔族だし、ヴァンパイアだもの」
 え…?
 不意に悲しげな色を浮かべた瞳を伏せて、シルヴィ様が言う。
 「怖い」って、私が、シルヴィ様を?
「怖くないわ。貴方は怖くない」
「ホント?」
 だって怖いなんて思ったこと、そういえば、一度もない。
 夢だと思っていたあの夜から今まで、シルヴィ様に恐怖なんて抱かなかった。
 怖かったのは馬車で襲われたとき。
 あのとても不気味な魔物が断末魔をあげて消滅していったのを見た時。
 そして今、シルヴィ様以外の魔族に捕まったら自分がどうなっていたかを聞いた時。
「ハニーちゃんたら。どうしてそんな解釈したの?」
「どうして、って?」
「言ったでしょ、種族によるけど基本的に魔族も魔物もアナタを餌にする、って。アタシだって魔族よ?しかもアナタから既に血をもらってるわ。他の魔族と一緒なのよ?それなのにさっきの話に出てくる魔族からアタシを除外したの?」
 なんだかそれって自分も彼らと同じ化物なんだ、って認めて欲しいみたいに聞こえる。
 でも貴方はこうも言ったのよ。
 相手による、って。
「シルヴィ様は彼らとは違うでしょう?もしも同じなら、とっくに私から血を吸い尽くしてるはずだもの」
「でも自分本位よ。アナタの意識がおぼろげなのを利用して血を吸ったわ」
「けど痛くないようにしてくれた。しかも血を吸ったのは私を守るためでしょ」
「そんなの後でいくらでも言い訳できるじゃない。本当に守ったかどうか分からないわよ?単なる口実かも」
「馬車では間違いなく助けてくれたわ。山道で腰を痛めないようにずっと抱き上げていてくれたし」
「欲望に忠実だっていったでしょ」
「それだけなら逆にもっと色々出来る状況だったのに、しなかったわ」
「っ、するわけないじゃない!ハニーちゃんを泣かせたくないもの」
「ほら。自分本位で欲望に忠実で、単に私を餌だと思っているならむしろ泣き叫ぶくらいのことをしてたはずだわ。そうしないのはシルヴィ様が相手を思い遣ることの出来る優しい人で、私を「私」として扱ってくれているからよ」
 どう?
 シルヴィ様の言った魔族には当てはまらないでしょ?
 貴方は化物なんかじゃないもの。
 ちょっと強引でマイペースなだけよ。
「どんだけ買いかぶってるのよ、もう!」
 真っ赤になって叫ぶシルヴィ様と
「色々落ち着けなさい」
 とテーブルクロスをハンカチ代わりに宛てがうセレ姉さま。
 どうやらシルヴィ様は感激しているらしく、涙やら鼻水やらを盛大に拭っており、セレ姉さまは心なしか嬉しげな横顔を見せつつ、注ぎ足された柘榴ジュースを優雅に口にした。
 淫魔四姉妹は歓喜にむせぶ(?)弟が可愛いらしく、頭を撫でたり頬を撫でたり額に口づけたり背中を撫でたり、宥めるのに忙しい。
「違うわよ、これ、アタシから精気吸い取ってんのよ。ちょっともういくら美味しいからってヤメテ!恥ずかしいじゃないの!」
 耳まで真っ赤にしたシルヴィ様が叫んだところで、四姉妹には知ったこっちゃない。
 囁き声のような高い声できゃわきゃわ笑いながらお姉様方はシルヴィ様を可愛がっている。
 仲良く戯れる姉弟といったほのぼのした様子に見えて、実は弟からも容赦なく精気を吸い取ってしまうとは、お姉様方恐るべし。
 でも今まで大人しかったのにどうして突然?
 不思議に思ってセレお姉さまを見ると、彼女はクスリと微笑んでこちらの意図を理解してくれたようだった。
「彼女たちは極上の精気が何より好物でね。最も美味しい状態になった精気を取り込みたがるんだ」
「どうすると極上になるんですか?」
「うん、まあ、そうだな、悦びの感情に影響されるらしい」
「ふうん」
 喜び、ね。
 ポジティブな感情は精気も美味しくしちゃうんだ。
 素直というよりは単純な思考回路は何の疑問も持たずに「そういうものなんだ」と納得する。
 それを眺めていたセレお姉さまは小さく笑みを浮かべていた。
「姉様たちは今後もああしてシルヴィを介しながら食事を、つまり精気を取り込むだろう。君の側にいるシルヴィはいまや姉様たちにとって最高の食糧になったわけだ」
「シルヴィ様が食糧?」