教室から廊下の方まで、家庭科室にはカレーの良い匂いが漂っていた。

 恋たち生徒は調理実習の準備をしていた。


「恋、エプロン解けてるよ」


 食材の並んだテーブルを前に、レシピを確認しながら、理央が言った。



「上野くん上野くんっと。こういうのは彼氏に頼むんだ。恋の紐結んであげてよ。」

「自分で結ぶよ。」

「いい、やる。恋、向こう向いて。」



 宗介が手を伸ばして、恋の背中でエプロンを結んだ。


「じゃがいもの皮むき、僕がやる。」


 白いエプロンを付けた美風が言った。


「上手い人がやった方が簡単だから。新田さんは皮むきが終わったら食材切って。僕得意だから、すぐ済むよ。何なら切るのも僕1人でやっても良いけど、やる事ないでしょ?。」

「分かった」


 恋のグループは、隠し味にヨーグルトを入れたカレーを作る予定で、材料は全部揃っていた。

 まな板の上に並んだじゃがいもを押さえて、恋は慎重に野菜を切った。

 と、恋が小さく声をあげた。


「痛っ」

「あ、恋、大丈夫?」


 恋が指の傷を舐めると、人参の皮を剥いていた理央が心配そうに聞いた。


 宗介が肉を切っていた包丁をまな板に置いた。



「馬鹿だから怪我して。絆創膏貰ってくる。ったく。」

「新田さん、大丈夫?。傷洗った方が良いよ。しみないから洗っておいで。かわいそうに。」



 恋が廊下にある水道から戻ってくると、丁度新聞部の伊鞠と桂香が家庭科室に入ってくる所だった。



「あ」


 宗介が伊鞠たちに気付いて嫌な顔をした。

 と、その顔を、すかさず桂香がパシャリとカメラに撮る。



「加納先輩に石巻先輩、何しに来たんですか。」


 宗介が聞いた。



「あらやだ。そんな言い方ないじゃない。私達、調理実習の報道も頼まれるのよ。新聞部は大活躍なんだから。」

「また馬鹿な事掻き立てるつもり?」



 美風が腕を組んで聞いた。



「この間は協力ありがとう、樋山くん。新聞部は中立だけど、君の恋も応援してるわ」

「愛のメッセージを発信するには、新聞はぴったりだったけど。」



 美風が言った。



「正直それ以外の使い道はないんで。次からは適当書かないでくださいよね。もう書いて貰うことはない。どうしても書くなら僕のこと両思いって書いて貰えれば。」

「適当というか、人にウケることを書きたいのよ、私達。学校で目立ちたいの。」

「納得いかない。学校で三角関係の記事を書くなんて。この間の記事、どうしてくれるんですか。恋の事二股呼ばわりして、迷惑です。ちゃんと謝罪して撤回してくださいよ。」

「それは……できないわ。」



 伊鞠がポーズを決めながら言った。



「一度書いた記事は撤回しないで放置!。それが西中新聞部のやり方!。ちなみに悪いとは思ってない!」

「畜生。迷惑ですよ先輩方。」

「時に新田さん怪我大丈夫?。怪我したんですって?。三角関係の頂点には、安泰に居て貰わなきゃ」

「大丈夫です。」

「時に、その絆創膏誰の?」




 理央が言った。



「先生のですよ」

「さっきこの教室にはなかったでしょう。誰が貰ってきたの?」



 宗介は答えなかった。

 腕組みをして無言で伊鞠を見やる。


「上野くんね!やっぱり!ネタ発見!」


 伊鞠は嬉しそうな顔で、ポケットからメモ帳を出し書きつけた。


「今度の記事はどういうタイトルが良いかしら」


 伊鞠はひとりごちた。



「調理実習する三角関係、彼氏が絆創膏を貼る。うーんこの書き方じゃパンチないわね……」

「……協力」

「しませんよ。僕、新聞で愛してるって宣言したかっただけだし。後他にしたい事ないし。」



 物欲しげな桂香に美風が応えた。



「僕のこと片思い呼ばわりしないでくださいね。両思いなんだから。先輩方。この間の報道通りで良いんで。」

「樋山くんもネタの宝庫なのよ。」



 伊鞠が言った。



「樋山くんが持ち込みした、あのぶらんこの写真、次は一緒に載せるわ。」

「はあ?」

「よろしく。お願いしますね。」



 嫌な顔をした宗介を無視して、美風が伊鞠に笑顔を向けた。




 カレーを作っている傍らで、宗介と美風は一足先に手早く後片付けを始めた。

 宗介はまな板と包丁を洗い、美風がそれを布巾で拭く。

 2人とも無言だったが、流れるような作業はいいペアだった。


「息ぴったりだね。」


 恋が小声で言うと宗介が目を上げて恋を睨んだ。

 しかめっ面の美風が言ったのと宗介が言ったのは丁度同時だった。 


「「誰が?」」


 恋は吹き出したいのを俯いてやり過ごした。





 理央は、鍋のカレーのルーをおたまで溶かしながら、伊鞠たちの様子を伺っていた。


「ちょっと失礼。」


 伊鞠が鍋に近づいてきたかと思うと、空の皿におひつのご飯をよそって、次に理央からおたまを取って作り中のカレーをよそった。
 もう一皿作って桂香に手渡すと、そのまま椅子に座って二人でスプーンでばくばく食べ始める。



「うん、美味しい」

「スクープ。カレーを横取りする新聞部。記者が座り込みをする。」



 理央が呟いた。



 宗介が言った。



「とにかく、先輩方。あることないこと書かないでくださいよ。ほんとに。ネタはいつもあがってんですよ。」

「嫌よう。」



 余裕綽々でカレーを食べながら伊鞠が笑った。

 宗介は心底うんざりした顔をした。



「ふざけやがって。恋がかわいそうだ。迷惑なんだよ、あんたら新聞部。馬鹿な事ばっか書いて。ほんっと、どうかしてんじゃないですか。」

「この三角関係は大人気だからまだまだ記事続くわよ。なんて言われたって。」

「人気も何も、この前なんてプライベートの報道だったじゃんか。勝手に写真撮って。いつ撮ったんだよ頭おかしいんじゃねーのこのストーカー!」

「良いわよう。なんて言ってくれたって。」

「……おかわり」




 差し出された皿に理央がしょうがなくカレーを入れると、カメラを取り出した桂香があきれ顔の理央の写真をパシャリと1枚撮った。



「大体、付き合ってる二人の報道をしたいだなんて学生の新聞でおかしいんですよ。学校の行事についてするものだろ、普通。納得行かない。絶対撤回して貰う。」

「それは報道する側に選択権があるのよ。私達は三角関係専門。美男美女のね。それもスクープ専門。」

「頭くる。恋が悪女っていうの、どうにかしろよ。彼氏が認めない。樋山と恋が付き合ってるっていうのも、間違いだったってちゃんと載せてくださいよ。いい加減にしてください。」

「樋山くんが一枚上手ね。報道はああやって使うものよ。なんなら上野くんも愛のメッセージ、載せてあげるわ。今メモ取るから何かコメントして頂戴。」

「するかよふざけやがって。いいですか、あれ中等部の公式新聞なんですよ。これじゃ学年中の笑いものだ。くそっ校長に言ってやる。」

「許可取ってるのよう。」



 桂香が今度はまだ作り中のカレーが入っている鍋の写真を撮った。

 カレーがおいしく出来上がる時間になるまで、宗介と伊鞠は言い争いをしていた。