「おはようございます」
翌朝、不安な気持ちを抱えたままダンス部の朝練習のために体育館へ向かうと、一瞬で空気が変わった気がした。
2年生グループが明らかにわたしを睨むような視線で見ている。
「茜の方が上手いのにね」
不意に聞こえてきた言葉。
茜っていうのは、2年生チームの副リーダーである木下 茜先輩のことだ。
ショートカットにキリッとした一重の目が印象的なクールビューティー系女子。
もちろんダンスの実力もある人だから、大会出場チームに選ばれなかったことはわたしも驚いていた。
確かに、わたしが選ばれて木下先輩が選ばれなかったことに納得がいかないのもわかる。
でも、だからってこんな風に陰口を言うなんて間違ってると思う。
「言いたいことがあるなら、はっきり言って下さい」
思い切って2年生のグループのところに向かってそう言うと、
「じゃあ言わせてもらうけど、はっきり言ってまだ入部したばかりの一年が選ばれて茜が出られないなんておかしいでしょ?」
さっき「茜の方が上手い」と言った楠先輩が、厳しい口調でわたしを睨みながら言った。
「それは……」
わたしだって、まさか自分が選ばれるなんて思ってなかった。
だけど、練習は一生懸命頑張っていたし、きちんと努力していた。
一年生だから大会に出たらダメだなんて、そんなの理不尽だ。
溢れてくる悔しさを必死に抑えていたその時、
「どうしたの?」
後ろから声をかけられて振り向くと、木下先輩が立っていた。
「茜も悔しいでしょ? 1年が大会に出られて自分が出られないなんて」
楠先輩がそう言うと、
「え?」
木下先輩は一瞬戸惑ったような表情を浮かべたけれど。
「確かに悔しいけど、仕方ないよ。顧問の榊先生が決めたことだし」
そう言って、笑った。
「でも……!」
「もういいから。早く練習始めよう」
まだ納得のいかなさそうな楠先輩の言葉を遮って、木下先輩は準備運動を始めた。
結局、気まずい雰囲気のまま朝練は終了。
放課後の練習もこんな重い空気の中で練習しなくちゃいけないのかな……。
そう考えたら、朝から憂鬱な気持ちでいっぱいになった。
そして暗い気持ちのまま一日の授業を終えて迎えた放課後。
「初芽ちゃんは今日も部活だよね? また明日ね」
苺花に声をかけられて、「うん、また明日」と笑顔で返して教室を出た。
部活、行きたくないな……。
体育館へ向かう足取りが重い。
また朝みたいな雰囲気の中で練習しなくちゃいけないのかな。
朝のことを思い出すと、出場チームに選ばれない方が良かったとすら思ってしまう。
思わず小さなため息をつきながら廊下を歩いていたら、
「山吹?」
偶然、通りがかりの職員室から出てきたらしい速水くんに声をかけられた。
「あれ、速水くんって日直当番だったっけ?」
「いや。先生にわからないところ質問してた」
「そっか。さすがクラス1位だね」
重い気持ちを隠すようにわざと明るく笑って言った。
せっかく速水くんと、好きな人と話してるのに暗い顔なんかしたくない。
そう思っていたのに。
「なんかあった?」
突然、速水くんにそう言われた。
「え、なんで?」
「朝からずっと元気ないように見えたから」
「……え……」
どうしてわかったんだろう。
しかも、朝からずっとって……速水くん、わたしのこと朝から気にしてくれてたの?
「ちょっと部活で先輩とうまくいかなくなっちゃって」
「ああ、大会出場チームに選ばれたから?」
またあっさりとそう訊き返されてビックリした。
まだ苺花以外にそのこと言ってないのに、なんで速水くんが知ってるの?
「ついさっき、榎本先生が職員室で話してるの聞いた」
「え、そうなの?」
「うん。一年で選ばれたのは山吹だけだから頑張ってほしいって」
先生も期待してくれてるんだ。
「でもやっぱり1年は出るべきじゃないのかなって……」
「先輩にそう言われた?」
「うん」
「そんなの、ただのひがみだろ。山吹の努力が認められて選ばれたんだから、自信持てよ」
珍しく感情的になっている速水くんに驚いたけど、同時に嬉しくなった。
「……いいのかな、このまま練習に参加しても」
「当たり前だろ。山吹は何も悪くないんだから」
『山吹は何も悪くないんだから』
その言葉に、ハッと目が覚めたような気持になった。
わたし、心のどこかで選ばれた自分が悪いのかもって思い始めてた。
でも、冷静に考えたらそんなことないよね。
わたしが自分を責める必要なんてないんだ。
「速水くん、ありがとう。練習頑張るね!」
もう一度、今度は無理やりじゃない笑顔で言ったわたしに、
「おう」
速水くんもかすかだけど笑ってくれた気がした。
さっきより少し軽い気持ちで辿り着いた体育館。
「よろしくお願いします」
笑顔でチームの中に入り準備運動を始めると、やっぱり感じる鋭い視線。
だけど、さっきの速水くんの言葉がわたしに頑張る力をくれたから。
“努力が認められて選ばれたんだから自信持てよ”
そう、わたしだって頑張ったんだ。
せっかく選ばれたんだから、もっと頑張って大会で優勝を目指したい。
「10分間休憩入ります」
榊先生の言葉を合図に、みんなが休憩に入った。
まだ5月だけど、体を動かしたあとはかなり暑い。
冷たい飲み物でも買ってこようかな。
そう思って中庭へ行こうとした時。
「ホントやってらんない」
怒鳴るような楠先輩の声が聞こえきて、驚いて視線を向けると体育館裏で2年生チームが休憩していた。
「なんでまだ入部して1ヶ月しか経ってない1年が選ばれるんだよ」
ああ、やっぱり楠先輩はわたしが選ばれたことが気に入らないんだ。
でも、わたしが逆の立場なら、きっと同じことを思っていたんだろうな。
「ねぇ、もういい加減にしなよ」
「茜?」
「いつまでひがんでるつもり? 紫はわたしが選ばれなかったことじゃなくて自分が選ばれなかったことが悔しいだけでしょ」
「それは…」
木下先輩の言葉が図星だったのか、楠先輩が黙り込んでしまった。
「せっかくこれから大会に向けてみんなでまとまろうとしてる時に雰囲気悪くして、やってらんないのはこっちだよ」
こんなにはっきり言えるなんて、木下先輩ってすごい。
木下先輩も本当はきっと、楠先輩と同じように悔しい気持ちがあるはずなのに。
それでも仲間に対して厳しいことを言うなんて、なかなかできることじゃない。
木下先輩の言葉にひとり感動していたら、
「ダンス部集まって~!」
榊先生の言葉が聞こえて、休憩時間が終了した。
先輩達に気づかれないように急いで体育館に戻ると、少し遅れて2年生チームが入ってきた。
だけど、今までのような鋭い視線を感じない。
「お疲れ様でした」
そして今日の練習を終えて、体育館を出ようとした時。
「山吹さん、ちょっといい?」
楠先輩に声をかけられた。
もしかしてさっきわたしが話を聞いていたこと気づいて怒られるのかな。
それとも、また何か厳しいことを言われるのかな。
緊張しながら先輩の後についていくと、そこはさっき先輩達が話していた体育館裏。
誰もいない静かな空間で、居心地の悪い沈黙がしばらく続いたあと。
「……ごめんね」
ドキドキしながら先輩の言葉を待っていたわたしに聞こえたのは、思いがけない言葉。
「本当は茜が選ばれなかったことじゃなくて、わたしが選ばれなかったことが悔しかったの」
そう言った楠先輩の声がかすかに震えていて、泣きそうなのをこらえているんだと気づいた。
「後輩に嫉妬するなんて情けないって思うけど、山吹さんが羨ましかった」
こらえきれず、泣きながら言葉を続けた楠先輩。
その涙に、わたしまで胸がしめつけられて泣きそうになった。
大会に出場できる人と、できない人。
それは、年次に関係なく実力で選ばれるシビアなもの。
初めて目の当たりにした部活の現実。
でも、だからこそわたしはもっと頑張らなくちゃいけないんだ。
こうして出場できなくて悔しいって泣いている先輩の分まで。
「楠先輩。わたし、もっと練習して先輩に認めてもらえるように頑張ります」
「……なんか、山吹さんの方がわたしより大人だね」
楠先輩が優しい口調でそうつぶやいた。
「大会、絶対優勝しなきゃ許さないからね」
「もちろんです!」
わたしが力強くそう答えると、楠先輩は笑顔で頷いてくれた。