折り曲げた膝の頭が少し見えるくらいの湯面につかり、流れ出るシャワーに向かい、思いつくまま言葉を投げる。その言葉は湯とともに流れ、排水溝を髪の毛と一緒に流れていく。
 湯船に蚊が一匹浮かんでいる。すでに死んでいる。
 こいつは排水溝をとおり、髪の毛や体液とともにどこまで体を保ちながら流れていくのか。汚い汚い排水溝から地下を通り、自由な海へとたどりつくのか。

 人は口から体内に取り入れたものをいつかは排泄する。必要なものは我が身のものとし、必要ないものは排泄する。
 耳から入ってきた言葉もそうじゃないか。
 必要なものは取り入れ、必要ないものは毒でも盛られたかのようにもがいて排泄しようとする。
 人のほとんどが水というのに、それでは満足できず、人は成り立とうとしない。
 植物みたいにはいかない。いちいちバランスよく摂取しないと何億年と蓄積されてきている脳の中の知られざる歴史が崩されてしまう。実にめんどうくさい。
 あ、植物も種と膣みたいなのがあるか。そこには人みたいに好みや相性などはあるのか。実に興味深い。