ねじれの位置の恋人 ~世界でたったひとり、出会ってはいけなかった人~

「七海ちゃん、焼き上がったよ」
「はぁい! すぐ行きます」
 七海の仕事は焼き上がったパンを予約棚と陳列棚に並べること、あとはレジを含む接客全般。
 
「はい、これ」
「こんなにいいんですか?」
「時給安くて、現物支給でごめんね」
 店主に差し出されたのは、昨日の売れ残りのバゲットと、焼き色が少し足りないクロワッサンと、チーズが少し焦げすぎたピザ。

「売っても問題なさそうなのに」
「お客さんは厳しいからね」
 遠慮なくパンをもらった七海はおんぼろアパートに帰り、ピザを食べて昼寝をする。
 20時に起き、クロワッサンにレタスとハムを挟んで食べたら、次はコンビニの深夜バイトだ。
 
 深夜のコンビニは怖いけれど、お客さんもあまり来ないし、店の奥に店長もいるし、なによりも時給がいい。
 店長は本当は男子大学生にアルバイトに来てほしかったそうだが、人手が足りないので七海でもいいやと妥協してくれた。
 
 22時から早朝5時までコンビニでバイトをし、6時から13時までパン屋。
 パン屋のおかげで食費はだいぶ助かっているけれど、それでも生活はギリギリ。
 でも大丈夫。なんとかなる。
 七海は自分に言い聞かせながら、通帳の残高とにらめっこした。

    ◇
 
「ごめんね、斎藤さん。田口さんが風邪ひいちゃってさ」
 いつもは22時からのシフトだったが、今日は19時からコンビニで働けないかと頼まれた七海は二つ返事で答えた。
 ちょっと勤務時間が長くなるだけ。3時間分プラスの給料がもらえるのでラッキーくらいに軽く考えていた。

 だけど──。

「……派遣じゃなかったか?」
「えっと……先週までは派遣でした」
 七海はレジに現れたスーツ姿の佐野に引きつった笑顔を返した。
 
 少し考えればわかるはずなのに、私の馬鹿!
 ここは七海のおんぼろアパートの最寄り駅だが、佐野のマンションにも近い駅前のコンビニ。
 会うかもしれないという可能性をまったく考えていなかった自分の浅はかさがツラい。

 レジに置かれた炭酸水のバーコードを七海が読み取ると、すぐに佐野が電子決済をすませる。

「何時に終わる?」
「あ、えっと、5時……」
 なにか言いたそうに額を押さえた佐野は、盛大な溜息をつきながら炭酸水を手に取った。

「朝、迎えに来る」
「そのあとパン屋なので」
「パン屋は何時までだ?」
 その顔は絶対に呆れてますよね。
 
「13時まで……」
「どこのパン屋だ」
「すぐそこの、駅から左に入った……」
「わかった」
 わかったって何が!?
 パン屋に迎えにくるってこと?
 
 佐野を見送ることもできないまま、七海は次のお客さんのお弁当をレンジで温める。
 深夜は客がいないけれど、この時間は手際が悪いとレジに並んでしまうくらい客がいて驚いた。
 夜9時を過ぎるとだんだん客が減り、七海はようやく休憩に。

『働きすぎだ』
 佐野からの短いメッセージに、七海は「バレたくなかったなぁ」と困った顔で呟いた。