ねじれの位置の恋人 ~世界でたったひとり、出会ってはいけなかった人~

「いろいろ話したいけれど、先に大和の居場所を伝えておくね」
「研修先の病院ですか?」
 やっぱり何かあったってこと?

「うん。あいつは今、ロサンゼルスにいる」
「……え?」
「大和はアメリカしか教えてくれなくて、玉響総合病院に聞いても研修先を教えてくれなくて、調べるのにこんなに時間がかかって本当にごめん」
 ちょっと行ってくるよくらいの雰囲気で出て行ったのに?
 大和が優秀なことは知っているけれど、海外研修だったなんて。
 だからメッセージも既読にならないってこと?

「じゃあ、いつ……」
 半年? 1年?
 大和はいつ帰ってくるの?

「おそらくだけど、帰ってこない」
 躊躇いながら口にした後、西九条は申し訳なさそうな顔をした。

「なんで」
「この封筒の中身は、あのマンションをいつでも七海ちゃんに譲渡できるように準備された書類なんだ。あいつは、身辺整理を済ませて行ったんだよ」
 ちょっとだけ昔話をしてもいいかなと、西九条は話し始めた。

「大和のお父さんが亡くなっているのは知っている?」
「はい、聞いたことがあります」
「すごく優秀なお医者さんだったんだけどね、医療ミスで訴えられて。アルコール依存症になって」
 結局裁判は相手都合で打ち切りに。
 裁判前に大和の両親は離婚し、大和は母親に引き取られて「佐野」の姓になったが、母親はすぐに再婚。大和は再婚相手の戸籍には入らず佐野のままに。
 
「大和はもともと医者を目指していたけれど、裁判をきっかけに司法試験を受けたいって言いだして。それで当時うちの親父がやっていたこの事務所に相談に来たんだ」
 医学部在学中に独学で勉強し、司法試験に受かったのだと教えられた七海は、大和のあまりにも浮世離れしたスペックに息をのむ。
 
「大和さんには……何か、成し遂げようとしている目的があるってことですか?」
「大和の旧姓は西九条。医療ミスで斎藤俊嗣さんの命を奪った玉響総合病院の元脳外科医、西九条大造の息子だよ」
「斎藤……俊嗣?」
 聞き覚えのある、けれどこんな場所で聞きたくなかった名前に七海の声が震える。
 
「七海ちゃんのお父さん……だよね」
 宣告は、残酷なほど静かに響いた。
 あまりにも膨大な情報量が、七海の思考を停止させる。
 目の前が真っ暗になった七海は、自分が立っているのか座っているのか、なぜここにいるのかすらわからないほど、絶望の深淵へと突き落とされた気がした。
 
「大和さんは……何をしにロサンゼルスに……?」
「真実を確かめに……かな」
 西九条は、机に置いた地図の一点を指さした。
 
「当時、あの手術室には大和の父親ともう一人、名医がいたんだ。名医が不祥事をすべて大和の父に押し付けたんじゃないかって」
 大和は自分の父親をアルコール依存症にまで追い込み、家庭を壊した『真犯人』がいるとずっと言っていた。
 日本の法律では裁ききれなかったその男をアメリカの法廷に引きずり出すために、あいつは自分の人生を変えてしまったと西九条は目を伏せた。

 復讐。
 あまりに古風で重すぎる言葉が七海の意識を支配する。

「……私に優しくしてくれたのは……」
 ずっとおかしいと思っていた。
 見ず知らずの貧乏な私に手を差し伸べてくれて、住むところも働くところも作ってくれて、さらに叔母に騙し取られたお金も返してもらえるように助けてくれて。

 大和が優しすぎるだけだと思っていた。
 けれど、そのすべての献身は、医療ミスの被害者である父への、そしてその娘である自分への『贖罪』だったのだ。
 
 大和が向けてくれた穏やかな微笑み。
 その裏側で大和は七海の背後に、自分の父親が壊した家庭の影を見ていたのかもしれない。
 そう思った瞬間、温かかった思い出までもが冷たく凍っていくようだった。