そして、あの日は暗くなっても親父はなかなか俺の病室へは来なかった。
俺は待っていたのだが、もしかしたら親父も落ち込んでいて、なかなか俺に会いに来られないのかもしれないと思って我慢していた。俺のために早苗さんと別れてくれたんだから、と。
夕食が終わったころ、看護師さんに案内されて知らないおばさんがやって来た。
初老の細身のおばさんで、綺麗なカーディガンにスカートという上品な身なりの優しそうな人だった。見覚えはなく、自分のところに来た人なのか俺にはよく分からず、こちらへやって来るその人をただポカンと見ていた。
「颯斗君よね?」
気品がある優しそうなその女性の笑顔に俺は警戒することなく頷いた。
「はじめまして。この前、お父さんが早苗さんって人を連れて来て会ったでしょう?」
いきなり早苗さんの話になって、俺は驚いて女性の顔を見た。発作を起こした原因でもある早苗さんは、昼間に確かに親父と別れていたはずだ。この人は一体……?
「私はね、早苗さんの母親なの。颯斗君は早苗がお母さんになるのは嫌なの?」
俺の心の問いかけに答えるようにそう言うが、優しい笑顔でガンガン俺の心の中に踏み込んで来ていると感じた。
「……分からないよ。お母さんなんて、もともと俺にはいないんだから」
そう答えるしかなかった。だけど、恐らく俺は嫌だと思っていたのだろう。じゃないと、発作なんて起こさない。それに、あの人は親父と別れたんだから、もう関係ないじゃないかと思っていた。
「じゃあね、お母さんだと思う必要はないと思うの。お父さんの奥さんでいいんじゃない? 奥さんが出来たからと言って、お父さんが颯斗君のお父さんであることには変わらないのだから」
この人はそんなに自分の娘と親父を結婚させたいのだろうか?
こんな身体の息子がいるのに?
再び俺の疑問に答えるように、早苗さんの母親が続けた。
「あの子の……早苗のお腹にはね、赤ちゃんがいるのよ。颯斗君のお父さんとの子どもが。颯斗君の弟か妹になるのよ」
その言葉は、親父が自分だけの親父じゃなくなるのと同時に、親父の子どもが俺だけじゃなくなることを意味していた。
ショックで急激に胸の痛みを感じて、呼吸が乱れていった。
そんな俺にその優しい顔をしたその人は容赦なく言葉を続けた。
「早苗はね、お父さんとの結婚を諦めようとしているの。そうなったら、赤ちゃんはどうなると思う? あなたの弟か妹なのよ」
俺は苦しくなってナースコールに手を伸ばしたが、早苗さんの母親がベッドの脇にあるボタンを握って渡さない。
「いい? お父さんに早苗との結婚を勧めなさい。じゃないと、赤ちゃんは殺されるかもしれないわ。そうしたら、貴方は人殺しになるのよ」
何を言っているんだろう、この人は。
どうして親父と早苗さんが結婚しないからって、俺が弟か妹を殺すことになるんだ?
今、俺が死ぬほど痛いのを助けないのは、この人なのに。
「分かったの? 颯斗君」
「……うるせえよ。あんたこそ人殺しになりたいのか?」
俺は睨むようにその人を見ながら、ボタンを奪おうと手を伸ばした。
「あの子のためなら、なんでも出来るかもしれないわね」
その色も温度もない口調にゾッとした。もしもここで俺が死んだら、この人にとっては万々歳で早苗さんを嫁に出せるわけだ。
俺は待っていたのだが、もしかしたら親父も落ち込んでいて、なかなか俺に会いに来られないのかもしれないと思って我慢していた。俺のために早苗さんと別れてくれたんだから、と。
夕食が終わったころ、看護師さんに案内されて知らないおばさんがやって来た。
初老の細身のおばさんで、綺麗なカーディガンにスカートという上品な身なりの優しそうな人だった。見覚えはなく、自分のところに来た人なのか俺にはよく分からず、こちらへやって来るその人をただポカンと見ていた。
「颯斗君よね?」
気品がある優しそうなその女性の笑顔に俺は警戒することなく頷いた。
「はじめまして。この前、お父さんが早苗さんって人を連れて来て会ったでしょう?」
いきなり早苗さんの話になって、俺は驚いて女性の顔を見た。発作を起こした原因でもある早苗さんは、昼間に確かに親父と別れていたはずだ。この人は一体……?
「私はね、早苗さんの母親なの。颯斗君は早苗がお母さんになるのは嫌なの?」
俺の心の問いかけに答えるようにそう言うが、優しい笑顔でガンガン俺の心の中に踏み込んで来ていると感じた。
「……分からないよ。お母さんなんて、もともと俺にはいないんだから」
そう答えるしかなかった。だけど、恐らく俺は嫌だと思っていたのだろう。じゃないと、発作なんて起こさない。それに、あの人は親父と別れたんだから、もう関係ないじゃないかと思っていた。
「じゃあね、お母さんだと思う必要はないと思うの。お父さんの奥さんでいいんじゃない? 奥さんが出来たからと言って、お父さんが颯斗君のお父さんであることには変わらないのだから」
この人はそんなに自分の娘と親父を結婚させたいのだろうか?
こんな身体の息子がいるのに?
再び俺の疑問に答えるように、早苗さんの母親が続けた。
「あの子の……早苗のお腹にはね、赤ちゃんがいるのよ。颯斗君のお父さんとの子どもが。颯斗君の弟か妹になるのよ」
その言葉は、親父が自分だけの親父じゃなくなるのと同時に、親父の子どもが俺だけじゃなくなることを意味していた。
ショックで急激に胸の痛みを感じて、呼吸が乱れていった。
そんな俺にその優しい顔をしたその人は容赦なく言葉を続けた。
「早苗はね、お父さんとの結婚を諦めようとしているの。そうなったら、赤ちゃんはどうなると思う? あなたの弟か妹なのよ」
俺は苦しくなってナースコールに手を伸ばしたが、早苗さんの母親がベッドの脇にあるボタンを握って渡さない。
「いい? お父さんに早苗との結婚を勧めなさい。じゃないと、赤ちゃんは殺されるかもしれないわ。そうしたら、貴方は人殺しになるのよ」
何を言っているんだろう、この人は。
どうして親父と早苗さんが結婚しないからって、俺が弟か妹を殺すことになるんだ?
今、俺が死ぬほど痛いのを助けないのは、この人なのに。
「分かったの? 颯斗君」
「……うるせえよ。あんたこそ人殺しになりたいのか?」
俺は睨むようにその人を見ながら、ボタンを奪おうと手を伸ばした。
「あの子のためなら、なんでも出来るかもしれないわね」
その色も温度もない口調にゾッとした。もしもここで俺が死んだら、この人にとっては万々歳で早苗さんを嫁に出せるわけだ。