「俺、あんたのこと好きなんだけど、付き合ってくんない?」
高校に入学して約一ヶ月。
そろそろクラスの雰囲気にも慣れた頃、この告白によって私の平凡な日常が崩れていった。
***
帰りのホームルームが終わると、教室が騒がしくなり一斉に生徒が動き出す。
部活に行く人、帰宅する人様々だ。
普段なら私はバレー部なので体育館に行くけど、今日は顧問の都合で休み。
このあと、どこに寄り道しようかなと思いながら椅子から立ち上がってスクバを肩にかけた。
「詩織、帰ろ」
ちょうど、親友の影山百合が教室まで迎えに来てくれてた。
彼女も私と同じバレー部だ。
百合と並んで教室を出て他愛もない話をしながら下駄箱に向かう。
「今日、体育の授業で五十メートル走してマジで疲れたわ」
「お疲れ~。てかさぁ、運動部っていうだけで足が速いとか思われるから嫌だよね」
「分かる。うちらバレー部だし、瞬発力とか反射神経には自信があるけど足の速さはあまり求められてないからね」
「だよね。でも詩織は足速いじゃん。いつもリレーの選手だし」
下駄箱に着くと、規定の赤色のスリッパから靴を履き替えて昇降口を出る。
うちの高校は学年ごとに色が決められていて、一年が赤色で二年が緑色、三年が黄色だ。
校門に向かって歩いていたら、背後から誰かを呼び止める声がした。
「ちょっと待って」
百合と顔を見合わせ「私らじゃないよね?」なんて言ってチラッと後ろを見ると、ミルクティー色の前髪をピンで留め、ちょっと目つきが悪い制服姿の男の人と目が合った。
ネイビーと緑のストライプのネクタイはユルユルで、明らかに不良と呼ばれる部類の人が近寄ってくる。
私から目を逸らすことなく、一直線に歩いてきているような気がするんだけど……。
ピタリと私の目の前で止まった。
え、もしかして呼び止めたのって私?
「あの、私……ですか?」
「ああ。俺、あんたのこと好きなんだけど、付き合ってくんない?」
「えっ……」
突然の状況に理解できず、混乱する。
私に告白してきた人物は、この学校の有名人の小鹿涼介、高校二年だ。
彼は"バンビ"と周りの人から呼ばれている。
小鹿センパイにはいろんな噂がある。
・授業をサボって屋上で昼寝してる。
・ケンカでは誰にも負けたことがない。
・不良なのに頭がよくイケメンでモテるけど女嫌い。
その他もろもろ噂があるけど、それが事実なのか嘘なのか本当のことは分からない。
あれ、ちょっと待って。
女嫌いという噂が本当なら、どうして入学したばかりの全く接点のない私に告白したんだろう。
そういえば、さっき好きとか付き合ってと言ったけど、私のことを"あんた"と呼んだ。
ということは、私の名前は知らないってことだよね。
これらのことから導き出された答えは、罰ゲームで適当にその辺の女子に告白するってことなのかもしれない。
そんなことに巻き込まれたくない。
怖いけど、聞いてみよう。
「あの……罰ゲームとかですか?」
「違う」
「じゃあ、人違いとか?」
「人違いでもない。俺は小笠原詩織に言っている」
フルネームで言い放ち、ビシッと人差し指を私に向けてきて、その迫力にジリジリと後ずさる。
どうしよう。
そんないきなり好きだと言われても困るんですけど。
しかも、下校中の野次馬が遠巻きに私たちの方を見ている。
「えっと、私はセンパイのことをよく知らないので……」
「知ってるじゃん」
「えっ?」
「俺のこと、センパイって今言っただろ。ほら、知ってる」
そう言ってドヤ顔で笑う。
やってしまった……と自分の失言に気づいて頭を抱えたくなった。
センパイのことは噂を聞いて知ってる程度だ。
しかも、小鹿センパイのネクタイの色がネイビーと緑のストライプなので二年だと一目でわかる。
ネクタイは学年の色とネイビーのストライプで分けられていて、私は赤にネイビーのストライプのネクタイだ。
っていうかこの状況はどうしたらいい?
「それはネクタイの色を見てセンパイだと思っただけなので……」
下手に噂を聞いて知っていたとか言わない方がいいだろう。
「なるほどな。それで付き合ってくれるのか?」
「いや、そのセンパイのことをよく知らないので付き合うとかは……」
視線を泳がせながらなんとか逃れようとした。
「仕方ねぇな」
小鹿センパイはボリボリと後ろ頭を掻く。
分かってくれたのかな。
これで解放されると、ホッとしたのもつかの間……。
「自己紹介すればいいんだろ。名前は小鹿涼介、二年五組七番。誕生日は七月七日、身長は一七九cmの体重六十五kg。趣味は昼寝、特技はそろばん、好きな食べ物はハンバーグ、好きな色は青、好きな言葉は人生楽ありゃ苦もあるさ……」
聞いてもいないのに自己紹介を始めてしまった。
そういうことではなかったんだけど。
本格的に頭が痛くなってきた。
「もう一度言う。小笠原詩織。お前のことが好きだから付き合おう」
ヒエッ、好きだから付き合おうってどうしたらいい?
ねぇ、誰か助けて。
周りを見ると立ち止まっていた野次馬たちはパッと一斉に視線を逸らし歩き始める。
あっ!
視界の隅にさっきまで私の隣にいた百合の姿があった。
いつの間に逃げたんだ?という突っ込みはひとまず置いといて。
『百合、助けて』
アイコンタクトでSOSを送ると、百合はウンウンと数回頷き右手でオーケーサインを出す。
そしてニヤニヤ笑いながら『ガ・ン・バ・レ・!』と口パクで言われた。
えー、全然私の気持ちが通じてないじゃん!
百合、それは薄情なんじゃないの?
親友も面白がって私を見放したことに愕然とした。
私、小笠原詩織は至って普通の女子高生、取り立て目立つ存在ではない。
顔も普通、成績だって平均、運動も人並み、これといって秀でてるものは一つもない。
学校の中で埋もれているモブのような存在の私を見つけ出す方が困難じゃない?って感じなんだけど。
それに、自慢じゃないけどモテたことはない!
返事、どうしたらいいだろう。
もし公衆の面前で断ったりしたらあとで何をされるか分からない。
かといっていきなり付き合うっていうのも無理だし。
人は噂や見た目で判断したらいけないとよくいうけど私にはいろいろとハードルが高過ぎる。
誰も助け船を出すことなく、チラ見しては遠巻きに通り過ぎていく。
百合に関しては相変わらずニヤニヤしてるし!
なんで私がこんな好奇の目に晒されないといけないんだろう。
居心地が悪くて仕方ない。
生まれて初めてこんなに注目されたんじゃないかってぐらい視線を浴びている。
「小笠原詩織、返事を聞かせてくれ」
センパイはズイと顔を近付けてきた。
色素の薄い茶色の瞳が私を捉える。
その表情から真剣さが伝わってきて、適当なことは言えないと感じた。
野次馬も心なしか歩くスピードを落とし聞き耳を立てている気がする。
喉が張り付くようにカラカラに乾き、ゴクリと唾をのむ。
背中には変な汗が垂れ流れてるし。
これはもう逃げれない。
キャパオーバーになりながら私が出した答えはーーー。
「あの……じゃあ、お友達からとかはダメですか?」
***
「いや、もう昨日は傑作だったね」
ギャハハと女子らしからぬ笑い方をしながらサンドイッチにかぶりつく百合にジト目を向けた。
「他人事だと思って……」
睨みながらフォークでアスパラをさして口に放り込む。
小鹿センパイに告白された次の日、私はちょっとした有名人になってしまった。
噂を聞き付けたいろんな学年の人たちが休み時間になると教室に覗きに来ていた。
『あの子だよ、バンビくんに告白されたの』
私に向かってを指さないでよ。
『へぇ、普通だね』
そりゃあ普通の女子高生ですよ!
『バンビも趣味悪ぃな』
余計なお世話ですよ。
『ま、人それぞれ好みってもんがあるしな』
こっちだって好みはありますけど。
こんな具合に私を見るたびにあれこれ言われて嫌になる。
見世物じゃないってのっ!!!
「まぁ、バンビ先輩は目立つから仕方ないよね」
紙パックのジュースを飲みながら百合が言う。
「もう、ホントに困ってるんだから。私の平穏な高校生活はどうなっちゃうのよー」
「知らないわよ。ハッキリ断らなかった詩織が悪いんだよ。それに、バンビ先輩とは友達になったんでしょ」
それを言われると言葉が出ない。
「だって断ったら何かされそうで怖かったんだもん」
「バカね。まあ、自分で言ったことは責任持ちなよ」
「うん……」
まだしばらく注目の的になるのかと思っただけで憂鬱な気分だ。
どうしてあんなこと言ったのかっていう後悔は昨日から何十回もしてる。
不意に廊下がザワザワと騒がしくなる。
どうしたのかと思っていたら、噂の人物が教室にひょっこり顔を出した。
「詩織!」
「あ、小鹿センパイ……」
当たり前のように呼び捨てで私の名前を呼んだ。
それより、どうして私の教室に来たんだろう。
「噂をすればなんとやら」
百合が面白そうに言う。
こっちはちっとも面白くないんだけど。
センパイはズンズンと教室内を歩き私の元へやってくる。
「詩織、行くぞ」
「は?」
小鹿センパイは唖然としてる私の腕を掴み、強引に立たせ歩き出す。
「え、ちょっ……、センパイ、待ってください。百合っ!」
助けを求めたけど、そこはあの百合だ。
楽しそうに笑いヒラヒラと手を振っている。
この薄情者!!!
何がなんだか分からないうちに小鹿センパイに連れてこられたのは、数年前まで美術の授業で使われていたプレハブだった。
今は新しく立派な美術室が出来たので、ここは滅多に使われていないと聞いている。
小鹿センパイはガタガタと音を鳴らし、木のドアを開けて足を踏み入れた。
「詩織、もう飯は食ったのか?」
「あ、はい。食べ終わりました」
「なんだよ、せっかく一緒に食べようと思ってたのに」
そう言って私を掴んでいた手を開放し、空いている席に座った。
そして、手に持っていたビニール袋からおにぎりを取り出してパクリとかぶりついた。
「詩織もそこに座れよ」
自分の座っている席の隣の椅子を引いてくれた。
「えっと、じゃあお邪魔します」
「何だよ、お邪魔しますって」
私の反応に笑いながら突っ込みつつ、小鹿センパイはおにぎりを食べ進める。
それを見ながら小さく息を吐いた。
参ったな。
「あの、ちょっと聞いてもいいですか?」
「なに?」
「どうしてセンパイは私のことを知っていたのかな、なんて」
ハハハ、と笑いながら窺うようにセンパイを見た。
「逆にどうして詩織は俺のことを覚えてないの?」
真っ直ぐに私を見つめてくる。
覚えてない?
「どこかで会ったことがありましたか?」
「詩織が思い出すまで言わない」
小鹿センパイはニヤリと笑い、次のおにぎりを開封してかぶりついた。
どこで会ってるんだろう。
こんな目立つ容姿のセンパイなら一度見たら覚えているはず。
でも、いくら考えても全然思い出せない。
そうこうしているうちに予鈴が鳴り、あと五分で五時間目の授業が始まる時間になった。
そろそろ教室に戻らないといけない。
不意に小鹿センパイが立ち上がり、スマホを差し出してきた。
「連絡先教えて」
「えっ」
「俺ら、友達だろ」
それを言われたら従うしかない。
私はスカートのポケットに入れていたスマホを出して小鹿センパイと連絡先を交換した。
「これで詩織といつでも繋がれる。早く俺のことを思い出して」
意地悪な笑みを浮かべる小鹿センパイに翻弄される未来しか見えなかった。