「はじめまして」

道端で、彼女は確か、僕にそう言ったと思う。

「はぁ……」

僕は、それを訝しみながら、返事ともとれないような返事をした。


―――今思えば、彼女のこの一言が、全てを創り出していたような気がするのだけれど。



容姿に寄ってくる奴とも、嫌々近づいてくる奴とも違う、初めて聞くような声色。

柔らかい印象の強い声音で、それなのに、少し平坦でもあるような気さえもした。




「私、死ぬまでに本当の恋を知りたいんです」


唐突に、路上でそう語り出した女。


「寿命って、寿に命って書くじゃないですか。寿って、長生きを表す字ですよね。
それでも、生命の残りの日数は変わらないんです。ずっと変わらない、儚いものなんですよ」

長くなりそうな予感を察知し、半歩下がった。

「で?その寿の儚い命がなんなの?」

いつもの調子で、挑発するように言った。

だが、それが災いして、興味を持ったと思われてしまう。

「人間の動きの中には、恋情が入ってるんです。
つまんない命の使い方してたら、人間としての活動を全うできないと思いませんか?」

目尻を下げ、懇願するようにそう言う女。


人として懸命に生きるため、恋をしたい……と?

「お前、持病でもあるの? だから時間が無い……ってわけ?」


「―――……持病なんてありません。ただ、恋を知りたいんです」


数秒の間を置き、そう言った女。

急に“持病でもあるのか”なんて聞かれたら、戸惑うのは当たり前だろう。


「次に、その相手がなぜ僕なのか聞かせて欲しいんだが」

そう尋ねると、ずばりと言い放った女。


「顔です」

「は?」

要は見た目と?
自分の容姿が親譲りで多少整っているとはいえ、命について話す割に平凡だと感じてしまう。


「容姿で選んだ訳ではありません。厳密に言えば、表情です。
貴方の顔は、周りの人と比べて活き活きしてなくて、つまらなそうです。
それで……秘めたる情熱を引き出してみたくなりました」

「…………っそんなの無い!」

のらりくらり、平凡に冷たく生きる僕には、最も程遠い言葉。

急に叫んだ僕に、彼女は目を細める。


「声が大きいです……でも、あります。私には分かりますから」

「だから、無……」

「興味はありませんか?自分ですら姿を認めていなかった、別の自分に」


挑発するような言葉にプツリと何かが切れ、思わず、ニヤリと口角を上げた。

言われっぱなしも気に食わない……。


「面白い。興味は持った」

そう言うと驚いた顔をした後 僕を一瞥し、小さく息を吸った女。




「私に、恋をしてみませんか」


「……はぁ?」

気でも違ったかと思い、やや不機嫌気味に問い直してみせる。

「賭けのつもりで、やってみませんか?」

「…………はぁ?」

気違いで言ったわけでは無いようで、一つ溜息を吐いた。


「で? 恋をするって、どーすりゃ良いわけ?」

僕は、眉を顰めて尋ねる。

下手に共感の声でも出せば周りから白い目で見られるだろう。


「メール、やってますか」



「……」


わけが分からない……。


内心、ゲっと呟いた。 連絡先聞くやつ。 ヤバいんじゃ……と思い、だんまりを決め込んだ。


「やってるんでしたら、私の連絡先を追加しておいて頂けますか」


聞くんじゃなくて、自分から晒すって……。

連絡手段を持つのは変わらないのに、
不意を突かれたような気がして、反抗する気が失せてしまう。

「分かったよ。入れとく」

口に出して言うと取り消せなくなった気がして、渋々スマホを出した。

「ありがとうございます。サクくん」


「なっ……なんで名前分かるんだよ」

「……名前を知られたくないのであれば、設定、見直したほうが良いんじゃないですか?」

……盲点だった。確かに【---Saku---】なんて名前、すぐに変えたほうが良さそうだ。

「てことは、お前は……アヤ……」

「違いますよ?」

少しムキになって彼女のアカウント名を言ってみたものの、あっさりと否定され混乱に陥る。

思わず二度見するが、
ディスプレイに表示されているのは、【A______YA】という名前であることに違いはなく。

「……って、名前、“アヤ”だろ?」


「何が悲しくて名前の間にアンダーライン入れないといけないんですか」

「じゃ、名前……っ」

少し困惑気味に問う。

茜音(あかね)沙耶(さや)です。茜色に音、沙羅双樹の沙と有耶無耶の耶です。
最初と最後の字を結んでみて下さい」

「あかねさや……あ……や……って、そういうことか……!」

A()KANESA(かねさ)YA()の、間の六字をアンダーラインにしてたのか。

気づかず早とちりしたのが恥ずかしい……。


「サクくんの苗字は」

「あ、あぁ…………穂澄(ほずみ)。穂澄 (さく)っていうんだ。
稲の方の穂に、サンズイに登るで穂澄。それで、朔方の朔」

「朔くん……ですね。末永くよろしくお願いします」

「末永くやる気ねーから」

素っ気なく返すけど、謎の女もとい茜音に興味が湧いてきたのは、消えようのない事実だった。



「そういえば茜音、言っとくけど、スタ連とかやめろよ」

「沙耶で良いですよ。私も朔くんって呼んでますし」


僕の言葉には返答せず、そう要求してきた茜音。

女子を名前で呼ぶことに抵抗はあったけど、そう言われると仕方ないとも思ってしまう。


「……分かった、沙耶。……もっかい言うけど、スタ連はするなよ?」

「…………あのぅ、すみません。スタ連って……?」


「……知らないか?スタ連の意味。スタンプ連続で送ってくる、迷惑なやつで……」

「そんな烏滸がましいことしません!」


僕の言葉を遮り、猛烈な勢いで言った……沙耶。



「なら良いけど。またな」

そう言って、今度こそ背を向けて戻る。

はぁ……面倒なことになった…………溜息を吐くと、その場を後にした。