強引に捕まえて話してみるか、次の日にそう言い出したのは海斗くんだった、少し落ち込んでいた美波を元気づけようとしているのだろう。やっぱり優しいな。
「でも身元なんて掴めるの?」
「まあやってみるよ」
 誹謗中傷コメントする奴の中から、ユーチューブコメントのアカウント名と同じ名前、アイコンでツイッターをやっている奴をまずは探して、その中から場所を特定できそうなやつを洗う、豆にツイートしている人間なら場所の特定や人物像、上手く行けば住んでいる所まで特定できると海斗くんは言った。
「こいつはいいぞ、ハッシー」
『令和のヤリマン女』
『こいつの偏差値四十無い』
『急にイメチェンしたのは男に媚びるため、笑』
 中々の頻度でコメントをしているハッシーは、ツイッターも高頻度で更新していた、その内容から東京都豊島区の椎名町で毎日晩ご飯を食べている事が分かる、場所は駅前の立ち食いそば屋が殆どで乗せるかき揚げが毎回違う。
「ここの蕎麦屋ちょっと有名なんだよ、かき揚げの種類が豊富で、しかも美味い、一度食ったことがある」
 おそらくハッシーは椎名町に住んでいる、わざわざ毎日途中下車してまで立ち食い蕎麦を食う奴がいるとは考えにくいし、会社や学校がある駅でもないと海斗くんは予想した。
「では狩りに出掛けますかお嬢様」
 善は急げとさっそくその日の夕方に椎名町に向かった、小さな駅舎には出口が二つ、蕎麦屋の反対側は小さなスーパーがある、しばらく味のある町並みをブラブラと散歩した、本当にハッシーに会えるのだろうか、会って自分は何を言うのか、少なくとも文句を言いたいわけではない、知りたいのだ、なぜそんな事をするのか。 
 二十時十五分、ハッシーのツイートが更新された、立ち食いスタイルのカウンターでスマホをいじっているのは一人だけ、ツイートされた春菊の天ぷらを乗せた蕎麦を啜っている三十代のサラリーマンの横に海斗くんが並んだ。海斗くんはかけ蕎麦だ。言われた通りハッシーのツイッターにコメントした。
『春菊の天ぷら美味しそうですね』
 ハッシーらしき男のスマホが震える、コメントが来たら通知が届くように設定しているようだ、蕎麦をすすりながらスマホをイジると満足そうに頷いた。
「つけるぞ」
 蕎麦屋を出ると海斗くんが足早に男を追っていく、なんだかすごく楽しそうだ。
「ねえ、本当にあの人なの?」
「ツイッターを確認した時のアイコンがハッシーだった」
 ピンクの丸に白抜きでハッシーと書かれたロゴは確かに目立つので見間違うと言うことはないだろう。男は住宅街をどんどん進んでいった、暗い道を重い足取りで前に進む、私達は五メートル程距離を取っているが後ろを振り向かれたらすぐにバレる、あいにく気にする素振りはないが。
「ハッシーさんこんにちは」
 急に海斗くんが声をかけた、男は肩がビクッと震えてこちらに振り返った、少し頭皮が薄いが何の特徴もない普通の男性だった、この人からあのコメントが発せられているとは想像ができない。
「だ、だれだあんた」
 狼狽しているハッシーをの顔面を海斗くんが無造作に掴んだ、あまり力を加えているように見えないがハッシーは両手を使って海斗くんの手を外そうとしている。
「ちょっと、ちょっと海斗くん何してるの」
 美波の言葉を無視して海斗くんはハッシーに向かって囁いた。
「騒ぐな、騒いだら殺す、分かったな」
 ハッシーは無言でウンウンと頷いている。海斗くんがやっと手を離した、こんな強引な手段に出るとは聞いていない。
「一人暮らしか?」
「は、はいそうですけど、あなた一体」
「ここじゃ目立つ、お前の家に上げろ」
「はあ、嫌です――」 
 言い終える前に再び顔面を無造作に掴んでギリギリと締め上げている、ハッシーは言葉が出ないのか右手でオッケーのサインを出した。
 
「この家は土足か?」
「違いますよ、靴脱いでください」
 海斗くんの気持ちも分かる、古い木造アパートの二階にあるハッシーの部屋はホコリ一つ無い海斗くんの家とは真逆であらゆる汚れを一手に引き受けたような部屋だった。狭い三和土に靴を脱いでつま先歩きで部屋の中にお邪魔した、部屋と言っても八畳程のワンルームは敷きっぱなしの布団と小さなテーブルが有るだけで、大人が三人入ると息が詰まりそうだ。
「俺たちが誰だか分からないのか?」 
 ハッシーは敷きっぱなしの布団の上に正座している、テーブルを挟んで美波と海斗くんが向き合っている、もはや汚れるのを覚悟したように胡座をかいた海斗くんの質問にハッシーが反応する、そこで初めて美波と視線が合った。
「え、あれ、ホシミナ?」
 やっと気が付いてくれたようだ、しかしその顔は青ざめていて具合が悪そうだ、自分が隠れた所から誹謗中傷している相手が目の前に現れたらこんな感じの反応を示すものなのか。
「うちのお嬢が貴様のような下民と話がしたいとおっしゃっている、正直に何でも答えなさい、危害を加えるつもりはない」
 ハッシーのこめかみにはすっかり指の跡が付いているが、危害は加えないとシレっと言ってのけた。
「武士の情けだ、こいつを被れ」
 海斗くんがポケットから目出し帽を取り出すとハッシーに投げつけた。
「え、なんですかコレ?」
 その質問には答えずに海斗くんはスマホを美波に向けた、短く深呼吸する。
「どーもー、ホシミナチャンネルのホシミナでーす、今日は初めてのライブ中継をゲストを交えてお送り致しまーす」
 ハッシーは状況が把握できていないのか、唖然としているが構わずに続ける。
「今日のゲストは毎日欠かさず誹謗中傷のコメントをしてくれるハッシーさんでーす」
 ライブ中継の予告はしておいたのですでに千人以上の視聴者がいる、コメントも次々に流れていて全て読み上げるのは不可能だった。海斗くんがカメラをハッシーに向けた。
『うお、ハッシーキモッ』
『キモリーマン笑』
『ハッシーこめかみ何で赤いの?』
 視聴者がすぐに反応する、自分が置かれている状況にやっと気が付いたハッシーが急いで目出し帽を被った。
『ハッシーもう遅え笑』
『なんか喋れハッシー』
『ぜってーヤラセだろコレ』
 カメラが美波に戻ってくる。
「それでは、これまでにハッシーから送られてきた誹謗中傷の数々を一部紹介したいと思います、コイツはヤリマン女、偏差値四十以下、金の亡者、来週殺しに行きます、ソープのホームページに載っていた等、事実とは異なる内容や殺害予告など様々なコメントが寄せられています」
『まじでハッシークズ』
『実在したクソ野郎』
『よく捕まえたホシミナ』
『ところで誰が撮影しているんだ』
『部屋きたねえー、ホシミナが汚れる。悲』
 ここで立ち上がると、ハッシーの横に正座した、画角には二人の姿が映し出されているはずだ。
「はじめまして、ハッシーさん、これらのコメントなんですが事実とは異なる内容が含まれています、どういう事なんでしょうか?」
 マイクを持っていないのでグーにした拳をハッシーの口元に持っていった、しかし何やら呟いているだけで要領を得ない。
「ヤリマン女とありますが、情報源はなんでしょうか?」
「……」 
「偏差値が四十以下だという根拠は?」
「……」
「来週殺しに行くというのは殺害予告と受け取ってよろしいですか?」
「――がう」
「え?」
「ちがうんです、すみませんでした、すみませんでした」
 急にカメラに向かって土下座を始めた、謝るならば自分にだろうと思ったが口にはしなかった、海斗くんは楽しそうにカメラを向けている。
「あの、謝罪して頂きたい訳じゃないんです、ハッシーさんがどうしてこういったコメントを上げて、会ったこともない人間を傷つけようとするのか、それが知りたいんです」
 ハッシーはその質問には答えずにひたすら土下座をしている、視聴者数はいつの間にか三千人を超えてコメントも次々に流れてくる、その殆どがハッシーへの誹謗中傷だった。
「残念ですがハッシーさんの体調が優れない様なので、初めてのライブ中継はここで終わらせて頂きます、ただ、この様なコメントをするのは彼だけではありません、次はあなたのお家に伺うかも知れませんので、その際は先程の答えを用意して貰えると助かります、それではサヨウナラー、イェイイェイ」
 海斗くんがスマホをテーブルの上に置いた、ハッシーの横から正面に移動すると啜り泣く声が聞こえてくる。
「ううう、なんで、俺が……」 
 ガシャーンと激しい衝撃音が響いたかと思うと目の前にあった小さなテーブルがハッシーの後ろの壁に叩きつけられた、海斗くんが座ったまま足の裏で蹴っ飛ばしたようだ。
「自業自得だろうが、さっさと質問に答えろカス」
 本当に海斗くんは美波以外の人間には厳しい、と言うより怖い。
「あのう、本当に怒ってる訳じゃなくて、理由を聞きたいんです、顔を上げてください」
 ハッシーが顔を上げると目出し帽の奥から潤んだ瞳をこちらに向けた。警察の取り調べでは怒り役と宥め役に分かれるらしいが、今まさにその状況が自然と出来上がっていた。
「無意識なんです……」
 蚊の鳴くような声で呟いた。   
「無意識……ですか?」
 意味が分からずに聞き返してしまった。
「願望かも知れません……」
 テレビで成功している芸能人、スポーツ選手、大企業の社長、最近では有名なユーチューバーに直接コンタクトを取れるのが現代社会のメリットでありデメリットだ、ハッシーは自分よりも年下の人間が成功しているのを目の当たりにすると、何か欠点があるはずだ、完璧な人間などいるはずがない、もしもないのであればそれはあまりに不公平ではないか、と涙ながらに訴えだした。
「自分も成功するように頑張ろうって発想にはならないんですか?」
 素朴な疑問だった、例えば自分よりもソフトボールが上手い選手がチームにいるとする、その選手を誹謗中傷した所で自分がレギュラーになれる訳じゃない、まったく意味のない行為に思えた。 
「だーかーらー、美波には分からないって言っただろ」
 海斗くんが口を挟んでくる、でも確かに分からなかった。 
「あなた達みたいに、容姿がいい人には分かりませんよ、人は生まれた瞬間から人生が決まっているんです……」
 海斗くんが腹を抱えて笑っているが美波には益々理解できなかった、容姿と努力に何の関係があるのだろうか。
「もう行こうぜ、コイツと話しても時間の無駄だよ」
 立ち上がろうとする海斗くんを制して思いつきのセリフを口にした。
「ハッシーと友達になろう」
「はあああ、何でこんな奴と」
「海斗くん、お願い」
 上目遣いでお願いする、最近気がついた事だが海斗くんは美波のお願いを断ったことがない。ブツブツ文句を言いながらも最終的にはお願いを聞いてくれる。ハッシーはそのやり取りを呆然と眺めていた。
「別に良いけど何すりゃ良いんだよ」
 再びその場に胡座をかいた。
「まずはハッシーの悩みを聞こう、ね、ハッシー」
「はぁ……」 
 ハッシーは以外にもすんなりと美波の提案を受け入れて悩みを吐露しだした、三十三歳のハッシーは入社十年目、印刷会社で営業をしているらしい、しかし話すことが苦手なハッシーの成績はいつもドベ、上司や社長から毎日の様に叱責される日々でストレスが限界に達していると言う、そんな中での発散方法が赤の他人に対する誹謗中傷というわけだ。
「なんて会社だよ」
 海斗くんの質問にハッシーは名刺を渡して答えた、名刺を確認しながらスマホで何やら調べている。 
「なんだこりゃ、しがみつく様な会社じゃねーだろ」
 名刺をその場に投げ捨てた。
「お前なんかどこに行っても通用しない、給料泥棒を雇ってる会社に感謝しろって」
 そんな事を面と向かって言う人間が本当にいるのか、企業で働いた事がない美波には分からなかった。
「ふん、部下が仕事できない事が自分の無能さだと気がつかない典型的な馬鹿上司だな、辞めちまえそんな会社」
「でも、辞めたら生活が出来ません」
 小さな世界で苦しむハッシーは、学校が全てだと思い込んで自殺した自分に少し似ていた。
「海斗くんが雇ってあげなよ、ハッシーを使いこなせるんでしょ?」
 名案を思いついた様に提案したけど海斗くんはあからさまに嫌そうな顔をしている。
「海斗くんならできるよね?」
「ま、まあな」
「兄貴、良いんですか」
 ハッシーの顔がパッと明るくなる、良かった。
「だれが兄貴だ」
 海斗くんはハッシーに会社を辞める際に残業代の未払い、パワハラの数々を労働基準監督署に訴えない条件として会社都合の退社にするようにアドバイスした、自己都合退社と違い雇用保険がすぐに入るらしい、九ヶ月はその保険で凌いでその間に海斗くんの仕事に必要なスキルを学ばせると言う事だ。
 何度も頭を下げるハッシーの家を後にして帰り道を二人並んで歩いた。今日は綺麗な満月だ。
「海斗くん」
「ん?」
「ありがとう、いつも我儘聞いてくれて」
「まあ、今に始まった事じゃない」
「お礼したいな」
 与えてもらうばかりじゃ申し訳ない、自分も何か差し出せるものは無いのだろうか。
「もうたくさん貰ってるよ」
 美波にだけ向ける優しい眼差しで見つめられた、普通ならこんな時にキスして、抱きしめて、そして――。きゃー。どうしよう。一人脳内で騒いでいたが海斗くんはどこ吹く風だった。大股でスタスタと駅に向かって歩いていく、美波はその後ろ姿を小走りで追いかけていった。
 まだこの時は、こんな時間が永遠に続くのだと信じて疑わなかった。