夜会の会場。
煌めくシャンデリア、グラスの触れ合う音、上品な笑い声――どれも自分には縁遠い世界だと、鈴子は思った。

(どうして私が、こんな場所に……)

胸の奥で戸惑いが膨らむ。
だが隣には冷徹と呼ばれる専務――我孫子雄大。今夜、彼の「婚約者」としてエスコートされていた。

「歩け」

低く、揺るぎのない声。
その一言に抗えず、鈴子は小さく頷き、彼の歩幅に合わせようと必死に足を運んだ。

次の瞬間――ぐっと強く手を握られる。

「……っ」

小さな痛みが指先に走った。
それは護るための優しさではない。まるで逃げ道を塞ぐような、圧倒的な意志。

「……専務」

囁くように呼ぶと、雄大の横顔が近づき、吐息が耳をかすめた。

「専務じゃない。……ここでは雄大って呼べ」

氷の刃のような声音。
周囲から見れば、冷たい専務がいつもの調子で命じているように映るだろう。
だが握られた手から伝わる熱は、形式とは正反対だった。強烈で、独占的で、抗えない。

(……どうして、こんなに)

胸の鼓動が荒れ、息が上手くできない。
目の前の煌びやかな景色は遠のき、耳に届くのは彼の声だけだった。

雄大は社交の場で隙ひとつ見せず、完璧な笑みを貼り付ける。
その冷徹な仮面の裏から、もう一度だけ低い声が落ちてきた。

「今日は俺だけを見ていろ」

ドクン、と心臓が大きく跳ねる。
握られた手は逃げ場を与えず、視線を奪い、存在を縛りつける。

周囲の人々は羨望の目で二人を見ている。
「冷徹な専務とその婚約者」――そう囁かれるのだろう。

けれど実際には。
ただ一人の男の、あまりに強い執着に囚われ、身も心も支配されていた。

(専務……。どうして、そんな顔で……そんな声で)

恐ろしく、けれど甘美な熱が、鈴子の胸の奥で静かに広がっていくのを、彼女は抗えずに感じていた。