魔女の店から家へ戻る道。
まだ少し人通りがあるし、目立たないようにケイ君はハムスターの姿で私の肩に乗っている。
いつもケイ君と一緒に歩く時は、あんなに楽しかったのに、少しも楽しくない。
「ありがとうな」
「え?」
「ドーナツ。俺に買ってくれたんだろう? ハムスターの形してた」
分かってくれたんだ。嬉しい。
ワンピースを着るために、我慢しなければならないけれども、あまりにケイ君に似たハムスターの形をしたドーナツだったから、買ったのだ。
「うん。ケイ君と似ていると思ったんだ」
「ええ。俺、あんななの?」
ケイ君が、少しだけ笑ってくれる。
「ごめんな、まりあ」
「え?」
わたし、何もケイ君に謝ってもらうことなんてないはずだよ。
わたしが、考えなしにあんな魔女と契約しちゃったから悪いのに。わたしが、誘惑に負けてドーナツに手を出したから悪いのに。ケイ君が、わたしを守るために頑張ってくれていたのに、気付かなかったわたしが悪いのに。
わたしが、ごめんなさいって謝らなきゃいけないのに。
「俺が悪いんだよ。つい、キツイ言い方しちゃったから」
「ううん。だって、魔女があんなだって分かっていたら、わたしだってキツイ言い方してたかも」
「あ……じゃなくて……祐樹と二人で食べたって聞いて、やきもちを……」
「え?」
「ううん。なんでもない」
それ以上、ケイ君は言葉を続けてくれなかった。
「ケイ君。ケイ君や魔女のこと、ちゃんと教えてくれる?」
これから、本格的に戦わなければならない相手だ。知らなきゃならない。
「うん。何から話せばいい?」
「さっきの魔女エレルザーレが言っていたことは本当? わたしが失敗したら、契約通り、魔女に魂を取られるって」
「……うん。本当。エレルザーレは、そうやって人間の魂を集める魔女なんだ」
「じゃあ、あのワンピースは、偽物?」
シンデレラが舞踏会で使ったドレスと同じ生地、必ず告白が上手くいくワンピース。そう、最初に店に行った時に説明されたのだ。
「それは、本物。エレルザーレは、シンデレラにも同じように罠を仕掛けて、失敗しているんだ」
「あの時、シンデレラは王子様とめでたく結ばれているものね」
そう。シンデレラのストーリーでは、虐げられて育ったシンデレラが、魔女から魔法でドレスとカボチャの馬車、ネズミの従者をもらって舞踏会に行くんだ。
そして、王子様に見初められて、シンデレラは幸せになる。
なるほど。元々、シンデレラは王子様のことが好きだったんだ。だから、あんなに舞踏会に行きたがっていて、王子様と結婚して幸せになったんだ。
そうよね。だって、どんなにお金持ちでも、好きでもない相手と結婚なんて嫌だ。シンデレラが王子様を好きだったからこそのハッピーエンドなんだ。
「じゃあ。どうして、ケイ君は黙っていたの? わたしに教えてくれなかったの?」
そもそも、教えてくれていれば、あんなエレルザーレの言葉には、惑わされなかった。こんな風に、ケイ君を傷つけることもなかったのだ。
「だって、言ったら、まりあが怖がるだろう? 絶対に計画を成功させて、まりあが怖がることなく、魔女の力を退けたかったんだ」
「でも、なんで? ケイ君は、元々、魔女の従者なんでしょ?」
「うん。そうだ。俺は、そもそも魔女のために、ひそかに魔女の味方をして、契約者を失敗させるのが役割だ」
やっぱりそうなんだ。エレルザーレは、嘘は言っていない。
「じゃあ、体重計の精霊っていうのは……うそ?」
「ううん。ええっと、元々、付喪神ってものは、そういう物なんだ。物にそもそも魂はないでしょ? そこに、外から魂を入れることで、精霊をつくっているんだ。俺は、魔女の薬の中に閉じ込められていた人間の魂で、体重計という依り代の性質も持っているんだ」
ケイ君が、説明してくれる。
えっと、半分は、体重計で、半分は魔女に囚われた人間の魂ってことなのだろう。
「ケイ君の元々の名前は?」
わたしの言葉に、ケイ君はフルフルと首を横に振る。
「分からないんだ。魔女の元にいる前の記憶はない。おそらく、まりあと同じように、魔法の契約をして、失敗したんだと思う。そして、魔女に囚われた」
「じゃあ、わたしが失敗してしまったら、ケイ君みたいに、従者になってしまうの?」
「たぶんね……今まで失敗した人はそうだったし」
恐ろしい話だ。
わたしが失敗してしまえば、それでわたしは、魔女に囚われてしまうのだ。
そして、色々なものとくっつけられて、従者として使われてしまう。
……新たな獲物を魔女が手に入れるために……
ゾッとする話だ。
「でも、どうしてわたしの味方を? 魔女に逆らったら、ケイ君が処分されてしまうのでしょう?」
ケイ君は、わたしをかばってしまったから『処分』されちゃうって、エレルザーレが言っていた。
「だって、まりあだから」
「わたしだから?」
「そう。まりあは、俺に名前をつけてくれたから」
ケイなんて、簡単な名前を付けただけだよ? わたし。
そんな大したことしていない。
「名前をつけてくれたから、俺は魔女の制約から自由を得たんだ」
「名前……そんな重要なんだ」
「うん。魔法では、名前をつかむことは、その人の魂をつかむことになるんだ。だから、まりあが俺に名前をつけた。これって、すごいことなんだ」
ハムスターのケイ君が、わたしに体を擦り付けてくる。なんだか本物のハムスターのようだ。親愛を示してくれているのかも。
そう思うと、ちょっと嬉しい。
「体重計の記憶……俺がくっついた体重計は、ずっとまりあの成長をあの家で見守っていたんだ」
「わたしの成長を?」
「そう。ずっと。まりあが産まれて。産まれた時は、たった三キロくらい。お母さんが抱っこして、まりあの体重を俺で確かめてた。もう、ちょっと変わっただけで喜んだり、悲しんだり。毎日計ってたんだぜ。……それから、少しずつ大きくなって。ずっと、まりあの成長を見てきた。その記憶は、俺の中にもしっかりと受け継がれている」
聞いたことがある。
大切にされてきたものは、その持ち主を守るのだということを。
あの体重計も、ずっとあの家で、家族が使ってきたものだ。
丁寧に扱って大切に使ってきたものだから、ケイ君の魂と一緒になったときに、優しい記憶が残っていたのだろう。
「だから、まりあが、『従者のしずく』をかけて、俺があの体重計の精霊になれたこと、すっごく感謝している」
「ケイ君……」
「魔女の手先として受けた魂だったけれども、俺は、魔女の言うことなんて聞く気はない。だって、まりあは……」
肩の上のケイ君が、ポフンと音を立てて、人間に変身して、わたしの前に立つ。
人間になれば、わたしよりも少し背の高いケイ君。
わたしの両手を取って、優しく微笑む。
「まりあは、俺の主人なんだ。大切に思っている」
「ケイ君……」
「信じてくれなくっていい。俺が、勝手に、まりあを守るんだ」
「ケイ君、待って、わたしは……」
あなたを信じている。
そう言いたかったのに、言えなかった。
ケイ君が、わたしをギュッと抱きしめてきたからだ。
わたしは、ドキドキして、うまく声を出せなかったのだ。
「安心して、まりあ。もし、計画が失敗しても、俺が絶対にキミを魔女には、渡さない」
「そ、そんな! ケイ君、無茶したら……」
「いいんだよ。俺は、どのみち、『処分』されて、あと一週間で消える運命なんだから」
なんて悲しい声をしているのだろう。
本当は、ケイ君だって、消えたくないに違いない。
「いやだよ。ケイ君……そんなの」
「ありがとう。まりあ。でも、それが運命なんだ」
一週間したら、ケイ君がいなくなってしまう。
わたしは、そのことがショックで、その日は眠れなかった。
どうやったら、ケイ君が消えなくてすむのか。どうやったら、魔女に打ち勝てるのか。そんなことを、一睡もできずに、朝まで考え続けていた。
まだ少し人通りがあるし、目立たないようにケイ君はハムスターの姿で私の肩に乗っている。
いつもケイ君と一緒に歩く時は、あんなに楽しかったのに、少しも楽しくない。
「ありがとうな」
「え?」
「ドーナツ。俺に買ってくれたんだろう? ハムスターの形してた」
分かってくれたんだ。嬉しい。
ワンピースを着るために、我慢しなければならないけれども、あまりにケイ君に似たハムスターの形をしたドーナツだったから、買ったのだ。
「うん。ケイ君と似ていると思ったんだ」
「ええ。俺、あんななの?」
ケイ君が、少しだけ笑ってくれる。
「ごめんな、まりあ」
「え?」
わたし、何もケイ君に謝ってもらうことなんてないはずだよ。
わたしが、考えなしにあんな魔女と契約しちゃったから悪いのに。わたしが、誘惑に負けてドーナツに手を出したから悪いのに。ケイ君が、わたしを守るために頑張ってくれていたのに、気付かなかったわたしが悪いのに。
わたしが、ごめんなさいって謝らなきゃいけないのに。
「俺が悪いんだよ。つい、キツイ言い方しちゃったから」
「ううん。だって、魔女があんなだって分かっていたら、わたしだってキツイ言い方してたかも」
「あ……じゃなくて……祐樹と二人で食べたって聞いて、やきもちを……」
「え?」
「ううん。なんでもない」
それ以上、ケイ君は言葉を続けてくれなかった。
「ケイ君。ケイ君や魔女のこと、ちゃんと教えてくれる?」
これから、本格的に戦わなければならない相手だ。知らなきゃならない。
「うん。何から話せばいい?」
「さっきの魔女エレルザーレが言っていたことは本当? わたしが失敗したら、契約通り、魔女に魂を取られるって」
「……うん。本当。エレルザーレは、そうやって人間の魂を集める魔女なんだ」
「じゃあ、あのワンピースは、偽物?」
シンデレラが舞踏会で使ったドレスと同じ生地、必ず告白が上手くいくワンピース。そう、最初に店に行った時に説明されたのだ。
「それは、本物。エレルザーレは、シンデレラにも同じように罠を仕掛けて、失敗しているんだ」
「あの時、シンデレラは王子様とめでたく結ばれているものね」
そう。シンデレラのストーリーでは、虐げられて育ったシンデレラが、魔女から魔法でドレスとカボチャの馬車、ネズミの従者をもらって舞踏会に行くんだ。
そして、王子様に見初められて、シンデレラは幸せになる。
なるほど。元々、シンデレラは王子様のことが好きだったんだ。だから、あんなに舞踏会に行きたがっていて、王子様と結婚して幸せになったんだ。
そうよね。だって、どんなにお金持ちでも、好きでもない相手と結婚なんて嫌だ。シンデレラが王子様を好きだったからこそのハッピーエンドなんだ。
「じゃあ。どうして、ケイ君は黙っていたの? わたしに教えてくれなかったの?」
そもそも、教えてくれていれば、あんなエレルザーレの言葉には、惑わされなかった。こんな風に、ケイ君を傷つけることもなかったのだ。
「だって、言ったら、まりあが怖がるだろう? 絶対に計画を成功させて、まりあが怖がることなく、魔女の力を退けたかったんだ」
「でも、なんで? ケイ君は、元々、魔女の従者なんでしょ?」
「うん。そうだ。俺は、そもそも魔女のために、ひそかに魔女の味方をして、契約者を失敗させるのが役割だ」
やっぱりそうなんだ。エレルザーレは、嘘は言っていない。
「じゃあ、体重計の精霊っていうのは……うそ?」
「ううん。ええっと、元々、付喪神ってものは、そういう物なんだ。物にそもそも魂はないでしょ? そこに、外から魂を入れることで、精霊をつくっているんだ。俺は、魔女の薬の中に閉じ込められていた人間の魂で、体重計という依り代の性質も持っているんだ」
ケイ君が、説明してくれる。
えっと、半分は、体重計で、半分は魔女に囚われた人間の魂ってことなのだろう。
「ケイ君の元々の名前は?」
わたしの言葉に、ケイ君はフルフルと首を横に振る。
「分からないんだ。魔女の元にいる前の記憶はない。おそらく、まりあと同じように、魔法の契約をして、失敗したんだと思う。そして、魔女に囚われた」
「じゃあ、わたしが失敗してしまったら、ケイ君みたいに、従者になってしまうの?」
「たぶんね……今まで失敗した人はそうだったし」
恐ろしい話だ。
わたしが失敗してしまえば、それでわたしは、魔女に囚われてしまうのだ。
そして、色々なものとくっつけられて、従者として使われてしまう。
……新たな獲物を魔女が手に入れるために……
ゾッとする話だ。
「でも、どうしてわたしの味方を? 魔女に逆らったら、ケイ君が処分されてしまうのでしょう?」
ケイ君は、わたしをかばってしまったから『処分』されちゃうって、エレルザーレが言っていた。
「だって、まりあだから」
「わたしだから?」
「そう。まりあは、俺に名前をつけてくれたから」
ケイなんて、簡単な名前を付けただけだよ? わたし。
そんな大したことしていない。
「名前をつけてくれたから、俺は魔女の制約から自由を得たんだ」
「名前……そんな重要なんだ」
「うん。魔法では、名前をつかむことは、その人の魂をつかむことになるんだ。だから、まりあが俺に名前をつけた。これって、すごいことなんだ」
ハムスターのケイ君が、わたしに体を擦り付けてくる。なんだか本物のハムスターのようだ。親愛を示してくれているのかも。
そう思うと、ちょっと嬉しい。
「体重計の記憶……俺がくっついた体重計は、ずっとまりあの成長をあの家で見守っていたんだ」
「わたしの成長を?」
「そう。ずっと。まりあが産まれて。産まれた時は、たった三キロくらい。お母さんが抱っこして、まりあの体重を俺で確かめてた。もう、ちょっと変わっただけで喜んだり、悲しんだり。毎日計ってたんだぜ。……それから、少しずつ大きくなって。ずっと、まりあの成長を見てきた。その記憶は、俺の中にもしっかりと受け継がれている」
聞いたことがある。
大切にされてきたものは、その持ち主を守るのだということを。
あの体重計も、ずっとあの家で、家族が使ってきたものだ。
丁寧に扱って大切に使ってきたものだから、ケイ君の魂と一緒になったときに、優しい記憶が残っていたのだろう。
「だから、まりあが、『従者のしずく』をかけて、俺があの体重計の精霊になれたこと、すっごく感謝している」
「ケイ君……」
「魔女の手先として受けた魂だったけれども、俺は、魔女の言うことなんて聞く気はない。だって、まりあは……」
肩の上のケイ君が、ポフンと音を立てて、人間に変身して、わたしの前に立つ。
人間になれば、わたしよりも少し背の高いケイ君。
わたしの両手を取って、優しく微笑む。
「まりあは、俺の主人なんだ。大切に思っている」
「ケイ君……」
「信じてくれなくっていい。俺が、勝手に、まりあを守るんだ」
「ケイ君、待って、わたしは……」
あなたを信じている。
そう言いたかったのに、言えなかった。
ケイ君が、わたしをギュッと抱きしめてきたからだ。
わたしは、ドキドキして、うまく声を出せなかったのだ。
「安心して、まりあ。もし、計画が失敗しても、俺が絶対にキミを魔女には、渡さない」
「そ、そんな! ケイ君、無茶したら……」
「いいんだよ。俺は、どのみち、『処分』されて、あと一週間で消える運命なんだから」
なんて悲しい声をしているのだろう。
本当は、ケイ君だって、消えたくないに違いない。
「いやだよ。ケイ君……そんなの」
「ありがとう。まりあ。でも、それが運命なんだ」
一週間したら、ケイ君がいなくなってしまう。
わたしは、そのことがショックで、その日は眠れなかった。
どうやったら、ケイ君が消えなくてすむのか。どうやったら、魔女に打ち勝てるのか。そんなことを、一睡もできずに、朝まで考え続けていた。