目が覚めると、病室の白い天井が見えた。同時に、胸の痛みが増していることに気づく。
無痛の世界から戻ってくると、気力も体力も段違いで重みを帯びていてウンザリする。それでも、さっきの自分の言葉を思い出すと、やはり自分はもっと生きていたいんだと実感できた。
俺はまだ生きていたい。
「颯斗」
晴の呼ぶ声がして、寝た姿勢のまま横を向くと、晴と瞳の姿があった。
「……ごめん、海には行けないな」
「気にするなって、また行けるよ」
とはいえ、晴だってその言葉に信ぴょう性が無いことは分かっているだろう。
なんだか廊下がバタバタと騒がしい気がした。隣の病室に看護師さんやドクターたちが駆け込んでいるのが分かる。
隣の病室…………そうだ、賢太君!
さっきの世界で、賢太君は「もういいかな」って言っていた。
俺が起き上がろうとすると、晴と瞳に同時に止められた。
「隣の病室の賢太君、危ないのか?」
「えっ?」
「どうして……?」
「いや、なんか。バタバタしているし、本人もそんなこと言っていたから……」
とは言っても、この前実際にここで会った賢太君は俺の何倍も元気に見えた。それでも、隣からは泣き声が聞こえてきて、賢太君はやはりさっきの場所から光になって旅立ったのだろう。
だけど、俺は哀しいと感じなかった。彼自身が望んだことだと知っていたから。賢太君はきっちり自分の人生を生き抜いて、望み通り痛みから解放されたんだ。
きっと、俺も遠くない未来にその後を追うのだろう。
次にあの白い空間へ行ったときには、俺も潔く「もういい」と思えるのだろうか。
ふと、病室の中に花の姿が見えなくて、俺はゆっくり起き上がって窓の外を見た。もう外は真っ暗だった。
「花は? 花はどこにいる?」
「お、落ち着いて、颯斗。また発作起こしちゃうよ」
泣きそうな声で瞳が俺の肩を掴んで横になるように促そうとした。だけど、俺はそれを振り払って「花は?」と聞いた。
「大丈夫だから」
瞳が泣きそうになりながらそう繰り返すから、俺は晴の目を真っ直ぐ見て「花はいなくなったのか?」と聞いた。
面と向かって嘘をつくのが苦手な晴は「ああ……」と頷いた。
「だけど、大丈夫だ。今、早苗さんが車で家まで戻って探しているよ。心当たりもあるみたいだ」
「違う、早苗さんは分かっていない。晴、ゴムボートは持って来ているのか?」
病室を見回すと、海へ行くつもりで用意していたであろう、膨らました状態のゴムボートが壁に立てかけてあるのが目に入った。そして、同じく用意されていた車椅子も。
俺はよろよろと車椅子に座ると、パジャマのままだったが気にせずに車椅子を動かした。そして、少し大きなゴムボートを抱えた。
「これ、借りていいか?」
「ど、どこ行くんだよ」
晴が驚いて扉の前に立ちはだかった。
「あいつ、浮き輪だけ持って海に行ったんだと思う。一人で満潮の海に入ったんだ」
しかも、目指しているのが満潮の時にしか入れない洞窟だ。辿り着く前に波にのまれているか、例え辿り着いても帰って来られないんじゃないか。
「バカか、おまえ。そんな状態で行く気か?」
「私たちが行ってくるから、颯斗は……」
「こんな所で待ってられねえよ。ここにいたって発作は起こす。花がいるところは俺にしか分からない。おまえらはついて来んな!」
そう言い放って車椅子で部屋の外へ出たが、晴が無言でゴムボートを抱え、瞳は俺の車椅子を押した。