「さて。おしゃべりばっかりじゃ嶋さんに叱られちゃうから、早速、仕事に取りかかろうか」
きた……!
当然だけど、メイドのふりをするということは、まず仕事を覚えなければならない。
婚約回避の決定打を見つける前に、仕事ができなさすぎて解雇されてしまったら目もあてられないから、しっかりやらないと。
「ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします」
「そんなにかしこまらなくて大丈夫だって!」
「そういえば……、旦那様と奥様にはまだご挨拶がすんでおりません」
わたしの事情を知っているはずのお二人にお会いするのは、違う意味で緊張するけど。
勤める以上、会わないわけにはいかない。
「あ~~、そうだったね! でも、今日はいないよ。今日はというか、お二人はこの屋敷を空けていることのほうが多いんだよね」
そっか……。
藤堂ホールディングスの社長さんと社長夫人ともなれば、想像もつかないくらい、忙しそうだもんね。
わたしの両親も、家をあけていることのほうが多いから、すこしだけあの兄弟たちに親近感を持った。
「……ご子息方は、さびしい思いをされているのでしょうか」
「えっ?」
はためには華やかな生活に見えていたとしても、毎日当たり前のように両親が家にいる子のことをうらやましく思ったりもする。少なくともわたしはそうだったけど、彼らはどう思っているんだろう?
いやいや、そんな個人的な感情を知ってどうする。
目的になんの役にも立たない。
わたしが知りたいのは、彼らの欠点なんだから。
「そっかぁ。あたしは、お金持ちでうらやましいなぁー、勝ち組だなぁ、としか思ってなかったけど、そういう考え方もあるね」
「すみません。今の発言はなかったことに」
「いいじゃん。そんな風に思えるひなちゃんなら、三人のいい理解者になれるかも!」
「……話が脱線しています。早く仕事を覚えたいです」
「おっと、そうだった。じゃあ、まずは基本的なお仕事から教えるね! あまりにも広すぎるから、屋敷の間取り図はおいおい覚えてもらうことにして、今日は紅茶の淹れ方を指導します。ちょうどキッチンにいるからね」
いきなり屋敷の間取りを覚えろとか言われなくて良かった。下手なテスト問題より何倍も難しそうだもん……。
ここはキッチンも豪華だ。大理石のカウンターを基調としていて、高級レストランの厨房のように設備が備わっている。咲宮家が劣っているわけではないけど、どこもかしこも一流かつゴージャスって感じで、藤堂家の格の違いを実感する。
「さて。ひなちゃんは、紅茶を淹れた経験があるかな?」
「ありません」
毎日、淹れてもらうことはあっても、自分が淹れることはない。
ここでの仕事は、普段自分がしてもらっていることを学ぶ機会にもなるんだ。
「いい返事だね。わからないことはわからないって、今みたいにはっきり言ってほしい。ヘンに知ったかぶりをしないこと。これがお仕事の基本だよ」
女子トークで盛りあがっていたすみれさんはどこへやら、あっという間に、教育係の顔つきになっている。根はまじめなひとなのかも。
「承知いたしました」
「はーい。じゃあ、まずは、道具の確認をしていくね。ひなちゃんもわたしと同じ道具を取りだしてもらっていい?」
そう言って、すみれさんは下の収納棚から、道具と食器を取りだした。
見よう見まねで、同じように使うものを目の前に置いていく。
「紅茶を抽出するティーポット、器のティーカップ&ソーサー、茶葉の計量用のティースプーンに、茶こしね」
「準備しました」
「まずは、このティーポットにお湯を入れて、温めます」
「えっ。ただのお湯ですか?」
「そうだよ、まず ポットを温めないと、紅茶がすぐ冷めて味が薄くなっちゃうから。最初にポットにお湯を入れて、30秒くらい放置してから捨ててね」
「わかりました」
その後の指導も、想像以上の紅茶の奥深さに、ビックリしてばかりだった。
「あっ! 茶葉は適当にいれないでねっ。ちゃんと計量用のスプーンを使うんだよ。淹れた紅茶は誰が飲むと思う?」
「……ご子息方でしょうか」
「せいかーい! 紅茶の味に一番厳しいのは、怜央さまだよ」
うわぁ、想像通りだ。あのひとに飲まれたくない……。
「陽人さまは、砂糖たっぷりのミルクティーがお好きで、悠真さまはスッキリとしたダージリンティがお好きなの。あ! ちなみに、悠真さまは怜央さまとは違った意味で要注意人物ね」
「……というと?」
すみれさんの推し語りモードが再び復活する。
「悠真さまって、ぶっきらぼうそうに見えて実はめっちゃくちゃ、やさしいの! だから、あたしが新米だったころ、どんなにひどい味でも黙ってぜんぶ飲んでくれてた。あんなん、あたしがメイドの立場じゃなかったら、恋に落ちるよ? って、あたしは彼氏がいるけどねー! 彼氏とは別腹だから~~!」
「べ、別腹!?」
「ほら、アイドルを好きになるのと、恋人へ向ける感情は別物でしょー? そんな感じ!」
な、なるほど……。
「アイドルとはちょっと違いますけど、少女マンガに出てくるヒーローに憧れる気持ちは、わかります」
実は、自分の部屋でこっそりと少女マンガを読むのが趣味だ。
物語の恋っていいよね。
ロマンティックで素敵。
架空の世界の素敵な男の子たちは大人っぽくて、わたしを傷つけることもない。
「ふーーん? ひなちゃんって少女マンガが好きなんだ!」
「……意外ですか?」
「いいじゃん! クールそうに見えて実はロマンティックな恋に憧れてるとか、めっちゃかわいい〜♩」
テンションの高さに引きづられてうっかり話しちゃったけど、冷静になると恥ずかしい。頬が熱くなる。
「現実とフィクションは違うと思っていますけどね」
「ふふー。それはどうかな?」
結局、雑談をはさみながら、わたしはすみれさんの紅茶指導を受けたのだった。
紅茶って、茶葉の種類によって、お湯の温度や蒸らす時間も変わってくるんだって。
毎日意識せずに飲んでいたけど、意外と奥深い世界なんだなぁ……。
なにか動作するたびに、そのつどすみれさんから指摘を受けながら、わたしはなんとか紅茶を淹れおえた。
「できたーー! せっかくだから、淹れたてのアールグレイを自分で飲んでみる?」
「はい」
ドキドキしながら、高級なティーカップの持ち手を親指と人差し指でつまむ。
小指はたてず、そのまますすらずに飲むと、すみれさんは目をまるくした。
「あれ……? ひなちゃんって、紅茶の飲み方を誰かに教わったことがあるの?」
ギクッ!!
やばい、いつもの癖が自然に出てしまった!
冷や汗をかきながら、ごまかす。
「え、えと……。母にすこしだけ」
「へー、すごいじゃん! 淹れてるときはおぼつかなかったのに、飲むときは完ぺきな仕草だったからびっくりしちゃったよ」
「あはは……」
苦笑いしながらも、内心はちょっと気が気じゃない。
そっか。これからは、振る舞いにも気をつけないといけないんだな。
「それで、肝心の味はどう? 記念すべき、ひなちゃんの初淹れたての紅茶!」
「うーん……。茶葉の味が濃く出すぎている気がします。もう一度、やり直しをしたいです」
「あれ、やっぱり紅茶を飲み慣れてる? っていうか初めてなんだから完ぺきにできなくて当たり前だよ!」
「は、母が紅茶好きなので!」
家で淹れてもらっている紅茶の味と比べてしまった。
自分でもわかっていなかったけど、わたしってウソが下手な方かも……。
その後、四苦八苦をして、なんとか自分で納得がいく出来のアールグレイを淹れることができた。集中しはじめると意外に楽しい、これも発見だ。
「えっと……、もう十回ぐらいやりなおしてない? ひなちゃんって、ストイックなんだね」
「はっ! すみれさんのお時間を取らせてしまい、申し訳ございません」
「気にしないでいいよ! ひなちゃんを成長させることも、あたしの仕事だもん。あっ、でも、向上心があって完ぺきを目指すのはもちろんいいことだけど、仕事ではそれだけが全てじゃないから気をつけてね」
「そうなんですか……?」
意外な発言に驚いてしまう。
「そーだよ。学校のテストでは百点を目指すのがいいことだと思うけど、仕事では、決まった時間内に効率よく業務をこなすことも求められるからね! クオリティは慣れるうちにあがっていくものたがら、完ぺき主義よりも完了主義を目指しなさいって、あたしは嶋さんによく言われてたよ」
そっか。
完ぺきはどの分野においてもいいことなのかと思っていたけど、場面によるんだな。勉強になることばかりだ。
すみれさんは、わたしが最後に淹れ終えたアールグレイを飲んで、にこりと笑った。
「でも、ひなちゃんの努力の甲斐があって、そのアールグレイはかなりのいい出来だと思うよ〜! ねえ、せっかくだし、ご兄弟にも飲んでいただこうよ!」
「エッ……?」
「なに驚いてんの? うまく淹れられるようになっても、飲んでもらわないと意味がないでしょ? 慣れるためにはとにかく実践だよ!」
その通りすぎて逆らうこともできず、わたしは三兄弟の下へ紅茶を運ぶことになったのだった。
「まずは、悠真さまか、陽人さまの下に運ぼうか! いきなり玲央さまはちょっとハードル高めだもんね?」
「おっしゃる通りです。あっ……、でも、アールグレイは玲央さまの好みであって、お二人の好みは別のものでは?」
「そうそう、よく覚えてたね〜! 優秀優秀。たしかに二人のお好みは違うんだけど、それ以外の紅茶は受けつけないわけじゃないから安心していいよ。玲央さまはアールグレイしか飲まないけどね」
うわあ、それっぽい……。
「承知いたしました。お二人はこの時間はどちらにいらっしゃることが多いでしょうか?」
お盆にティーカップを載せて、さっきまで教わっていた紅茶の出し方のマナーを頭の中で繰り返す。実践だ、緊張してした。
「悠真さまは、書斎か、裏庭にいることが多いかも! 今日は天気がいいから、外で読書されているんじゃないかな。陽人さまはー、うーん……定位置が決まってるわけじゃないかも。リビングかもしれないし、裏庭かもだし、図書室かと思ったら温室にいることもあるし、とにかくじっとはしてないタイプだね!」
「……それは、紅茶を運ぶのも大変ですね」
「そうなのーー。でも、あの天使の笑みで、ありがとう! って微笑まれると、頑張って探してよかったーー! ってなっちゃうんだよねぇ」
「そういうものですか」
「そういうものなの!」
となると、まずは悠真さまの下に紅茶を運ぶのが、現実的だな。
すみれさんに裏庭を案内してもらうと、綺麗に手入れされたエメラルドグリーンの芝生が広がっていた。
真ん中に噴水が設置されていて、涼やかに水を弾きながら、陽の光を浴びてきらきらとしている。
悠真さまは、すみれさんの予想通り、その噴水の前のベンチに腰かけていた。
「いらっしゃったよ! あたしは、すこし離れた場所からこっそりと見ているね。ひなちゃん、頑張って!」
すみれさんにガッツポーズで送りだされ、わたしは背筋を正しながら、彼の下へと向かった。
平常心、平常心。
ただイメージどおりに紅茶を差し出すだけだ、難しくないはず。
近づくと、悠真さまは制服から着替えて、私服姿になっていた。グレーのハイネックニットに、細い黒のスラックスがとてもよく似合っている。すみれさんが騒ぐのもわからなくはないというか、シンプルな服装だからこそスタイルの良さが際立っていてモデルさんみたい。
もう目の前というところまで近づいたけれど、彼はずっと手元の本に夢中で、一向にわたしに気がつく様子がない。
いや。
そうじゃなくて、あえてスルーされているのかな?
「あの……」
仕方なく声をかけると、彼はやっと視線をあげた。
前髪からのぞいた切れ長の瞳の宿す光に、一瞬、胸がドキッとする。
なんていうか、瞳に不思議な引力があるひとだ。ずっと眺めていたら平常心でいられなくなりそうというか……、長い前髪にある程度隠されていてよかったとヘンな感想を抱く。
「……紅茶?」
「はい」
「ありがと。そこに置いといて」
すぐ脇のサイドテーブルに置くよう簡潔に指示をすると、もう興味を失ったというように、視線が本に戻っていった。
今日から働いている同世代の新米メイドに対する態度としては、かなり淡白に感じるかもしれないけど、わたしには逆にありがたかった。彼が婚約者だった場合を想定する場合、『あまりにも他人に無関心そうだから』という理由を使えるからだ。
「承知いたしました」
あくまでも顔には出さず内心ではほくそ笑みながら、紅茶を慎重にサイドテーブルは置こうとした、その瞬間だった。
「っ!?」
想像していたよりもサイドテーブルが軽く、ぐらついてしまったのだ。
あっ!
このままだと、紅茶がこぼれちゃうっ。
カップがぐらりと傾いて、頭の中が『終わった!』と絶望的な気持ちでいっぱいになったそのとき。
「危ない」
!?
横からすっと伸びてきた長い指が、わたしの手首を支えていた。
「大丈夫……?」
思わず振り向けば、想像の何倍も至近距離に悠真さまの顔があって、心臓がドキッと飛びはねた。
ま、まつげ長っ!
瞳に宿る強い光に射抜かれて、くらっとしそうだ。
彼はどうやら、わたしの凡ミスをカバーするため、機敏に立ちあがってわたしの手首ごと紅茶を支えてくれたらしい。
「あ、ありがとうございます……」
声が震える。
紅茶がこぼれそうだった恐怖なんて、一気にすっ飛んでしまった。悠真さまが触れている長い指のぬくもりのほうを強く意識してしまって、すこし息苦しい。
なに、これ。
こんなにドキドキするなんて、知らない。聞いてない。
別の意味でパニックになるわたしに、悠真さまはそのままの姿勢でカップをゆっくりとサイドテーブルの中心に置きなおしてから、申し訳なさそうに告げた。
「……このサイドテーブル、すこし軽いんだ。先に伝えておけばよかった、悪かったな」
「は、はい」
間近で聞くと、低くて涼やかないい声……ってわたしなに考えてんの!?
あれ。もしかして、こんなにスマートで華麗な動きを難なくしてみせるなんて、無愛想そうに見えて、実は女の子慣れしてる!? 完全に少女漫画にでできそうなヒーロームーブだったよね。あ〜……、そういうこと? そうだとしたら、そんな婚約者は嫌だって理由になるかも。
わたしがあまりにも、支えられつづけている手首をガン見していたからだろう。
彼は、ハッとしたように手を離して、すぐにベンチのほうへ戻っていった。
「……っ、ごめん」
だけど、その白い頬がうっすらと赤く染まっていることを発見してしまって、また胸の鼓動が落ちつかなくなる。
ダメだ。
なんか、どうしてかわからないけど今すぐこの場から逃げ出したい気持ちがする。
顔が熱くて仕方がないよ。
「いえ……。助けていただいて、ありがとう、ございました」
お盆を手に持ちなおす動作も、心なしかおぼつかなかったけど、なんとか早歩きでその場を立ち去る。
その後も、すみれさんに「ねーーー、さっきのなにあれなにあれーーー! さすがにイケメンすぎて噴き出すかと思った! っていうか、身をていしてあんな風にフォローするところなんて初めて見たかも……! ひなちゃんが同世代だから気にされているのかな? やーん、やさしい惚れるーーー」と騒がれて大変だったよ。
きた……!
当然だけど、メイドのふりをするということは、まず仕事を覚えなければならない。
婚約回避の決定打を見つける前に、仕事ができなさすぎて解雇されてしまったら目もあてられないから、しっかりやらないと。
「ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします」
「そんなにかしこまらなくて大丈夫だって!」
「そういえば……、旦那様と奥様にはまだご挨拶がすんでおりません」
わたしの事情を知っているはずのお二人にお会いするのは、違う意味で緊張するけど。
勤める以上、会わないわけにはいかない。
「あ~~、そうだったね! でも、今日はいないよ。今日はというか、お二人はこの屋敷を空けていることのほうが多いんだよね」
そっか……。
藤堂ホールディングスの社長さんと社長夫人ともなれば、想像もつかないくらい、忙しそうだもんね。
わたしの両親も、家をあけていることのほうが多いから、すこしだけあの兄弟たちに親近感を持った。
「……ご子息方は、さびしい思いをされているのでしょうか」
「えっ?」
はためには華やかな生活に見えていたとしても、毎日当たり前のように両親が家にいる子のことをうらやましく思ったりもする。少なくともわたしはそうだったけど、彼らはどう思っているんだろう?
いやいや、そんな個人的な感情を知ってどうする。
目的になんの役にも立たない。
わたしが知りたいのは、彼らの欠点なんだから。
「そっかぁ。あたしは、お金持ちでうらやましいなぁー、勝ち組だなぁ、としか思ってなかったけど、そういう考え方もあるね」
「すみません。今の発言はなかったことに」
「いいじゃん。そんな風に思えるひなちゃんなら、三人のいい理解者になれるかも!」
「……話が脱線しています。早く仕事を覚えたいです」
「おっと、そうだった。じゃあ、まずは基本的なお仕事から教えるね! あまりにも広すぎるから、屋敷の間取り図はおいおい覚えてもらうことにして、今日は紅茶の淹れ方を指導します。ちょうどキッチンにいるからね」
いきなり屋敷の間取りを覚えろとか言われなくて良かった。下手なテスト問題より何倍も難しそうだもん……。
ここはキッチンも豪華だ。大理石のカウンターを基調としていて、高級レストランの厨房のように設備が備わっている。咲宮家が劣っているわけではないけど、どこもかしこも一流かつゴージャスって感じで、藤堂家の格の違いを実感する。
「さて。ひなちゃんは、紅茶を淹れた経験があるかな?」
「ありません」
毎日、淹れてもらうことはあっても、自分が淹れることはない。
ここでの仕事は、普段自分がしてもらっていることを学ぶ機会にもなるんだ。
「いい返事だね。わからないことはわからないって、今みたいにはっきり言ってほしい。ヘンに知ったかぶりをしないこと。これがお仕事の基本だよ」
女子トークで盛りあがっていたすみれさんはどこへやら、あっという間に、教育係の顔つきになっている。根はまじめなひとなのかも。
「承知いたしました」
「はーい。じゃあ、まずは、道具の確認をしていくね。ひなちゃんもわたしと同じ道具を取りだしてもらっていい?」
そう言って、すみれさんは下の収納棚から、道具と食器を取りだした。
見よう見まねで、同じように使うものを目の前に置いていく。
「紅茶を抽出するティーポット、器のティーカップ&ソーサー、茶葉の計量用のティースプーンに、茶こしね」
「準備しました」
「まずは、このティーポットにお湯を入れて、温めます」
「えっ。ただのお湯ですか?」
「そうだよ、まず ポットを温めないと、紅茶がすぐ冷めて味が薄くなっちゃうから。最初にポットにお湯を入れて、30秒くらい放置してから捨ててね」
「わかりました」
その後の指導も、想像以上の紅茶の奥深さに、ビックリしてばかりだった。
「あっ! 茶葉は適当にいれないでねっ。ちゃんと計量用のスプーンを使うんだよ。淹れた紅茶は誰が飲むと思う?」
「……ご子息方でしょうか」
「せいかーい! 紅茶の味に一番厳しいのは、怜央さまだよ」
うわぁ、想像通りだ。あのひとに飲まれたくない……。
「陽人さまは、砂糖たっぷりのミルクティーがお好きで、悠真さまはスッキリとしたダージリンティがお好きなの。あ! ちなみに、悠真さまは怜央さまとは違った意味で要注意人物ね」
「……というと?」
すみれさんの推し語りモードが再び復活する。
「悠真さまって、ぶっきらぼうそうに見えて実はめっちゃくちゃ、やさしいの! だから、あたしが新米だったころ、どんなにひどい味でも黙ってぜんぶ飲んでくれてた。あんなん、あたしがメイドの立場じゃなかったら、恋に落ちるよ? って、あたしは彼氏がいるけどねー! 彼氏とは別腹だから~~!」
「べ、別腹!?」
「ほら、アイドルを好きになるのと、恋人へ向ける感情は別物でしょー? そんな感じ!」
な、なるほど……。
「アイドルとはちょっと違いますけど、少女マンガに出てくるヒーローに憧れる気持ちは、わかります」
実は、自分の部屋でこっそりと少女マンガを読むのが趣味だ。
物語の恋っていいよね。
ロマンティックで素敵。
架空の世界の素敵な男の子たちは大人っぽくて、わたしを傷つけることもない。
「ふーーん? ひなちゃんって少女マンガが好きなんだ!」
「……意外ですか?」
「いいじゃん! クールそうに見えて実はロマンティックな恋に憧れてるとか、めっちゃかわいい〜♩」
テンションの高さに引きづられてうっかり話しちゃったけど、冷静になると恥ずかしい。頬が熱くなる。
「現実とフィクションは違うと思っていますけどね」
「ふふー。それはどうかな?」
結局、雑談をはさみながら、わたしはすみれさんの紅茶指導を受けたのだった。
紅茶って、茶葉の種類によって、お湯の温度や蒸らす時間も変わってくるんだって。
毎日意識せずに飲んでいたけど、意外と奥深い世界なんだなぁ……。
なにか動作するたびに、そのつどすみれさんから指摘を受けながら、わたしはなんとか紅茶を淹れおえた。
「できたーー! せっかくだから、淹れたてのアールグレイを自分で飲んでみる?」
「はい」
ドキドキしながら、高級なティーカップの持ち手を親指と人差し指でつまむ。
小指はたてず、そのまますすらずに飲むと、すみれさんは目をまるくした。
「あれ……? ひなちゃんって、紅茶の飲み方を誰かに教わったことがあるの?」
ギクッ!!
やばい、いつもの癖が自然に出てしまった!
冷や汗をかきながら、ごまかす。
「え、えと……。母にすこしだけ」
「へー、すごいじゃん! 淹れてるときはおぼつかなかったのに、飲むときは完ぺきな仕草だったからびっくりしちゃったよ」
「あはは……」
苦笑いしながらも、内心はちょっと気が気じゃない。
そっか。これからは、振る舞いにも気をつけないといけないんだな。
「それで、肝心の味はどう? 記念すべき、ひなちゃんの初淹れたての紅茶!」
「うーん……。茶葉の味が濃く出すぎている気がします。もう一度、やり直しをしたいです」
「あれ、やっぱり紅茶を飲み慣れてる? っていうか初めてなんだから完ぺきにできなくて当たり前だよ!」
「は、母が紅茶好きなので!」
家で淹れてもらっている紅茶の味と比べてしまった。
自分でもわかっていなかったけど、わたしってウソが下手な方かも……。
その後、四苦八苦をして、なんとか自分で納得がいく出来のアールグレイを淹れることができた。集中しはじめると意外に楽しい、これも発見だ。
「えっと……、もう十回ぐらいやりなおしてない? ひなちゃんって、ストイックなんだね」
「はっ! すみれさんのお時間を取らせてしまい、申し訳ございません」
「気にしないでいいよ! ひなちゃんを成長させることも、あたしの仕事だもん。あっ、でも、向上心があって完ぺきを目指すのはもちろんいいことだけど、仕事ではそれだけが全てじゃないから気をつけてね」
「そうなんですか……?」
意外な発言に驚いてしまう。
「そーだよ。学校のテストでは百点を目指すのがいいことだと思うけど、仕事では、決まった時間内に効率よく業務をこなすことも求められるからね! クオリティは慣れるうちにあがっていくものたがら、完ぺき主義よりも完了主義を目指しなさいって、あたしは嶋さんによく言われてたよ」
そっか。
完ぺきはどの分野においてもいいことなのかと思っていたけど、場面によるんだな。勉強になることばかりだ。
すみれさんは、わたしが最後に淹れ終えたアールグレイを飲んで、にこりと笑った。
「でも、ひなちゃんの努力の甲斐があって、そのアールグレイはかなりのいい出来だと思うよ〜! ねえ、せっかくだし、ご兄弟にも飲んでいただこうよ!」
「エッ……?」
「なに驚いてんの? うまく淹れられるようになっても、飲んでもらわないと意味がないでしょ? 慣れるためにはとにかく実践だよ!」
その通りすぎて逆らうこともできず、わたしは三兄弟の下へ紅茶を運ぶことになったのだった。
「まずは、悠真さまか、陽人さまの下に運ぼうか! いきなり玲央さまはちょっとハードル高めだもんね?」
「おっしゃる通りです。あっ……、でも、アールグレイは玲央さまの好みであって、お二人の好みは別のものでは?」
「そうそう、よく覚えてたね〜! 優秀優秀。たしかに二人のお好みは違うんだけど、それ以外の紅茶は受けつけないわけじゃないから安心していいよ。玲央さまはアールグレイしか飲まないけどね」
うわあ、それっぽい……。
「承知いたしました。お二人はこの時間はどちらにいらっしゃることが多いでしょうか?」
お盆にティーカップを載せて、さっきまで教わっていた紅茶の出し方のマナーを頭の中で繰り返す。実践だ、緊張してした。
「悠真さまは、書斎か、裏庭にいることが多いかも! 今日は天気がいいから、外で読書されているんじゃないかな。陽人さまはー、うーん……定位置が決まってるわけじゃないかも。リビングかもしれないし、裏庭かもだし、図書室かと思ったら温室にいることもあるし、とにかくじっとはしてないタイプだね!」
「……それは、紅茶を運ぶのも大変ですね」
「そうなのーー。でも、あの天使の笑みで、ありがとう! って微笑まれると、頑張って探してよかったーー! ってなっちゃうんだよねぇ」
「そういうものですか」
「そういうものなの!」
となると、まずは悠真さまの下に紅茶を運ぶのが、現実的だな。
すみれさんに裏庭を案内してもらうと、綺麗に手入れされたエメラルドグリーンの芝生が広がっていた。
真ん中に噴水が設置されていて、涼やかに水を弾きながら、陽の光を浴びてきらきらとしている。
悠真さまは、すみれさんの予想通り、その噴水の前のベンチに腰かけていた。
「いらっしゃったよ! あたしは、すこし離れた場所からこっそりと見ているね。ひなちゃん、頑張って!」
すみれさんにガッツポーズで送りだされ、わたしは背筋を正しながら、彼の下へと向かった。
平常心、平常心。
ただイメージどおりに紅茶を差し出すだけだ、難しくないはず。
近づくと、悠真さまは制服から着替えて、私服姿になっていた。グレーのハイネックニットに、細い黒のスラックスがとてもよく似合っている。すみれさんが騒ぐのもわからなくはないというか、シンプルな服装だからこそスタイルの良さが際立っていてモデルさんみたい。
もう目の前というところまで近づいたけれど、彼はずっと手元の本に夢中で、一向にわたしに気がつく様子がない。
いや。
そうじゃなくて、あえてスルーされているのかな?
「あの……」
仕方なく声をかけると、彼はやっと視線をあげた。
前髪からのぞいた切れ長の瞳の宿す光に、一瞬、胸がドキッとする。
なんていうか、瞳に不思議な引力があるひとだ。ずっと眺めていたら平常心でいられなくなりそうというか……、長い前髪にある程度隠されていてよかったとヘンな感想を抱く。
「……紅茶?」
「はい」
「ありがと。そこに置いといて」
すぐ脇のサイドテーブルに置くよう簡潔に指示をすると、もう興味を失ったというように、視線が本に戻っていった。
今日から働いている同世代の新米メイドに対する態度としては、かなり淡白に感じるかもしれないけど、わたしには逆にありがたかった。彼が婚約者だった場合を想定する場合、『あまりにも他人に無関心そうだから』という理由を使えるからだ。
「承知いたしました」
あくまでも顔には出さず内心ではほくそ笑みながら、紅茶を慎重にサイドテーブルは置こうとした、その瞬間だった。
「っ!?」
想像していたよりもサイドテーブルが軽く、ぐらついてしまったのだ。
あっ!
このままだと、紅茶がこぼれちゃうっ。
カップがぐらりと傾いて、頭の中が『終わった!』と絶望的な気持ちでいっぱいになったそのとき。
「危ない」
!?
横からすっと伸びてきた長い指が、わたしの手首を支えていた。
「大丈夫……?」
思わず振り向けば、想像の何倍も至近距離に悠真さまの顔があって、心臓がドキッと飛びはねた。
ま、まつげ長っ!
瞳に宿る強い光に射抜かれて、くらっとしそうだ。
彼はどうやら、わたしの凡ミスをカバーするため、機敏に立ちあがってわたしの手首ごと紅茶を支えてくれたらしい。
「あ、ありがとうございます……」
声が震える。
紅茶がこぼれそうだった恐怖なんて、一気にすっ飛んでしまった。悠真さまが触れている長い指のぬくもりのほうを強く意識してしまって、すこし息苦しい。
なに、これ。
こんなにドキドキするなんて、知らない。聞いてない。
別の意味でパニックになるわたしに、悠真さまはそのままの姿勢でカップをゆっくりとサイドテーブルの中心に置きなおしてから、申し訳なさそうに告げた。
「……このサイドテーブル、すこし軽いんだ。先に伝えておけばよかった、悪かったな」
「は、はい」
間近で聞くと、低くて涼やかないい声……ってわたしなに考えてんの!?
あれ。もしかして、こんなにスマートで華麗な動きを難なくしてみせるなんて、無愛想そうに見えて、実は女の子慣れしてる!? 完全に少女漫画にでできそうなヒーロームーブだったよね。あ〜……、そういうこと? そうだとしたら、そんな婚約者は嫌だって理由になるかも。
わたしがあまりにも、支えられつづけている手首をガン見していたからだろう。
彼は、ハッとしたように手を離して、すぐにベンチのほうへ戻っていった。
「……っ、ごめん」
だけど、その白い頬がうっすらと赤く染まっていることを発見してしまって、また胸の鼓動が落ちつかなくなる。
ダメだ。
なんか、どうしてかわからないけど今すぐこの場から逃げ出したい気持ちがする。
顔が熱くて仕方がないよ。
「いえ……。助けていただいて、ありがとう、ございました」
お盆を手に持ちなおす動作も、心なしかおぼつかなかったけど、なんとか早歩きでその場を立ち去る。
その後も、すみれさんに「ねーーー、さっきのなにあれなにあれーーー! さすがにイケメンすぎて噴き出すかと思った! っていうか、身をていしてあんな風にフォローするところなんて初めて見たかも……! ひなちゃんが同世代だから気にされているのかな? やーん、やさしい惚れるーーー」と騒がれて大変だったよ。


