午前の仕事を終えると湊君が声を掛けてきた。迷惑をかけたお礼に、コーヒーを奢ってくれるという。後輩に奢らせるのは気が引けたけど、どうしてもと言うのでお言葉に甘えることにした。コーヒーを買い、気分転換に二人で屋上にやってくる。

「昨日は本当にすみませんでした。僕、如月先輩がいて本当によかった」
「今後は気をつけてね。私も対処しきれないことあるから」
「はい!もう二度と失敗はしません!」

 湊君は一安心したのか無邪気に笑った。屋上は木や花など緑が植えられていて、夏に向かうこの時期は心地がいい。お昼時はお弁当を持ってランチをしにくる人もいる。

「それより昨日の先輩の『愛の巣水まんじゅう』笑わせていただきましたよ」

 別に笑いを取ろうとしたわけではないのだが。

「あっ僕ゴミ捨ててきますね!」
「ありがとう。でも一緒に」
「これくらいなら僕だって出来ます!」

 湊君は空になった紙コップを二つ持ちゴミ箱へと小走りしていく。オフィスへ続くドアが開き、なんとなく目を向けると一ノ瀬さんがいた。予想外の人物に胸が跳ね上がった。

「あれ、如月さん?」
「一ノ瀬さん・・・」

 金魚のように口をパクパクしていると、一ノ瀬さんの隣に女の人がいることに気がついた。同じ部署の人だろうか。そういえば前にもこの人と一緒にいる所を見たことがある。

「何?一ノ瀬君の知り合い?」
「如月先ぱー、うわぁぁっ!おつ、お疲れ様です!!福田さん、一ノ瀬さん!」
「ん?あぁ湊君か、久しぶりね。一ノ瀬君早く食べましょう。休憩時間終わっちゃう」
「あ、はい。そうですね」

 二人は私の横を通り過ぎ角のテラス席に座った。

「湊君、さっきの人知ってるの?」
「福田さんは前の部署が同じだったんです。一ノ瀬さんはうちの会社で知らない人はいないでしょう。あの手この手でスピード出世し、あのビジュアルで泣かした女は数知れずって噂です」
「・・・でもうちの会社はそういうの厳しいはずじゃ」
「だから噂になるんですよ!先輩も気をつけて下さいね」
「気をつける?」
「あぁ言うタイプが出してくる優しさは、製造品だってことです」

 ドアを閉める際に一ノ瀬さんと目が合った。一瞬だけ、冷めたような瞳をこちらに向けていたのに、女の人に話しかけられるとあっさりと笑顔を作った。
 テーブルには色鮮やかなお弁当箱が広げられていた。

「これ今朝作ったの!早く食べてみて」
「福田さんすごいですね。ありがとうございます」

 心の奥が何かに押し潰されるように痛んだ。社会人のくせにキスくらいで浮かれるなんて。揶揄われたに決まってる・・・。そもそも、私の好みのタイプは一ノ瀬さんみたいな人じゃなくてコルネ王子のはず。仕事に対して真面目で、優しくて、誰からも頼られる。そんな人が・・・ってあれ、なんか似てるな。ため息が零れた。隣にいる湊君がさっきから、彼女の話をしているが頭に入ってなかった。

□□□

 ――入社して初めて参加した社内コンペ。無記名の企画を各部署で一つに選考し、全部署の社内コンペに提出される。私の企画は早々に予選落ち。全ての評価が△だった。

「では『食べる秋コレクション』は各務さんの『ゴクゴクおいしい栗ジュース』でいこう!」
「栗なら秋の代名詞ですし海外で安く仕入れることができますからね」

 代表を決めるため残った二つの企画は『ゴクゴク栗ジュース』と『食事にもなるフィリングコルネ』。事前調査も含め後者が優勢だと思っていた。かぼちゃやにんじん白花豆など、秋の味覚を甘すぎないよう食向けに提供する。甘党だけでなく楽しめる逸品だと確信した。けれど上司が選出したのは違った。

「あの『食べる秋コレクション』なのに、どうしてジュースなんですか?」

 テーマに沿ってないことを上司に指摘したら、異様な目で見られた。上司だけじゃない。周りにいた社員からも異端的な視線を注がれていた。こういう目を向けられることは慣れている。慣れているけど心地よいものではない。

「こっちのコルネの方が絶対にいいですよね?既存の中にも幅広い層に受けると思います」
「いや~最近の新人は度胸があるね!いいよ、いいよ!私は嫌いじゃないぞ。君みたいなタイプ」
「はい?」
「だがな、会社には順序というものがある。正論が受け入れられるわけではないのが社会なんだよ。覚えておきなさい」

 後々聞いた話だが、あのフィリングコルネの案は新人が出したものらしく、それを面白く思わない一部の上司が口裏を合わせてジュースに決めたとか。公平を期すために無記名ではなかったのか・・どこにでもある話。その時の優勝はもちろん違う部署だった。
 以来その人のことをコルネ王子と呼ぶようになった。数年だった今でも仕事で挫折しそうな時には必ず思い出す。私の支えであり憧れ。――そういえば、あの企画を出した新人って誰だったんだろう。

□□□

 会社を出てお洒落な店が建ち並ぶ通りにやって来た。少し奥まった場所にその店はあった。玄関には温かみのあるライトが灯されていて、良い雰囲気を演出していた。

「高坂君も来たいって言ってたから後から来るかも」
「うん。オフィス出る時に言ってた」

 店に入るとい「いらっしゃいませ」と女性の店員さんが声をかけてきた。木曜日にも関わらず店は賑わっていた。奥の座席に案内され、ドリンクを先に注文した。
 その時、離れた場所のテーブル席でバァッと盛り上がる声が店に響いた。声のする方を見ると一ノ瀬さんがいた。同じ部署らしき男性二人と昼間も一緒にいた福田さんの四人で楽しそうに飲んでいた。立ち尽くす私に、夢乃が声を掛けてくれたので一旦落ち着く意味で腰を下ろした。

「夢乃、一ノ瀬さんの好きな人分かった。ビビビッて来た」
「へぇ莉子にそんな洞察力があったなんて意外だわ」
「同じ部署の福田さんだよ。きっと」
「あーあの企画事務の人?確かに少し前、噂にはなってたけど一ノ瀬君が振ったんじゃなかった?」
「え、そうなの?」
「ちょっとアンタ何見て好きな人だと思ったわけ?」
「・・・女の勘?」

 隣で夢乃に大きなため息をつかれてしまった。

「だって、あそこで一緒に飲んでるし」

「えっ?」

夢乃は少し驚いたように振り返り、身を乗り出した。隣通しに座る一ノ瀬さんと福田さんの後姿。福田さんから繰り出されるボディタッチが目に余る。ビールを飲もうとするとすでに空になっていた。

「ゲッ本当だ・・・。この店、会社から近いもんな」
「ごめーんお待たせ!」
「あっお疲れ様です」

 少し遅れて高坂さんがやってくると、夢乃が奥に席をつめた。高坂さんは同じ部署の一つ上の先輩。追加のドリンクを決めようとメニューを見ていたら『合コンの鉄板ドリンク』という肩書に、目が留まりカシスオレンジを注文してみた。
 店内ではあちこちから雑談が飛び交っているというのに意識しないと、二人の後姿が視界の淵にチラついてしまう。

「ほい、如月」
「なんですか?スマホなんて渡して」
「昨日のおもち大魔神、見逃したって落ち込んでただろう?俺プレミアム会員だから見せてやるよ」
「えっ!?本当ですか!?見たいです!!」

 なんということだ!半ばあきらめていたというのに、ここにきてご褒美が。スマホを受け取り再生ボタンを押した。流れ出す映像に淀んでいた心が清くなっていく。

「前もその話で二人盛り上がってましたよね」
「栗林も見る?面白いぞ~」
「私は二次元より三次元が好きかなぁ」
「お待たせしました~ビールとカシオレです」
「カシオレ?莉子が注文したの?」
「うん。今度の企画のヒントになるかなって」
「あー『恋人と食べたい夏のスイーツ』な。確かに苦手そうだな。俺は適当に書いて出したぞ」
「いい案が思いつかなくて、うわっ甘!」

 余りの甘さに画面から目が離れた。

「あれ?高坂じゃないか!」
「門倉先輩!びっくりしましたよ!」
「久しぶりだなー!俺たちも、あっちで飲んでるんだよ」

 さっき一ノ瀬さんと一緒に飲んでいた人だった。テーブルの方をみると、福田さんの姿はなかった。帰ったのかな。高坂さんに馴れ馴れしく肩を組む男性は、酔っている様子だった。

「なんだよお前『俺の部署は社内恋愛禁止が根付いてる~』とか言ってたくせに、ちゃっかり女の子と飲んで」
「いや、女の子つーか後輩で・・・あ!門倉先輩たちも一緒にどうですか」
「おっいいな!いいな!ちょっと待ってて。みんな呼んでくるから」

 映像が流れて行ってしまう。止めようか迷っていると、夢乃が不快そうに高坂さんを睨んでいる。

「ちょっと!今日は莉子と飲む予定だったのに。これじゃ接待じゃないですか」
「ゴメンッ!!日頃から門倉先輩には仕事でお世話になってて。この埋め合わせは絶対するから」
「ったく。莉子は大丈夫?あんたこういうの苦手でしょ」

 テーブルの方で移動する気配がわかる。店員さんが気を使い料理を運んでくれている。
『私は好感度上げたりとか、お世辞言ったりするのが苦手・・・』ふと、昨日の一ノ瀬さんの言葉が頭を過った。『嘘でもおいしいって言った方がモテるよ』『少しのことで好感度を上げられて仕事でも役にたつよ』

「・・・でも大丈夫」
「悪いな如月も。これ後で必ず見せてやるからな!」

 高坂さんが深々と頭を下げながらスマホを回収した。

「後、如月は特に話さなくていいから!相槌だけ打っといてくれれば。全然普通に可愛い子でいけるからな!」
「ちょっと高坂君それ失礼すぎ」
「ごめん。緊張してつい。はぁー参ったな・・・」

 軽い挨拶と自己紹介が終わると、高坂さんは私と夢乃が一ノ瀬さんと同期だったと知り、少しだけ安堵したようだった。高坂さんの正面、つまり私の隣に門倉さんが座った。反対側には一ノ瀬さんが座っている。

「では、改めまして乾ぱーい!」
「福田さん帰ってくれて良かった~」
「オイオイまだ近くにいるかも知れないぞ」
「聞かれたら俺飛ばされるだろうな。アハハハ!」

 お酒も入りそれなりに盛り上がっていると、料理が運ばれて来た。一ノ瀬さんが手際よく人数分の小皿によそい、最後に私の分を取り分けてくれた。

「一ノ瀬さん、取り分け綺麗ですね」
「まぁね」

 思わず掛けてしまった一言に、一ノ瀬さんが答えてくれてほっとした。すると、高坂さんと仕事の話しをしていた門倉さんが声を上げた。

「一ノ瀬~そういうのは女子にやらせてやれよな!お前が女子力高いのを見せつけてどうすんだよ」
「あ、えと変わりますよ」
「いいよ。如月さんがこういうの苦手でしょ。はい、こっちが揚げ物」
「ありがとうございます」

 受け取る頃には門倉さんは高坂さんと仕事の話を再開させている。最初は訝しそうにしていた夢乃も隣の人に合わせている。私は取り分けてもらったご飯を食べるだけ。
 隣にいる一ノ瀬さんがいつもと違い、崩れない愛想笑いばかりしていて知らない人みたいだった。