こんもりと盛られた白米の上に、表面張力を遺憾なく発揮したカレーが乗っていた。
 腹は減ってるが、昼からカレーは重い。しかも力士が食うような量。

 カウンターを挟んで向かいに立つ律を恐る恐る見ると、彼女は運動会で我が子を見守る母親のようなまなざしを蓮に向けていた。仁司はというと、今日も食欲が失せるような派手な化粧をして、蓮を見張っていた。

「ちょっとあんた。早く食べなさいよ」
 仁司がごつい指を突き出す。

「こっちにもタイミングってもんがあんだよ」

「何がタイミングよ!それとも食べられないっていうの?うちのりっちゃんの手料理が」

 一々つっかかってこないでほしい。こちとら巨大カレーとの一騎打ちを控えているのだ。

「うるせえ、食うっつってんだろ」

 蓮はスプーンの先を、まだ熱そうなカレーの山に突っ込んだ。
 湯気を散らすように息を吹きかける。
 律が覗き込んできたのが気配で分かった。
 思い切って口に放り込む。

 優しい甘さの、万人が食べやすい味付けだった。
 カレーの辛さがあまり得意でない蓮には丁度良い。
 具は小さめだが量が多いので、十分な満足感がある。

 気が付くと、山のように盛られていた白米がきれいに無くなっていた。カウンターの向こうにいる律が、そわそわと蓮を覗いている。

「どう?りっちゃんのカレー」

 仁司の声に、蓮が「うまい」と答えると、彼女は胸に手を当てて息を吐く仕草をした。

 律はいつもこうだ。
 自分の作った料理を食べる蓮を不安そうに見つめて、食べきったところを確認すると安堵の表情を見せる。

 自信を持って、構えていたらいいのに、と思う。
 しかし蓮から「こんなに美味い飯食ったの初めてだ」と言うのは癪だった。

 仁司がぽってりと厚い唇を尖らせて、硬そうな脇腹に手を当てる。

「蓮ちゃんさぁ、そろそろ言うけどここは飯屋じゃないの。これ、夜の仕込みぶんじゃないんだからね。りっちゃんが毎日あんたの為に作ってるの。ちょっとは感謝しなさいよね」

「……別に頼んでねえだろ」
 蓮が不機嫌そうに返す。

「頼んで無くても作るの、りっちゃんは優しいから!」
「じゃあもう要らねえ。ゴチソウサマデシタ」
「何なのその言い方!」

 仁司の野太い怒鳴り声が、狭い店内に轟いた。
 律が戸惑った様子で、仁司の筋肉質な腕を掴み、頭を何度も横に振る。魚のようにパクパク動く唇が「大丈夫」と言ったように蓮には見えた。

「じゃありっちゃん、せめてお金取った方がいいわよ」

 律にたしなめられて眉を下げた仁司が、彼女の肩に大きな手を乗せた。
 仁司が力をこめたら、簡単に折れてしまいそうなうすっぺらい肩だと思った。

 女ってこんなだったか。

 蓮はキャバ嬢の剥き出しの肩を思い浮かべた。見られることを前提とした体には、いつだって堂々とした威厳があった。

 律はやはり、首をでんでん太鼓のように振る。

「もうりっちゃんったら!優しすぎぃ!」

 必死な仕草を見て、耐えきれぬという仕草で、仁司は律を抱き締めた。律は戸惑いながらも嬉しそうに、されるがままになっている。
 男の腕の中にいる律はやはり小さい。仁司の逞しい胸板に、小ぶりで柔らかそうな乳房が接触するところを見て、眼球の奥がもやもやした。
 漸く解放された律は、よろけながら店の奥に消えて行った。

「あんたね、本当に感謝しなさいよ」

 仁司が眉間の皺を寄せる。
 仁司は女の恰好ををしているが中身はきちんと男だし、恋愛対象も異性なのだそうだ。美しさを追求しながらも欲求には忠実。世話になってはいるが、その傲慢さは受け入れられない。

 睨み合っているうちに、律が小花柄の包みを持って出てきた。
 四角の箱のようなものが入っているらしきそれを、彼女は勢いよく連にの目前に突き出した。面食らった蓮が、茫然とそれを受け取り眺めていると、今度はメモ紙を差し出した。

『よかったら夕食に』

 丸みのある字がそう並んでいた。
 再び手元に視線を落とす。訝しがりながら包みの結び目を解いていくと、中にはタッパーが二つ重なっていた。触れてみると人肌のように温かい。
 メモ紙がめくられる。

『口に合わなかったら捨ててください』

 律は慈しむような表情を浮かべていた。
 タッパーの中身を確認したい気持ちと見栄が秤にかけられる。
 蓮は唾を吞み下しながら、自らの手で解いた包みを再び結び直した。

『迷惑だったらすみません』

 メモ紙に書き添えた律は、小さく頭を垂れた。

 蓮は返事忘れ、包みを見下ろしたまま動揺していた。
 律が自分に親切にする理由がわからない。
 そのうち金をせびるつもりだろうか――否、金銭目的ならどんなにいいだろう。彼女が無害なことは、出会ってから数カ月のうちに知ってしまった。

 居たたまれず、急くように財布を取り出し、千円札を抜いた。しかし、包みを一瞥してもう一枚出す。それを律の前のカウンターに置くと、彼女は瞠目してからはっとして、ドアへ歩む連を捕まえようと腕を伸ばした。
 いいの、いいの。と仁司の暢気な声が聞こえる。 
 外に出ると、小雨が鼻先を掠めた。