みなさまは「振り出し」をご存知でしょうか。
主に「茶箱(ちゃばこ)」と言うお点前をする時、
金平糖(こんぺいとう)のお菓子を入れる小さな丸いお菓子入れの事です。
その振り出しをひとつ、水干(すいかん)(たもと)にお入れになって、
今年もお小さい神様が歩き始めました。

神様の水干は「桜染め」と申しまして、桜の枝を幾日も幾日も炊いて色を出し、
そこに絹を入れまして、更に何回も何回も染めましたものでつくられております。
ふんわりとした桜貝のお色に、お袖と首回り、(はかま)は若草色。
柔らかで艶やかな黒髪をきりりと後ろでひとつにくくり、
大きな黒い目と凛々しい鼻と愛らしい紅色の唇。白いお顔にふくふくとしたさくら色の頬。
そう、このお小さい神様は桜の神様なのでした。

神様が桜の木に登られまして、色鮮やかな桜を描いた石川は九谷(くたに)で作られました振り出しを振られますと、
中から薄紅色の金平糖が、さら、さら、と出て参りまして、
数日後には雪景色の中より青空が出て桜のつぼみがふくらみ、
あれよあれよの花の宴になるのでした。
その頃、神様は、別の場所にいらっしゃると言う寸法でございます。
ところで、

神様はまだなにぶんお小さいものですから、
道で出会った犬を追いかけたり、猫のしっぽを引っ張ったり、
それはもうにぎやかなご様子でございます。
そして子供等が遊んでおりますと我もとお仲間に入り、
時として、ご自分のお役目もお忘れになる有様。
それでも、
毎年、桜の花を楽しみにしているひとびとのために、
今日も神様は、街道をとことこ懸命にお歩きになるのです。

「しまった。日暮れまでに山を下りることができなんだ」