10話―I'm falling for you―


〇 まりな自宅(朝)

翌朝。自分の部屋のベッドで寝ていたまりなはカーテンの隙間から差し込む朝日で目を覚ました。

少し遅れてスマホのアラームが鳴り、音を止めるため枕元に手を伸ばそうとしてハッと気が付く。

誰かが後ろからまりなのことを抱き締めているのだ。振り返ると、すぐそばに晴史の寝顔があって驚く。


まりな(吉野くん⁉)


後ろからぎゅっと抱き締めらているため身動きが取れないまりな。


まりな(ちょっと待って。どうしてこうなったんだっけ)


動揺しながら必死に昨夜のことを思い出す。


〇(回想)まりな自宅、前日の夕方

晴史に押し倒されたままキスに夢中になっていると、窓の外で稲光が走った。少し遅れてゴロゴロッと雷がどこかに落ちたようなもの凄い音が聞こえる。

まりなと晴史はどちらからともなく唇を離した。

その瞬間、再び稲光が走り、ゴロゴロッと大きな雷の音が鳴る。

驚いたまりなの体がピクッと跳ねて、無意識に晴史の服を握ってしまった。


晴史「外、雨すごいね」


晴史が窓の外に目を向ける。

大粒の雨が窓ガラスを叩いていて外の景色がよく見えない。

まりなに覆い被さっていた晴史がゆっくりと体を退けた。まりなもまた起き上がり、窓の外を見つめる。


まりな「そういえば午後は雷雨になるって天気予報で言ってたかも」

晴史「マジかぁー。傘持ってないな」

まりな「私の貸してあげるよ」


そんなことを話すふたりからは先ほどまでキスをしていた甘い雰囲気は消えている。土砂降りの雨にすっかり気を取られていた。


晴史「この雨だと傘差して歩いてもずぶ濡れだろうな」

まりな「そうかもね。せっかく濡れた制服乾かしてシャワーも浴びて体を温めたのに」


ちらっと晴史を見るまりな。


まりな「吉野くんがよかったら雨が止むまでうちにいなよ」

〇(回想終了)


まりな(でも結局雨はなかなか止まなくて、そのうち夕食の時間になったからご飯をご馳走したんだっけ)


ぐっすりと眠る晴史を見ながらまりなはそのときのことを振り返る。


〇(回想)まりなの自宅・前日の夜

食べ終えた食器を洗うまりなと、その隣で洗い終えた食器を布巾で拭いている晴史。

窓の外では依然として雨が強く降っている。


まりな「吉野くん時間大丈夫?」


時計の針は夜の七時半を差している。


晴史「大丈夫。ほら、俺今ひとり暮らしみたいなもんだから」


まりな(そっか。親、海外にいるんだっけ)


晴史「それよりもまだ俺ここにいていの? まりな先輩のお母さん帰ってこない?」

まりな「お母さんはまだ仕事だから日付変わらないと帰ってこないよ」

〇(回想終了)


まりな(それから私はシャワーを浴びて、吉野くんはテレビを見てたんだよね)


〇(回想)まりな自宅、夜

まりながシャワーを浴びてリビングに戻ってくる頃にはようやく雨が止んでいた。

けれど、テレビをつけっ放しにしたままの晴史がソファに横たわって眠っている。その体を揺すって起こそうとするまりな。


まりな「吉野くん。雨やんだから帰れるよ。吉野くーん」


晴史はまったく起きる気配がない。このまま少しだけ寝かせてあげようと思い、まりなは薄手の毛布を持ってきて晴史の体にかけた。

けれど、晴史は熟睡してしまったようでその後も何度も起こそうとしたけれどまったく起きない。仕方なく泊めることにした。

〇(回想終了)


まりな(吉野くんはこのままリビングのソファで寝てもらうことにして、私は自分の部屋のベッドに向かったんだよね)
   (でも、目が覚めたら吉野くんもベッドにいて……)


後ろから晴史に抱き付かれているためベッドから抜け出せないまりな。とりあえず体を反転させて晴史の方に向き直る。


まりな(吉野くんって睫毛長いよね)


晴史の寝顔をまじまじと見つめる。


まりな(髪の毛もさらさら)


晴史の髪に指を通す。


まりな(肌もつやつやなんだよね)


晴史の頬に指先でそっと触れた。


まりな(寝顔かわいい)


晴史の頬に触れたまま、まりなの表情が緩む。ほぼ無意識に親指の腹で晴史の唇をなぞっていた。


まりな(吉野くんのキス優しかったなぁ)


ふと昨日のキスを思い出す。押し倒されてもまりなは晴史から与えられるキスを止めようとはしなかった。


まりな(もしもあのとき雷が鳴らなかったら――)
   (キスよりも先の行為に進んでいたのかな)


そういう雰囲気だったことは確かだ。

まりなは途端に恥ずかしくなり、沸騰したように全身が熱くなる。


まりな(私なに考えてるの。吉野くんとはそういう関係じゃないんだから)
   (でも、じゃあどうして――)
   (吉野くんとならキスよりも先に進んでいいと思ったんだろう)


寝顔を見つめながら晴史の唇を親指でフニフニと触っていると、寝ていると思っていた晴史が突然口を開けてまりなの親指をパクリと口に含んだ。


まりな(……!)


晴史が目を開ける。

まりなの親指を口に加えたままいたずらっぽく笑った晴史と目が合い、まりなの頬がカァッと赤く染まる。


晴史「おはよ、まりな先輩」


晴史が口を開いたすきに慌てて親指を引き抜いた。


まりな「お、おはよう」

晴史「いつおはようのキスしてくれるのかと思って待ってたけど、ぜんぜんしてくれないから」

まりな「……もしかしてずっと起きてた?」


まりなが晴史の髪を撫でたときも、頬に触れたときも、唇に触れたときも――実は晴史は起きていたのだ。

目を閉じて寝ていると思ったから晴史を好き勝手触っていたまりなは、それが晴史にバレていたことを知って恥ずかしくなっていく。


まりな「起きたなら離れてよ。というか、どうして私のベッドで寝てるの」

晴史「どうしてだろう。覚えてないな。気付いたらここにいた」


にっこりした笑顔で誤魔化す晴史にまりなは言葉を返す気にならず、まぁいいやとこれ以上は聞かないことにした。


〇 まりなの自宅・リビング

ベッドから抜け出したふたりはリビングに移動。今日は平日で学校があるのでお互いに制服に着替えた。

それからまりなは晴史の分も朝食の支度をして、ふたりで朝ご飯を食べる。

朝食はパンと目玉焼き、それからレタスとミニトマトのサラダだ。


晴史「まりな先輩の目玉焼き、黄身がトロトロで美味しい。俺の好み」

まりな「それはどうも」

晴史「昨日の麻婆豆腐も美味しかったし、まりな先輩料理得意なんだね」

まりな「得意というか子供の頃から作ってたから」


母親が夜の仕事をしているので夕ご飯はひとりで食べることが多かったまりな。

忙しい母親の負担を減らすため、子供の頃から自分でできることはなんでもしてきたのだ。


まりな「吉野くんはご飯どうしてるの?」


親が仕事で海外にいてひとり暮らしをしているらしい晴史の食事事情が気になった。


晴史「ご飯はお手伝いさんが作りにきてくれるんだよね。掃除とかもしてくれるから助かる」

まりな「……お手伝いさん?」

晴史「そうそう。うちの両親仕事で忙しいから家事はすべてお手伝いさんに任せてんの」

まりな「そ、そうなんだ」


まりなは〝お手伝いさん〟の存在が気になった。


まりな(吉野くんってもしかしてお坊ちゃま⁉)
   (そういえば吉野くんのことなにも知らないかも……)


晴史「昨日、お母さん帰ってこなかったんだね」


パンをかじりながら晴史が尋ねてきたので、とても気になるがお手伝いさんについて聞くのはまた今度にすることにした。


まりな「たぶん仕事でお酒飲みすぎちゃったのかな。そのまま寝ちゃってお店に泊まったのかも。たまにあるんだよね」


まりなはチラッとリビングの時計に目を向ける。


まりな「こういうときはたぶんもうすぐ――」


そのとき、玄関からガチャリと扉が開く音が聞こえた。


?「ただいまー」


駆け足でリビングに飛び込んできた派手な服装とメイクの女性はまりなの母だ。

高校生の娘がいるとは思えないほど若々しい見た目をしている。というよりもまりなの母はまりなを十代の頃に産んでいるので実年齢が若い。


まりな母「まりちゃんごめーん。ママまたやっちゃったみたい」


朝食を取っているまりなに駆け寄り抱き付くまりな母。ぷーんとお酒の匂いがする。


まりな「飲みすぎてお店に泊まったんでしょ。わかってるから大丈夫」

まりな母「ごめんね。もう絶対に気を付けるから」


まりな母の視線が晴史に向かう。そしてパッと顔を輝かせた。


まりな母「誰このイケメン! 超タイプ!」

晴史「初めまして、吉野晴史です。まりな先輩と同じ高校に通う後輩です」


食べる手を止めて、晴史は丁寧に自己紹介をした。


まりな母「こちらこそ初めまして、まりなの母です。どうしてうちで朝ご飯食べてるの?」

まりな「それがちょっといろいろあって……」

まりな母「もしかして彼氏?」


まりな母の顔がぱぁっと明るくなる。


晴史「になりたいんですけど、なかなか交際OKもらえなくて」


晴史が苦笑した。


まりな母「あらぁ、かわいそうに。じゃあ私と付き合っちゃう?」

晴史「すみません。俺、まりな先輩一筋なんで」

まりな母「ますますイケメンね。気に入ったわ、晴史くん」

晴史「どうも~」


波長が合うのか晴史とまりな母の会話が盛り上がる。それに交ざることなく無視して、まりなは朝食を食べ進めていく。

まりな母は細かいことを気にしない性格なので、晴史がどうして家で朝食を取っているのかはもう気にしていないようだ。


まりな母「あ、そうだ。コレ、まりちゃんに」


晴史と話していたまりな母が会話をいったん止めてまりなに渡したのはパンの入った袋だ。


まりな母「帰ってくる途中で買ってきたの。このお店のパン、まりちゃん小さい頃から大好きでしょ。お昼にでも食べて」

まりな「ありがと」


袋の中にはメロンパンとウインナーロールが入っている。どちらもまりなの好物だ。


まりな母「さてと、シャワー浴びて次の仕事行かないと」


まりな母は立ち上がるとリビングを出て脱衣所に向かった。リビングにはまりなと晴史が残される。


晴史「まりな先輩ってお母さん似だね。目元がそっくり」

まりな「よく言われる」

晴史「明るくておもしろいお母さんだね」

まりな「うるさくてごめんね」


まりなは苦笑する。でも、晴史が母のことをそう言ってくれるのがうれしかった。



しばらくしてふたりは朝食を取り終えて、まりながお皿を洗い、晴史が洗ったお皿を布巾で拭いている。

そこへシャワーを浴び終えて着替えたまりな母が現れる。相変わらず服のセンスは派手だ。


まりな母「まりちゃん。お母さん仕事行ってくるからね」

まりな「はーい。行ってらっしゃい」


仕事に行く時間が迫っているのか、慌てたように玄関に向かうまりな母のことをキッチンから声を掛けて見送るまりな。

すると玄関に向かったはずのまりな母が戻ってきてリビングに顔を出す。


まりな母「晴史くん。これからもまりなのことをよろしくね」


きれいなウインクをするまりな母。


まりな母「それじゃあね~」


まりな母は手をひらひらと振りながらリビングを後にすると玄関に向かい仕事へ出掛けていった。

リビングにはまりなと晴史だけになる。お皿を拭きながら晴史がまりなを見て微笑んだ。


晴史「お母さんにまりな先輩のこと頼まれちゃった。だからまりな先輩、俺と付き合お」


じっと晴史を見つめるまりな。そっと視線を逸らしてお皿を洗いながらボソッと答える。


まりな「考えとく」

晴史「えっ」


てっきりさっきの告白もいつものように軽くあしらわれると思っていた晴史がきょとんとした顔を見せる。


晴史「考えてくれるの?」


お皿を洗いながらうなずくまりな。


晴史「そっか。じゃあ答え出るの待ってる」


まりなとの関係が一歩前進したようで、晴史はうれしそうに笑った。