〈side美咲〉

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件名:渋谷駅前の広告の件

株式会社クロノワークス
結月 美咲様

先程は突然お声をかけてお引止めして申し訳ありませんでした。
名刺を頂きありがとうございました。

広告が変わった件ですが、メールでご報告するべきところなのは承知しておりますが、勝手ながらお会いし話せないでしょうか。
今、自分の身の回りで説明のつかないことが起きている気がします。結月さんも同じように戸惑っているのではと思います。
ご迷惑でなければ一度お会いできたら嬉しいです。

私は今週いつでも都合がつきますので、結月さんのご都合がいい時に、もちろんご迷惑でなければですが、どうぞご検討下さい。

株式会社セレスティア
クリエイティブ本部 ブランド戦略部
一ノ瀬 悠真
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お昼から戻ると社用アドレスに、新しいメールが届いていた。送信者の名前を見た瞬間、胸の奥が跳ねる。

他にもチェックすべき案件のメールがいくつもあったけど、真っ先に開封。

読み終えた瞬間、美咲は慌てて口を押さえた。
一ノ瀬さんとまた会える。
この状況を話し合える人は他にいないという点でも、個人的な感情としても、とても嬉しい連絡だった。

スクランブル交差点で人とぶつかった、あの瞬間。
確かに「KAI」の巨大な看板が目に入っていたはずなのに、振り返った途端、それは別の広告に変わっていた。

そして出社して間違いないのだと思った。
ここは2025年ではなく、2030年だと。
メールから察するに、一ノ瀬さんもこの状況に戸惑っているのだろう。

私は2025年8月15日のスクランブル交差点を渡って、途中で目眩がした。その次の瞬間に視界の広告が変わっていたから、あの時2030年8月15日に飛んだのだろう。
途中の5年間の記憶なんて何一つない。
さっきまで2025年だったのだから。

職場のみんなは5年間を当たり前のように過ごしてきた記憶を持っている。
昨日の続きとして今日を生きている。
自分だけがそうじゃない──
いや、一ノ瀬さんも同じ状況になっている。それだけで少し孤独と恐怖が和らいだ。

真っ先に確認したのは自分が結婚しているか。記憶がないのに家庭があったらちょっと怖いけど、まだ独身だった。それはそれでいいのか悪いのか。

そして、2025年、開発に追われていた未来予測 AI「LYNX」の一般ユーザー向けアプリは2027年にリリースされていた。
これは、泣かずにはいられなかった。
過去の社内報に踊る見出しを見ても、全く喜びを感じられなかった。自分がリリース版に最後まで関わり見届けたかった。記録上はそうしたことになっているけど、私にはその記憶はないのだから。

しかも、そのCMを手がけたのは――
セレスティアの一ノ瀬 悠真さんだった。

社内の資料で見る映像は洗練され、力強く、それでいて美しかった。
LYNXはオオヤマネコのこと。
神話では未来を見通す目を持つとされる生き物とされるところから採用された。
そのイメージを巧みに取り入れたクリエイティブは、誰もが称賛しただろう。社内報には私と一ノ瀬さんの対談まで写真付きで載っている。まるで実感がない過去。

名刺を取り出し、じっと見つめる。
過去の覚えのない対談記事よりも、この名刺の方がよほど一ノ瀬さんとの関わりを実感できた。

――一ノ瀬 悠真さん。

非常事態だし不可解だし、浦島太郎状態なのに気を抜くと口元が緩んでしまいそうになる。

「美咲さーん!」

呼びかけられて我に返る。
後輩の圭子だった。

「LYNXのアップデートの件でちょっと相談が……って、それ、一ノ瀬さんの名刺じゃないですか?!」

「うん、今朝ちょっと話すことがあって」

圭子が目を丸くし、さらに身を寄せて声を潜めた。

「より戻すんですか?」

「は?」

「あぁ、より戻すは違うか……でも一ノ瀬さんが美咲さんに猛アプローチしてた時、いい雰囲気だったし、お似合いだし、絶対くっつくと思ってたから、いいと思います!正直あんな男より!」

「何の話?」

「ちょっ、美咲さんが振ったのに忘れたとは言わせませんよ?!あの時は私たち、陰で泣いたんですから、一ノ瀬悠真を振るなんてもったいなさすぎるって」

美咲は一瞬、息が詰まるような感覚を覚えた。

――私が、一ノ瀬さんを振った?

「だからいいと思います、主任と一ノ瀬さん、応援してますから」

圭子がウィンクをした。