「これだ……これが、ひな人形だ」

夕夏が、上ずった声でつぶやく。そこには、一対のひな人形が映っていた。それから、次々に三人官女、五人囃子、随身、と映し出されていく。


「これを、緋毛氈を敷いたひな壇に飾ったんだ。たった一度、隣の家のひな人形を借りてきて」


夕夏の声が、だんだん小さくなっていく。椎名は、初めて見るひな人形が珍しかった。それは、確かな技巧の結晶で、繊細な美しさを持つ、大人の鑑賞に耐えうる人形だった。


「そして、そのひな祭りで、母がちらしずしという甘い食事を作ってくれたんだ。物資が乏しいのに、はまぐりのおすましがあったのを覚えているよ。美味しかった……本当に美味しかった。あのときは疎開の前日で、克己も呼ばれていた。そして、みんなで静かに過ごしたんだ。その翌朝、返す前のひな人形と一緒に、家は爆撃で吹き飛ばされた。克己と私だけは無事だったが、あとは、みんな「おひなさま」のように永遠に微笑んだまま、な」


夕夏が、目のふちをぬぐいながら、椎名にぽつりと問う。


「この時期になると思い出す。歌と一緒にな。私が、『完璧』じゃないからなのか?『不完全』なままなら、いつまでも苦しまなければならないのか?私は……『完璧』になりたい……」


「夕夏」


椎名は、夕夏の肩をそっと抱いた。いつもは抵抗する夕夏も、今日は何も言わない。だが、椎名は、気が弱くなっている夕夏に対して思いを遂げるような男ではなかった。


「確かに、心療手術が成功すれば、そうした辛い記憶から逃れられる。だが、その一度きりの『ひな祭り』で味わった幸福感まで失ってしまう……諸刃の剣なんだ」


夕夏はだまって肩を震わせていたが、突然、涙でうるんだ目を椎名に向けた。さすがの彼もどきりとした。