「あ~!」

教室に入って、席に着くなり大声を上げたわたし、柴咲(しばさき) 芽衣(めい)

「どうしたの? 芽衣ちゃん」

そんなわたしに声をかけてくれたのは、幼なじみで親友の春名(はるな)舞桜(まお)ちゃん。

しっかりもので頼りになる女の子。

「どうしよう、数学の宿題忘れちゃった」

昨日、せっかく頑張って一時間以上かけてやったのに、机に置いたままカバンの中に入れるのを忘れちゃったみたい。

「芽衣ちゃん、これで何回目?」

ガックリ肩を落として、呆れたように芽衣ちゃんが言った直後。

「ったく柴咲はバカだよなぁ」

後ろから聞こえて来たこの憎たらしい声は……。

桐山(きりやま)!」

桐山 (かえで)。小学5年生の時から同じクラスで、中学一年生の今もわたしの天敵。

こいつは、顔はそれなりにいい方なのに、とにかく口が悪い。

「なによ、いつもバカバカって! それしか言えないの?  あんたは!」

「だっておまえホントにバカだろ? 毎回数学の赤点補習組なんだから」

「なによ! あんただっていつも英語は補習組じゃない!」

「ああ? やる気かぁ?」

ふたりでにらみ合っていると、

「芽衣ちゃん!」

誰かに名前を呼ばれた。

視線を向けると、同じ陸上部のマネージャーである茅野(かやの)杏莉(あんり)先輩が教室のドアから顔を覗かせていた。

「杏莉先輩、どうしたんですか?」

「今日、放課後に委員会の集まりがあって部活に行くのが遅くなるから、よろしくね」

「あ、わかりました」

「じゃあ、またね」

杏莉先輩は可愛らしい笑顔でそう言うと、ふわりと甘い香りを漂わせて自分の教室へ戻って行った。

廊下ですれ違った男子生徒達の視線が、杏莉先輩に集中している。

「やっぱ綺麗だよな、茅野先輩。誰かさんとは全く違うよな~」

不意に聞こえた桐山のイヤミな一言。

「ふん、どーせ」

どうせあたしは杏莉先輩みたいに美人じゃないですよ~!

杏莉先輩は綺麗で優しくて成績も良くて、陸上部はもちろん、学校のみんなの憧れの的。

わたしも憧れている大好きな先輩だけど、ひとつだけイヤなのは、桐山になにかと杏莉先輩と比べられることだ。

「でもさ、芽衣ちゃんってなんだかんだいって桐山くんと仲いいよね」

席に戻ると、舞桜ちゃんに言われた。

「へ? なんで? ケンカばっかしてるじゃん」

「だからそれが仲いいんだよ」

「そう言えないこともないかもしれないけど。でも、ホントあいつ超口悪いよね。わたしのことバカだのドジだのゴジラの生まれ変わりだの、最後にはいつも茅野先輩見習えって言うし」

「気づいてないんだね、芽衣ちゃん」

「え?」

「ナイショ。教えたらつまんないから」

舞桜ちゃんがちょっとイジワルな笑みを浮かべた。

なんか、ズルいなぁ。

* * *


「あ~もうわかんない!」

放課後。数学の宿題を忘れたわたしは先生からお叱りを受け、居残りでプリントを提出することになってしまった。

早く部活に行きたいのに、最後の一問がどうしても解けない。

「もうムリ!」

これ以上考えても、わからないものはわからない。

人生、あきらめることも大事だよね。

そう思って職員室へ向かおうとした時、突然勢いよく教室のドアが開いた。

静かな空間で妙に大きく聞こえた音に驚いて顔を上げると、

「柴咲、まだ終わらねぇの?」

呆れ顔の桐山が教室に入ってきた。

「なんだよ、そのプリント。超簡単じゃん」

わたしの机に置いてあるプリントを見て、桐山が言った。

ホント、いちいちムカつく発言するヤツ。

「あんたは簡単でも、わたしには難しいんです~!」

べ~っと舌を出して言うと、

「ふ~ん。じゃあ、これでも食って頑張れば」

桐山がそう言いながらジャージのポケットから小さな包みを出して、わたしの机に乗せた。

手に取ると、それはいちごミルク味のキャンディだった。

「モノでつる気か!」

思わずそんな突っ込みをすると、

「糖分をとるのは脳にいいんだってさ。だからそれ食えばちょっとは違うんじゃね?」

なんて、桐山が意外にも真面目なこと言うから。

「桐山のくせに、よく知ってるじゃん」

なんだか調子が狂ってそんな可愛くない言い方をしてしまった。

「おまえ、“くせに”は余計だろ? オレだって、陸上部レギュラーとして色々勉強してんだよ」

「そっか」

桐山は、こう見えても一応陸上部のエースだもんね。

「じゃ、さっさと早く終わらせて部活来いよ」

そう言って踵を返して教室を出ようとした桐山を、

「待って!」

慌てて呼び止めた。

「なに?」

一瞬立ち止まって怪訝そうな顔をした桐山に、「ありがとう」と勇気を出して一言告げる。

なんだかんだ憎まれ口叩いても、本当はわたしのこと心配して来てくれたんだって、わかったから。

「………どういたしまして」

一瞬の沈黙の後、桐山は小さな声でつぶやくと、さっさと教室を出ていってしまった。

桐山って、口は悪いけどホントはこんな風に優しいところもあるんだ。

あの時もそうだった。

あれは、桐山と初めて同じクラスになった小学五年生のある日の放課後。

「あ~もう! なんでこの問題こんなにムズカシイの?」

わたしは今と変わらず算数が大の苦手で、今日みたいに放課後に居残りで課題と闘っていた。

「そりゃあおまえがバカだからだろ」

隣の席だった桐山が、あの時もバカにしてきて。

「もう桐山は黙っててよ! いつも人のことバカにして!」

「はいはい。で、どこがわかんないって?」

「問④」

どうせまた「こんな問題超簡単じゃん」なんてからかわれるんだろうと思ったのに、

「あ~これはこの式を応用するんだよ」

桐山は問題の解き方を教えてくれた。

「やっと終わった~」

「良かったな、終わって。なんとかなったじゃん」

そう言いながら笑った桐山の笑顔が、なぜかいつもと違って優しく見えて。

その時から、わたしは桐山のことを意識するようになったんだ。