「柚音の学費のために貯金しろって言っているのに、美容のことに金を使うな!!」
部活帰り、祈るようにスクールバッグの肩ひもをにぎりながら、マンションの一室のドアを開けたあたしの耳を父親の金切り声が突き刺した。
その声はリビングから聞こえてくる。またか、と思わず肩を落とす。
「受付業務は身ぎれいにしていないと患者さんとかに印象が悪いの!美容のことに金使うなって、ろくに働いてない男に言われたくないわ!!何が柚音の学費よ、誰の金で食わしてもらってると思ってんだよ、この穀潰しの無能男が!!」
いつも通り、大声で母親が父親に言い返す。
こういうときはあたしが割り込んでもろくなことにならない。火に油を注ぐだけだ。
あたしは、自分が帰ってきていたことに気づかれないようにそっと自室に逃げ込んだ。
うちの家は、物心ついてからこの方、ずっと空気が重苦しい気がする。おそらく、夫婦の関係が冷め切っているのにだらだらと婚姻関係を続けているせいだろう。
ろくな仕事は続かない父親と、ろくな仕事についてあたしとあたしの父親を養わなくちゃいけない母親。その間に生まれたあたし。
あたしはいつも板挟みになって、母親と父親の仲介役のようになって、そして両親の顔色を常に窺ってびくびくしている。
父親は、家事をするでもなんでもなく、いつもアニメやテレビを見てごろごろして、酒を飲んだり、物を投げたり、大声を出して暴れたりしている。警察沙汰になることもよくある。
どうやら最近母親の仕事が忙しくなったらしく、遅く帰って来たり、身だしなみのことにお金を使うようになった。
母親は病院の受付をしているから、身ぎれいにしないといけないという母親の主張には頷ける。
しかし父親はそれをよく思っていなくて、父親と母親は顔を合わせるたびに喧嘩している気がする。
母親は夫婦げんかが終わった後、必ずといっていいほど酒を飲んで怒り狂ったり泣きわめいたりする。それをなだめるのはいつもあたしの役割。
夫婦喧嘩が始まってしまったら、やることはただひとつ。
イヤホンで両耳をふさいで音楽を聴いて、聞こえていない、気づいていないふりをすることだ。
イヤホンをBluetoothでスマホとつなぎ、Spotifyで音楽を再生する。
今のリビングの惨状とはまるで釣り合わない明るい曲を聴いて、無理にでも気分を上昇させる。
それでもうるさければ、枕で顔を挟むようにして耳をぎゅっとふさいで目をつぶる。
これが私のルーティーン。いつまでも変わらないルーティーンである。



