「早苗の最期の願いが『颯斗の本当のお母さんになる』ってことだった。つまり、心臓をおまえに移植することで、文字通り血の繋がった親子になれるんだって」
夜に病室に来た親父はそう言いながらも、寂しそうに窓の外を眺めていた。
「……親父の大事な人を、また俺が奪っちゃったんだな」
「そうじゃない。おまえは俺の大事な人の忘れ形見であり、大事な人の心臓の持ち主でもあるんだ」
親父は目を細めて微笑んだ。
「もしもおまえにも何かあったら、俺は大事な人を二人いっぺんに失うところだった」
多分、親父は本心を言ってくれているのだろう。
だけど、俺の頭はそれに納得が出来ていない。
俺のことは、きっと覚悟が出来ていただろう。だって、生まれた時から短命だと言われていて、予定よりも何年も生きていたんだ。そして、いよいよ、という時だった。
早苗とはまだ五年と少ししか連れ添っていなく、二人の娘の花もまだ五歳だ。
命に順番は無いとか優劣は無いとか言うが、俺が先に死んで早苗が生きていた方がみんな幸せだったんじゃないだろうか……?
それでも、この心臓が喜んでいるんだ。
俺が生きていることを。俺の中で心臓が動いていることを。
それがそのまま、俺の中で嬉しいという感情になってしまっている。
生きていて嬉しい。走れるようになることが嬉しい。諦めていたことを試せるのが嬉しい。この先、色んな可能性があることが嬉しい。
正直言って将来があるなんて思っていなかったから、面倒くさいことも山ほどあるのかもしれない。
ああ、そうだ。瞳のことは、もう晴に任せようなんて思えないな。
この先どんなに面倒くさいことがあっても、親友と好きな子を取り合っても、俺は今、生きていることが嬉しいのだった。
俺は思い出した。
手術後に目ざめる前にたどり着いた真っ白な世界。
天国かどこかへ行く一歩手前の場所。
あそこで会った光り輝くあの人は、早苗さんだった。
あの時は母さんだと信じて疑わなかったが、あの声も話し方も優しい雰囲気も、たしかに早苗さんだった。
彼女は俺の「母さん?」という問いかけに、迷わず「そうよ」と答えた。
俺に心臓をくれたことで、本物の親子になれたということだろう。
この心臓から、俺が生きていることを喜んでくれているのを感じる。
これからも罪悪感や後ろ向きな想いが頭の中に浮かぶかもしれないが、それは奥の方へ追いやって、俺は自分の人生を謳歌することにする。
彼女の分も花をかわいがり、親父を想って――大切にしていこうと思う。
ねえ、お母さん。
俺の胸の中で、これからずっと一緒に生きて行こうぜ。
【了】